最愛の契約者
中編
1週間後、漸く来た連絡は、唐突だった。
「明日夜の10時にアッシュフォード学園に来い。ああ、ゼロの格好で来るなよ。あれ案外暗闇でも目立つんだからな」
電話に出た途端、それだけを告げられて、返事をする暇もなく通話を切られる。
少し怒ったようなライのその声に戸惑いながら、スザクは慌てて変装道具を用意する羽目になった。
自分の正体を知る咲世子に頼んで、私服を一式用意してもらう。
翌日の夜、普段ライが使っているルートで政庁を出たスザクは、周囲に気づかないように注意を払いながら、かつて通っていた学園に足を向けた。
夜の帳が落ち、完全に寝静まった様子のアッシュフォード学園。
フレイヤで消失した部分が再建されたそこは、学生だった頃と変わらない雰囲気を漂わせていた。
いくら任務という建前があったとはいえ、最後に学生としてここを訪れてから、まだ2年も経っていない。
なのに哀愁を感じてしまう自分の心を押し付け、ここで待っているはずの人物を探す。
ふと、電灯の下に人影を見つけた。
彼が現れるときに高い比率で着ている白いショートジャケットと、桃色のシャツ。
深めに被った帽子の下に覗く瞳は、夜の始まりを映したかのような紫紺。
カラーコンタクトをしていないことに驚きながら、スザクは腕を組んで俯いている彼に近づく。
「……えっと、ロイ?」
呼びかけた名前は、彼が記憶を取り戻した際に捨てたと宣言する本当の名前の一部だ。
本来はミドルネームであるそれは、今の彼が偽名として使っているものだった。
顔を上げた彼の紫紺と、スザクの翡翠が絡み合う。
「ああ、来たのか、セブン」
薄く笑って口にされた記号に、思わず眉を寄せる。
スザクがその数字を背負っていたのは、もう1年近く前の話だ。
98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの騎士だった頃に背負っていた称号、ナイトオブセブン。
明らかにそこから取っているその呼び名に、スザクは彼を睨みつけた。
「……その呼び方、嫌なんだけど」
「仕方ないだろう。今の君をあの名で呼ぶわけにはいかないし、僕らの『生前』の名前は出せない」
枢木スザクもライ・エイドも、ダモクレスとの決戦で死んだことになっている身だ。
本来ならば、こうやって外に出ることもままならない。
実際に、スザクはゼロを継いでからプライベートで表を歩くことは一度としてなかった。
「それより早く来い。見つかると面倒だ」
短く一言そう告げると、彼――ライは校舎に向かって歩き出す。
迷いのないその姿に、慌てて後を追った。
「何処に行く気なんだ?」
「地下循環施設」
「地下循環施設って……」
「昔マオがナナリーを閉じ込めていた場所だ」
「でも、あそこは……」
「早く来い。警備員に見つかる」
スザクの言葉を遮ってそう告げると、ライは速度を速め、校舎へと入っていく。
かつて、ルルーシュと2人でナナリーを探し、歩いた廊下。
以前はルルーシュが破ったセキュリティを、今度はライが破り、中へと入る。
降りていくエレベーターに、あの頃のことを思い出し、スザクは無意識のうちに拳を強く握った。
「あ、監視カメラ」
「無効化済みだ」
あっさりとそう言い放ったライは、エレベーターがついた途端、何の懸念もなく通路を歩いていく。
そこに壊れた監視カメラの残骸を見つけて、スザクは目を細めた。
軽く頭を振って浮かび上がった映像を消すと、早足に歩くライの後をついていく。
長くない通路の奥から、すぐに循環施設の扉が姿を見せる。
その扉の前に、誰かが立っていた。
光を弾く、碧の髪。
人の気配を感じたのか、振り返ったその人物の姿に、スザクは目を瞠った。
「漸く来たか。遅かったな」
「C.C.っ!?」
「久しぶりだな、スザク。いや、ゼロと呼んだ方がよかったか?」
以前と変わらぬ、偉そうな笑みで尋ねる魔女の姿に、スザクは呆然と見入る。
