月光の希望-Lunalight Hope-

最愛の契約者

後編

それからどのくらい時間が経ったのか。
漸く体の震えが収まり、スザクはルルーシュを解放した。
やっときちんと顔を合わせたルルーシュは、相変わらず微笑んでいた。

「落ち着いたか?」
「……うん」
「そうか」

こくんと頷けば、帰ってきたのは優しい声。
久しく聞いていないそれに、また零れそうになった涙を必死に耐える。
けれど、目の前にいる彼には、そんな誤魔化しは通用しなくて、仕方のない奴と笑われた。
そのやり取りすら嬉しくて、もうずいぶん前に失くしてしまったと思った幸せに浸っていると、不意にルルーシュが口を開いた。

「……ライから聞いた。コードが欲しいそうだな」

その問いに、スザクは瞠目し、ルルーシュを見る。
真っ直ぐに自分を見つめる紫玉には、先ほどの穏やかな光はない。
ただ悲しみを浮かべた瞳が、真っ直ぐに自分を見つめていた。

「……うん」
「どうしてだ?」
「君と、永遠にと、約束したから」

スザクの言葉に、今度はルルーシュが目を瞠る。
それは、あの日―――ゼロレクイエムを実行した日に、ルルーシュが告げた、最期の言葉。

『人並みの幸せも、全て世界に捧げてもらう。永遠に』

確かに、スザクにそう告げた。
自分がいなくなった後の世界を支えてほしかったから。
全てを押し付け、残してしまう彼に、生きていてほしかったから。
けれど、それは言葉どおりの意味ではない。
永遠の命を持って、世界を支えていけと言ったわけじゃない。

「確かに、俺はあの時そう言った。だが、だからと言って―――」
「だって、最期の約束だった」
「え……?」

ルルーシュの言葉を遮り、スザクが口を開く。
それに驚き、ルルーシュは彼を見た。

「君との、最期の約束だった。だから、どうしても、果たしたかった」

そう告げる彼の顔は、俯いてしまっていて、見えない。
けれど、その頬に透明な雫が流れていることに気づいて、僅かに目を瞠った。

「そうしなければ、君は、許してくれないと思ったから」
「許す……?」
「俺が、君を殺したことを、許してくれないと思ったんだ」
「何言ってるんだ。あれは、俺が言い出したことで―――」
「それでも!殺したんだ!殺したと思ってた、俺が!」

ルルーシュの言葉を遮って、スザクは叫ぶ。
翡翠の瞳から溢れた涙を周囲に散らしながら、言葉を搾り出す。

「君を殺したと、思っていたから……っ、だから……っ」

ついに嗚咽まで漏らし始めたスザクを、ルルーシュは呆然とした様子で見つめていた。
あのスザクが、こんな風に泣くなんて、知らなかった。
あの時、はっきりと言葉を返した彼が、こんなにも追い詰められているなんて思わなかった。

『ルルーシュ』

ふと、思い出したのは、今日数週間ぶりに顔を合わせた銀の少年。
暫く電話越しにしか話をしていなかった彼は、スザクに会うことを戸惑う自分に向かい、微笑んだ。

『言葉にしないと、伝わらないこともあるだろう?』

柔らかな声音でそう告げる彼は、どことなく寂しそうで。
けれど、今までのどの瞬間よりも優しい笑顔を浮かべていた。

『君の、本当の想い。君が僕に向けていると勘違いしていた気持ち。ちゃんと伝えた方がいいと思うよ』

けれど、それでは、お前は。
俺が巻き込んだお前は、道連れにしたお前は、どうなるんだ。

そう尋ねれば、彼は今度こそ、他意のない柔らかな表情を浮かべて。

『君が幸せなら、僕はそれでいいから』

迷うことなく言い切った彼に、息を呑んだのはまだ数時間前。
そうまでして自分の背を押してくれる彼に、本当は感謝の気持ちが湧き上がったのも、数時間前。
C.C.と共に送り出してくれた彼を、愛しいと思ったのも、数時間前。

ああ、でも、俺は―――。

彼の言うとおりだったと気づいたのは、一体いつだっただろう。
昨日までは、その気持ちを押し殺そうと必死だった。
そうしなければ、スザクのためにもならないと思っていた。
思っていた、けれど。

『ルルーシュ。君は、幸せになっていいんだよ』
『もっと我が儘になれ。お前は、もう十分がんばっただろう』

ずっと共にいた彼が、そう言ってくれた。
ずっと支えてくれた魔女が、そう許してくれた。
そして、本当は求めていた人が、こんなにも、自分のことを想っていてくれた。

だから―――。

ぼろぼろと泣き続けるスザクに、そっと手を伸ばす。
その頬に触れると、びくんと体が跳ねた。
勢いよくこちらを見た翡翠と、目が合う。
驚くその宝石に、にこりと、薄く微笑んで見せた。

「好きだよ、スザク」

「え―――」
はっきりと、濁ることなく伝えたはずなのに、理解できなかったらしい。
きょとんとした様子で自分を見つめ返すスザクに笑みを零して、ルルーシュは再び口を開いた。

