Re;Stage -Skybule Eyes-
中編
スザクの葬儀が終わった翌日から、カレンは数日間の休みを取った。
申請だけして、理由は誰にも伝えなかった。
それが、C.C.との約束だったから。
予め伝えてあった場所に行けば、彼女はそこで待っていた。
他の3人と違い、メディアに立ったことのない彼女は、黒の騎士団員に見つからなければ素性がばれる心配がない。
だから軽く帽子を被った程度の変装だけをしていた彼女を、すぐに見つけることが出来た。
その彼女に連れられ、どれほど電車とバスを乗り継いだのか。
最後には辿り着いたのは山奥。
車も入れないその場所に、その家はあった。
ここはどこかと問いかけるより早く、C.C.が中へと入っていく。
大きくはない、その家の一番奥。
南側に窓があるだろうその部屋の扉が開かれた瞬間、カレンは息を呑んだ。
部屋の中には、1人の少年がいた。
木で作られた大きめの椅子に腰かけ、窓の外を見ている少年の髪の色は、銀。
その少年を、カレンは知っていた。
「ラ、イ……?」
「そうだ」
ほとんど呟きに近かったその問いを、C.C.が肯定する。
その言葉に、無意識に足が動いた。
「嘘……。どうして……」
ふらふらと椅子の傍に寄っていく。
少年の傍に立って、初めて気づく。
ぼんやりと窓の外を見つめている瞳の色は、紫紺。
あの頃のような強い輝きは宿していなかったけれど、それは確かにカレンが知っている色だった。
「ライ、なの?本当に?」
けれど、それだけでは信じきることはできなかった。
いいや、ただ単に信じたくなかったからかもしれない。
だって、ライの姿は全く変わっていなかったのだ。
最後に見た時と――ルルーシュと共にゼロであるスザクに討たれた日と、変わっていなかった。
あの頃の姿のまま、彼はそこにいた。
「ねぇ、お願い答えて。あなたは、本当に……」
「無駄だ。やめておけ、カレン」
椅子の前に膝をつき、手に触れた瞬間、背中からかかった声に顔を上げた。
振り返れば、いつの間にか傍に寄ってきたC.C.が、痛みを持った金の瞳で自分を見下ろしていた。
その瞳が、僅かに上がる。
視線が、窓の外を見つめたまま、反応を示さないライに向けられる。
「どんなに呼んでも、そいつは反応しない」
はっきりと言われたその言葉に、息を呑んだ。
予想は、きっとしていた。
自分たちが入ってきたというのに、全く反応を示さず、窓の外を見つめたままのライ。
その姿は、共にいた頃とはあまりにも違っていたから。
「どういう、こと?」
真っ直ぐにC.C.を見つめて問いかける。
ライが反応しないことに対してではない。
ライが、どうして。
ルルーシュと共に逝ったはずの彼が、どうして。
「どうしてライがここに……、あの頃と変わらないまま、ここにいるの?ライはあの日、ルルーシュと……」
「そうだな」
C.C.が静かに目を伏せる。
再び開かれた金の瞳はカレンを見ずに、真っ直ぐにライへと向けられた。
「ライはあの日、ルルーシュと一緒に死んだはずだった。スザクの手で、確かに一度こいつは死んだ。だが、こいつは息を吹き返してしまった。私と同じ理由で」
「あんたと同じ理由……?」
「そいつの首にあるだろう?私のこれと同じものが」
「あ……」
自らの前髪を上げ、額を見せたC.C.の姿に目を瞠る。
慌ててライに視線を向ければ、身に着けている白いワイシャツの襟の下――左の首筋に、彼女の額にあるものと同じ赤い印がくっきりと浮かび上がっていた。
それは共にいた頃の彼の首にはなかったものだ。
こんな位置にこんなにもはっきりとある印ならば、隠さなければ見えてしまう。
けれど、あの頃はライの首にこんなものを見た記憶はなかった。
「これ、いつから……」
「そいつが息を吹き返したときからだよ」
淡々と告げられたその言葉に、カレンは勢いよく振り返る。