その反応が面白かったのか、ますます笑みを深める彼女の姿に、はっと我に返った。
「まさか、僕が契約するのは……」
「安心しろ。私ではない」
スザクが皆まで言うより先に、C.C.がきっぱりと否定する。
その言葉に驚き、スザクはライに向けかれた視線を彼女に戻した。
「言ったはずだぞ。私の契約者は、ルルーシュが最後だ。私はもう、ルルーシュ以外の誰とも契約する気はない」
「そして、僕は契約を結ぶ気はない。僕は、誰にもギアスを与えない」
「え……」
「君と契約をしてもいいという所有者は、この奥に居る」
そう言ってライが視線を向けたのは、目の前にある循環施設の入口。
既にロックは解除されているのか、入室許可のランプを灯すそれを見て、スザクは困惑の表情を浮かべる。
「でも、コード所有者は、もう……」
以前に聞いた話が確かならば、ギアスを与える力を持つ者は、もうライとC.C.しかいないはずで。
この向こうにそれ以外の誰かがいることなんて、ないはずだった。
いるとすれば、あの日、Cの世界に飲まれて消えた、あの古き皇帝だけのはず。
まさかそれが自分と契約する所有者なのかと、眉を寄せた。
その途端、盛大なため息が聞こえ、スザクは視線を動かす。
向けた先には、呆れたといわんばかりの表情を浮かべるC.C.と、不機嫌そうにこちらを見つめるライがいた。
「それより先は、私は答えないぞ」
「答えは君自身で見て来い、スザク。そして、どうするかは自分で決めろ」
ライの言葉に、スザクはもう一度扉を見る。
この向こうにいるのが誰なのか、今の自分には想像もつかない。
けれど、C.C.とライが契約を結ばないと言っている以上、自分の――枢木スザクとしての最期の願いを叶えるためには、その人物と契約を結ぶしかない。
もう一度深くため息をつくと、スザクは意を決したように顔を上げた。
扉の傍のパネルに触れ、閉じられていたそれを開く。
途端に通路に響いたのは、学園の地下を流れる水の音。
水がちょうど滝のように下方に流れる場所であるその奥に、誰かが立っていた。
一歩一歩、その人物に近づく。
薄暗いせいで見えにくかったその姿が、徐々にはっきりしてくる。
それと共に、だんだんと自分の目が見開かれていくのがわかった。
「え……」
最初に認識したのは、襟足までの黒髪。
艶のある、光すら弾くのではないかと思われるその髪の持ち主は、服の上からわかるほど細い。
背を向けて立っているその人物が着ているのは、グレーの上着。
見覚えのあるそれに、スザクは思わず立ち止まった。
「そんな……。まさか……」
言葉が漏れたのは、無意識。
その声が届いたのか、滝の前に立つ人物が、ぴくりと動く。
そのままゆっくりと振り返る彼に、視線が逸らせなくなる。
「そんな、とはご挨拶だな。それが暫くぶりに会った奴への言葉か?」
こちらを見た彼の瞳は、スザクが想像していたとおりの、紫。
アメジストをはめ込んだようなそれと目が合い、その声を聞いた瞬間、スザクはその翡翠の瞳を限界まで大きく見開いた。
だって、そこにいたのは、いるはずのない人。
数カ月前に、自分がこの手で殺したはずの、最後の主にして、最愛の友。
本当は、この世界の誰よりも、大切だった人。
「ル、ルー……シュ……?」
「ああ。久しぶりだな、スザク」
そう言って笑う彼は、紛れもなく、ルルーシュで。
あの時と全く変わらないその姿に、スザクは呆然と立ち尽くした。
「ルルーシュ……?本当に、ルルーシュなのか……?」
「ああ」
「どうして……?だって、あの時僕は……」
見開いたままの目で、自分の手を見つめる。
かたかたと小刻みに震えているその手。
そこに残っている感触は、今でも忘れられない確かなもの。
「俺は、この手で、君を……」
「ああ。お前は確かに、俺を殺した。それは変えようのない事実だ」
「なら、何で……っ!!?」
殺したはずだ。殺してしまったはずだった。
そうだと肯定するなら、何故、彼は今ここにいる?