「俺は、ずっとお前が好きだ。友達としてではなく、その、こ、い、の方で」
「ルルーシュ……」
「でも、お前は俺を憎んでいると思っていたから、言えなかった」

そう、スザクは、憎んでいたはずだ。
ユーフェミアを殺した、自分を。
だから、一度決別した。
お互いの存在を否定し、銃を向けあった。
だからこそ、言えなかった。
気のせいだと、気の迷いなのだと決め付けて、心の奥に押し込めてきた。

けれど、今は、それを認めることができるから。
気のせいでも何でもない、自分の本当の気持ちだと、伝えることができるから。

「お前は?」
「え?」
「お前は、俺のことをどう思っていた?どう思って、くれていた?」

一瞬瞠目したスザクの翡翠が、細められる。
未だ涙の止まらない翡翠を真っ直ぐに見つめ返し、言葉を待った。
翡翠が紫玉からはずれ、床へと落ちる。
それでもルルーシュは、頬に添えた手を放そうとはしなかった。

「……ずっとずっと、認めたくなかった。認めることは、ユフィに対する裏切りだと思っていたから」
「うん」
「でも、ゼロレクイエムを実行して、この手で君を殺して、思い知らされた」

スザクの手が、ゆっくりと持ち上げられる。
微かに震えているそれに、ルルーシュは空いている手を乗せた。
一瞬驚いたように体を強張らせたスザクは、けれどすぐにそれをきゅっと握り締める。
その力は強いはずなのに、痛みは全く感じることはなくて、ルルーシュは僅かに目を細めた。

「好きだった……。ううん、今だって好きだ。愛してる。なのに、君はもう何処にもいなくて、もう、本当のこと、何も伝えられなくて……」

胸に湧き上がる想いを、吐き出すことすらできなかった。
冷たくなっていく体を抱きしめることはもちろん、名を呼ぶことも、声を出して泣くことすら、許されなかった。
二度と言葉を交わすことはできなくて。
漸く気づいた、気づいてしまった想いを、願いを、ただ封じ込めることしかできなかった。

「だから、せめて君との約束は……『ゼロ』は世界に、永遠に……っ」

涙を止めることを忘れたかのように、泣きながらスザクは告げる。
伝えられないのならば、せめて示そうと思った。
想いを、願いを、永遠に遺したいと思った。
そうすることで、ルルーシュは許してくれると、また出会ったときに、笑ってくれると信じた。
そう思わなければ、立っていられなかった。

ふと、頬に触れていた手が、軽く引かれる。
はっと我に返れば、その瞬間目の前を占めたのは、紫。
一瞬遅れて触れた熱に、目の前で伏せられた紫に、自分が何をされたのか気づいて、スザクは目を見開いた。
唇に触れていた熱が、離れる。
目の前で閉じられた紫玉が、再び姿を見せた。

「スザク」
「る……るーしゅ……」

呆然と名前を呼び返せば、ルルーシュはふっと微笑む。
それは学生時代の彼がよく浮かべていた、得意そうな笑み。
それまでとは一変したその明るい笑みに、スザクが思わず目を瞬かせた、そのときだった。

「50年だ」

唐突に告げられた、年数。
その言葉の意味が、意図がわからなくて、思わずきょとんとした表情でルルーシュを見つめた。

「……え?」
「50年経ったら迎えに行ってやる。だから、お前はそれまで世界を支えろ」
「ルルーシュ……?」
「50年経って迎えに行ったら、お前の永遠を、今度は世界じゃなくて、俺に捧げてもらう」
「え……っ!?」

永遠を、ルルーシュ捧げる。
それは、50年経って『ゼロ』という象徴を退いた後、彼と共に生きるということに、他ならないはず。

「ルルーシュ……。それは……」
戸惑うスザクに、ルルーシュは浮かべた笑みをより一層深める。
「正直、このまま永遠を生きるのは辛いと思っていたところだったんだ」
「でも、君の傍には、ライとC.C.が……」
「確かに、あの2人は大事だよ。けどな、スザク」
一度閉じられた紫玉の瞳が、真っ直ぐにスザクの翡翠を射抜く。
高貴な血筋、その中でも持つ者の少ないと言われるロイヤルアイ。
その至高の宝石に見つめられ、スザクは思わずそれに見入った。

「俺が一番大切なのは、あの2人でもナナリーでもなく、お前なんだ」

ふわりと、その形容詞すら合わないのではないかと思うくらい柔らかく、ルルーシュが笑った。
その言葉に、一度は止まったはずの涙が、再び溢れてくる。
ぽろぽろと零れるそれに目を細めつつ、ルルーシュは真っ直ぐに自分を見つめる翡翠を見た。
スザクの手から力が緩んだ隙を見て、ルルーシュが手を引く。
一方後ろへ下がると、薄く微笑んで、再び手を差し出した。