額から手を下した彼女は、悲しそうな目でライを見つめていた。
「ギアス能力者は、一定の程度までその力を増すと、ギアスを与える力を継承できるようになる。ライは、ルルーシュと出会った時点でその条件を満たしていた」
そこまで言って、C.C.は言葉を切った。
じっとライを見つめたままだった金の瞳が、ゆっくりと伏せられる。
「いや、違うな。その時点で、あいつはこの力を……コードを継承していたんだ」
再び現れた金の瞳は、ライの首の刻印に向けられていた。
その刻印を見つめたまま、カレンは問いかける。
目の前のライではなく、自分の後ろにいるC.C.に。
「継承って、誰から?」
「ライの契約者と考えるべきだろうな」
「契約者?」
「ルルーシュにとっての私のような存在と考えればいい」
それは即ち、かつてライにギアスを与えた人物、ということなのか。
ライは、本人が知らないうちにその人物の力を継承していた。
いいや、この場合、押し付けられていたというべきなのかもしれない。
「この力は一度死ななければ発現しない。だからライも、自分がこの力を継承していたとは気づかなかった。気づかないままあの日を迎えて、ライのコードは発現した。ルルーシュと共に逝くはずだったこいつは、生き残ってしまった」
あの時、あの瞬間、ライは確かに一度死んだ。
ルルーシュと共に、ルルーシュの傍で。
それなのに、ジェレミアの手でC.C.の待つ礼拝堂に運ばれた後、彼は目を覚ましてしまった。
「目覚めたときのこいつは酷かったよ。錯乱して、隣に寝かされたルルーシュに縋りついて、泣いて」
ライが目覚めたとき、淡い希望を抱いたのはC.C.も同じだった。
ルルーシュは、V.V.のコードを奪ったシャルルと接触していた。
ライが知らずにコードを継承していたのならば、ルルーシュもシャルルに押し付けられた可能性があると、それが頭に浮かんだ。
けれど、その希望はすぐに砕け散った。
「だが、何をしてもルルーシュは目覚めなかった。ライだけが、残された」
どんなに呼びかけても、呼吸が戻ることはなかった。
どんなに抱き締めても、その身体に温もりが戻ることはなかった。
ルルーシュは、正真正銘あの舞台の上で息を引き取っていた。
彼らが願った新しい世界への人柱となって、いなくなった。
たった独りで。
「すぐにこいつはルルーシュの後を追おうとした。けれど、コードを継承した人間は不老不死になる。このコードを別の誰かに押し付けるまで、死ねないんだ。首をもごうと、体を焼かれようと、心臓を破ろうともな」
それはきっと、C.C.自身の経験なのだろう。
告げられた言葉は、酷く痛みを感じているように聞こえた。
「何度も何度も身体を傷つけて、それでも死ねないと理解したとき、ライは心を閉じた。それからずっと、ここでこうして空ばかり見つめている」
ライはルルーシュと共に逝くはずだった。
それができなかったとき、ルルーシュを誰よりも大切にしていた彼は、一体どれほどの絶望を味わったのだろう。
『そう考えるとさぁ。やっぱりライ君は幸せだったんだよね』
耳の奥に、数日前に聞いたばかりのロイドの声が聞こえる。
ゼロとしてがむしゃらに生きていたスザクよりも、ライの方が幸せだったと言った男の声が。
『だってそうだろう?彼はルルーシュ陛下と一緒に逝けたんだよ?スザク君は置いていかれたのに』
違う。
置いていかれたのは、スザクだけじゃない。
私たちが知らなかっただけで、ライも置いていかれたのだ。
ルルーシュのいない世界に、一緒に逝くはずだった彼も置いていかれた。
スザクには、ルルーシュから託された願いがあった。
ルルーシュとの約束があった。
その願いを自分の願いにして、それを叶える為に前を向いて生きていた。
けれど、ライには?
共に逝くはずだったライに、ルルーシュが何かを遺しただろうか?