目の前で、穏やかに笑っている?
スザクの問いに、ふとルルーシュの顔に笑みが浮かんだ。
何かを諦めたような、悲しい笑み。
手を取り合い、同じ道を進み始めた頃からよく見ていたそれに、思わず言葉を止め、息を呑む。
「俺も想定外だったんだ」
ルルーシュの手が、自らの上着の止め具にかかる。
それを外し、深い緑のシャツのファスナーをほんの少しだけ下ろして、開いて見せた。
そこにある、以前にはなかった色を見て、スザクは目を大きく見開いた。
「それは……っ!?」
ルルーシュの胸――鎖骨のすぐ下にある、紅い印。
魔女であるC.C.の額に、魔神となったライの背に宿るものと同じ刻印が、そこに浮き上がっていた。
その印を凝視したまま言葉を失っていると、不意にルルーシュが笑った。
あの、全てを受け入れ、諦めてしまったかのような微笑で。
「V.V.のコードだ。どうやら、あのとき皇帝に押し付けられていたらしい」
そっと自分の印に触れたルルーシュが、目を閉じる。
あのときというのは、きっと、彼がゼロで、自分が古き皇帝の騎士であった最後の時。
Cの世界で、彼の両親と対峙したときのことだろう。
皇帝のギアスは、右手に宿っていて、ルルーシュはその手で首を掴まれ、締められた。
そのときに、渡されていたというのか。
永遠の呪いを持つ、その印が。
「でも、君はギアスを……」
「こっちが発現していなかったからな。継承していても、発現していなければギアスは失われないんだそうだ。まあ、あくまで推測だけど」
知らずにコードを継承し、それが後から発現したなんて前例は、C.C.が知る限りないのだという。
だから確かめようがない。
けれど、それしか考えられなかった。
コードを継承したら、その時点でギアスは失われる。
それはかつてのC.C.が、そしてつい数か月前のライが経験した事実なのだから。
「心臓が止まりかけたとき、こちらが発現したみたいでな。おかげで死に損ねた」
刻印を隠すように手を滑らせ、目を細める。
ゆっくりとこちらに視線を戻し、それが絡み合った瞬間、ルルーシュは綺麗に微笑んだ。
「せっかく、お前の手で逝けると思ったんだけどな」
「……っ!」
それは、衝動だった。
意識なんか、ほとんどしていなくて。
気がついたとき、スザクは階段を飛び越えてルルーシュの前に立ち、勢いのままその体を抱きしめていた。
「ぅわっ!?ス、スザクっ!?」
「……った」
「え?」
「よかった……。ルルーシュ、生きてて……。殺してなくて……」
「スザク・・・?」
不思議そうに名を呼ぶ声に、全員で感じることのできる体温に、目の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。
ぎゅっと目を閉じて、逃がさないように体に回した腕に力を込めて、抱きしめる。
「生きててくれて、本当に良かった……っ!」
がたがたと体が震えているのがわかったけれど、隠す余裕なんてなかった。
声も震えていて、ルルーシュにちゃんと言葉が届いたのかどうかすらわからない。
けれど、その瞬間、背中に今まで感じなかった温もりを感じた。
「スザク……」
名前を呼ばれると同時に、強い力で抱きしめ返される。
少しも痛くないそれは、けれど彼の精一杯だと知っていた。
だからスザクも、抱きしめ返す。
腕の中の愛しい存在の名を繰り返し呼びながら。
もう二度と放さないように、離れないように。