「だから、契約をしよう、スザク」

「え……」
一瞬何を言われたのかわからなくて、思わず聞き返す。
薄く笑みを浮かべたルルーシュは、スザクのその反応にくすりと笑みを零した。

「俺はお前に、王の力を与える。その代わりに、俺の願いを叶えてもらう」

その言葉に、スザクの翡翠の瞳が再び見開かれる。
もう何度目になるのかわからないその反応さえ楽しいらしいルルーシュは、くすくすと笑いながら言葉を続ける。

「俺の願いは、俺に力を与えてくれた共犯者が永遠から解放されること。そして、お前が永遠に傍にいてくれること」

自分に動き出すきっかけをくれた魔女が、苦しみから解放され、自由になること。
それを、シャルルのコードを押し付けられたルルーシュには、叶えてやることはできないから。
高飛車で傲慢で、でも本当は誰よりも孤独を知る少女の解放と同時に望むのは、自身の解放。
時から、世界から消えるのではなく、孤独から救い出されること。
それができるのは、ライでもC.C.でもなく、スザクだけだから。
だから、ルルーシュは手を伸ばす。
それを唯一叶えることのできる人に向かい、契約という名の約束を持って。

「その願いを叶えてくれるなら、俺はお前に王の力を与えよう」
「ルルーシュ……」

笑みを崩すことのないルルーシュを、スザクは呆然とした様子で呼ぶ。
そして、同時に思い出す。
この部屋に入る前に、ライとC.C.の言っていた、『契約をしてもいいと考えているコード所有者』。
それが、ルルーシュであることに、漸く気がついた。

「どうする?契約するか?永遠が欲しいんだろう?」

手を差し出したまま微笑んでくれるルルーシュを、拒絶する理由なんてなかった。

「……うん。結ぶよ、その契約」

スザクの手が、差し出されたルルーシュの手を握る。
互いの手がしっかりと繋がれたその瞬間、ルルーシュは綺麗に微笑んで。
スザクもまた、そのルルーシュを見て嬉しそうに笑った。






オートロックのはずの循環施設の入口の扉が、僅かに開いていた。
その下方には小さい箱のようなものが挟まれていて、閉じようとする扉を阻んでいる。
その隙間から中を覗き込んでいた少年と少女は、中に居る少年たちの間で契約が結ばれたことを知ると、体を起こした。
途端に隣から深いため息が聞こえ、少女はそちらに視線を送る。
そこには遣る瀬無い表情でがっくりと肩を落とす銀の少年がいた。

「……報われないな」
「報われないよなぁ」

ぽつりと呟けば、返事と共に二度目の盛大なため息が帰ってきた。
あまりにも落ち込むその姿を見て、C.C.は呆れたようにため息をついた。

「……お人好しなことだな。いつか忘れさせて、自分のものにするんじゃなかったのか?」
「……まあ、本当はそのつもりだったんだけどさ」

自分たちが生きるのは、終わりのない永い永い時間だ。
人の理から外れた自分たちは、その時間の中で人の理の中にいる人物を見送り、生きていく。
その中でスザクが居なくなった後、ルルーシュを慰めながら、その心を自分に向けてもらうつもりだった。
幸い時間だけはたっぷりある。
どんなに時間がかかっても、ルルーシュはいつか自分を見てくれる。
そんな想いがあった事実は、否定しない。
だけど―――。

「でも、仕方ないじゃないか。結局僕は、笑ってくれる彼が好きなんだ」

そう言って笑うライに、C.C.は僅かに目を瞠る。
意外だと言わんばかりのその表情で見つめる彼女に、ライはくすりと笑みを返す。

「彼が笑ってくれるなら、笑って生きてくれるなら、自分の想いはいくらだって殺せるよ」

それは、ライの本心だった。
ルルーシュが大切で、愛している。
でも、だからこそ、笑っていてほしいのだ。
たとえ隣に立つのが自分でなかったとしても、ルルーシュが幸せならそれでいい。

「……本当に、難儀な奴だな、お前は」
「人のこと言えないだろう?君は」
「さあな」
ため息をつくC.C.に言い返せば、彼女は興味を失ったと言わんばかりに視線を逸らす。
自分のその行動にすら笑みを浮かべる少年の姿に、C.C.はもう一度大きく息を吐き出した。

「まったく。本当に世話の焼ける奴らだ」
「君もな」
「何の話だ」
「たまには自分で動いてみろって言ってるんだよ」
「誰に向かって言っている。私はC.C.だぞ」
「あー、はいはい。わかったよ」

これ以上続けるのが面倒だと言わんばかりに、ライがひらひらと手を振りながら会話を落ちきる。
言葉を止めた彼の視線が、自然と扉の中へと向けられたのを見て、C.C.は薄く微笑んだ。

お互いが大事で、大事にしすぎて、だからこそ永遠を選んだ少年たち。
我が儘で身勝手で、けれど誰よりも優しくて、自分が幸せになることを遠ざけてしまう子供たち。
そんな彼らを見守るのも悪くはない。
そう思っている自分に苦笑して、C.C.は再び銀の少年を見る。
相変わらず扉の中を見つめている彼に、わざとらしく息を吐いてみせた。

「……お前も人のこと言えないな」
「何か言ったか?魔女」
「いいや。何でもないさ」

そう答える魔女の顔には、楽しそうな笑みが浮かんでいた。




2008.10.19~10.27 拍手掲載