ライにとってもC.C.にとっても、これは想定外なことだった。
そして、これがルルーシュにとっても想定外なことだったなら。
『本当は陛下と一緒に生きたかった彼らにとって、これ以上の幸せはないと思うけどね』
ああ、だったらきっと、ライは全然幸せなんかじゃなかった。
心を閉じてしまうほどの絶望に襲われて、幸せでなんていられなかった。
ルルーシュと一緒にいたいと願っていたライにとって、今のこの世界で生きることが幸せなんて、きっとありえない。
幸せだったのはきっと、ルルーシュの傍に逝くことができたスザクの方だ。
「誰かに……」
声を発したのは、無意識だった。
その声が震えてしまったのも、無意識だった。
けれど、一度口をついてしまった言葉を止めることはできなかった。
「誰かに、力を押し付けようとは思わなかったの?誰かに押し付ければ、人間に戻れるんでしょう?なのに、どうして……」
「ギアスという力を世界に残すことは、ルルーシュが望まない」
C.C.の言葉に、カレンははっと後ろを振り返る。
こちらを見下ろす彼女の顔には、変わらず痛みが浮かんでいた。
「あいつは、この力を私たちで終わらせるつもりだった。その願いを否定する行為は、ライは絶対に取らない。それが、ルルーシュが遺した願いだから」
だから、ライはその行動を取らない。
こんな風に心を閉じても、彼の生きる理由はルルーシュだ。
その彼の願いを否定するようなことはできないのだと、魔女は語る。
「最期の日、あいつは言っていたよ」
真っ直ぐにこちらを見つめていた金の瞳が、逸らされる。
一度目を閉じると、十数年前を思い出すかのように窓の外を仰ぎ、口を開いた。
「スザクには、お前たちと一緒に生きてほしいと。最初はゼロとして生きる理由を押し付けるが、いつかは枢木スザクとして、お前たちと笑って生きてほしいと」
「スザクには……」
たぶん、ルルーシュはそれをスザクに直接伝えたことはなかったのだろう。
彼のことだから、本当の想いは全て自分の胸の中に隠してしまったのだろう。
彼が自分を突き放したときも、同じだった。
本心を語らず、優しい嘘をついて、たった独りでいなくなろうとした、あの時も。
あの馬鹿は、最後の最後で手を結んだスザクにも、同じことをしていたのだ。
「ライ、には?」
カレンの呟きに、C.C.は視線を戻す。
自分を見下ろす少女を、カレンは静かに見上げた。
溢れそうになる涙を必死に堪えて、尋ねる。
「ライには、それを願わなかったの?どうして、ライだけ一緒に……」
「ライを連れて逝くことは、ルルーシュにとって最後の我侭だった」
その言葉に、カレンは驚き、C.C.を見上げた。
金の瞳は自分から外れ、椅子に座ったまま外を見ているライへと向けられる。
「ライはルルーシュの唯一の理解者だった。共犯者だった私とは違う。ルルーシュを包んで守ろうとする、唯一の存在だった。あいつが甘えられる、唯一の人間だった」
C.C.の言葉に、カレンはライへと視線を戻す。
思い出すのは、あの頃。
まだルルーシュとライと、3人で黒の騎士団に居た時代。
ルルーシュがゼロだと知り、彼の騎士でいられた頃のこと。
あの頃のルルーシュは、ライにだけ穏やかな笑顔を見せていた気がする。
ナナリーに向けていたものとは違う、安心したような笑顔を。
「たぶん、ライにとっても同じだ。あいつにとって、ルルーシュは唯一の理解者だった」
ああ、そうだ。
今だからわかる。
ライもそうだった。
ライが本当に安心したような笑みを見せるのは、記憶を取り戻して黒の騎士団に戻ってきた後は、ルルーシュに対してだけだった。
「そんな存在と離れたくない。そんな、ささやかな我侭だったんだ」
自分を唯一守ってくれる人。
疑わずに、信じてくれる人。
スザクもカレンもなることのできなかったその位置に、ライは立っていた。
彼だけは最初からルルーシュを疑わず、信じて包み込んでいた。
ルルーシュの嘘を全てを受け入れて、ただ1人ずっとずっと彼を守っていた。
一度いなくなる前も、戻ってきてからも。
そんな風に、安心できる人と一緒にいたいだけだった。
自分を信じてくれる人と、一緒にいたいだけだった。
それが、ルルーシュの最期の我侭。
世界に嘘をつき続け、嘘の果てに消えた彼が、最後の最後に願った本心からの、ささやかな願い。
全てを捨てて人柱になった彼が、最大の願い以外に唯一最期に求めたもの。
「それなのに、どうしてこんなにも、あいつの願いは叶わないんだろうな」
初めて聞いた、泣きそうなくらいに震えたC.C.の声。
その声を聞きながら、カレンは呆然とこちらを見ないライを見つめた。