月光の希望-Lunalight Hope-

Re;Stage

2.果たされなかった約束

彼を殺した、あの日。
あの日からずっと、世界は赤かった。

自室で何度も仮面のレンズを磨いた。
けれど、受け取った当初はかなりしっかりと世界を見ることのできたその窓は、何度磨いても元の色を取り戻すことはなかった。
そのうち、仮面をしていなくても視界が赤く見えるようになった。

その頃から、食べ物が喉を通らなくなった。
気持ち悪くて拒否しても、体は自然に食事を求める。
そのたびに彼の『生きろ』という言葉が聞こえて、無理矢理食事をした。
でも、駄目だった。
何度食べても戻してしまって、仕方なくてロイドに頼み、点滴に切り替えた。

けれど、そんな形だけの栄養摂取など、多忙な身に限界だった。

ぐらりと視界が傾く。
足を踏ん張って耐えようとしたのに、力が入らない。
そのまま、『生きていた頃』には自ら起こして感じていた浮遊感というものに感覚を包まれて。
気づいたときには、世界は反転していた。

「ゼロっ!?」

誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。
ああ、早く起き上がらなくては。
平和の象徴である英雄が、こんなところで倒れるわけには行かないのに。
どうしてだろう、体が、動かない。

「ゼロっ!ゼロっ!!……スザクさんっ!!」

昔より大人びた彼の妹の声が聞こえる。
ああ、駄目だよナナリー。
私は枢木スザクじゃない。
枢木スザクはもういないんだ。
彼と一緒に死んだのだから、私はゼロなんだ。

「スザクさんっ!!嫌っ!!しっかりしてくださいっ!!」
「スザクっ!しっかりしてっ!!」

ナナリーの声が、すぐ近くで聞こえる。
もう1人は誰だっけ?
ああ、そうだ。これは、カレンだ。
大丈夫。大丈夫だよ。2人とも。

「ま、だ……」

そう、だって、まだ駄目だから。
私は、死ねないから。

「やくそ、く……果たしてない……」
「スザク……?」

ああ、そんな顔しないで、カレン。
大丈夫だよ。だってまだ、彼との約束を果たしていないんだ。

「ゼロは、平和の象徴に……。人生全てを捧げて、へいわ、に……」

それが、彼の願いだったから。
全てを引き換えにした彼の願いだったから。
だから、私はまだ死ねない。
まだ、約束を果たせていないんだ。

「だからまだ……あえない、から。わたしは……ぼくは、まだ……」

約束を果たさないと、会えないから。
約束を果たさずに会いに行っても、きっと彼は会ってくれないから。
ああ、でも。
会いたいな。一目でいいから会いたいよ。
だって本当はライが羨ましかったんだ。
君に選ばれたライが、君と一緒に逝けたライが、物凄く羨ましかった。

ねぇ、もしも。
もしも今、僕が泣きついたら。
君は、僕に会ってくれるだろうか?

「ルルーシュ……」

そう考えた途端に、急に意識が遠ざかっていった。
必死に『生きていた頃』の自分の名を呼ぶ彼女たちの声が遠くなっていく。

ああ、大丈夫だよ、ナナリー、カレン。
今のは冗談だから。
僕はちゃんと、彼との約束を……。



そこまで考えて、彼の意識は途切れた。
途切れたはずだった。



急に意識が浮上する感覚がした。
ゆっくりと目を開ける。
その瞬間、眩しさを感じて、思わず飛び起きた。

「え……?何で……?」

その途端、視界に入ったものに、固まる。
そこは、ゼロの自室ではなかった。
周囲には彼が用意してくれていったものとは違う家具が置かれていた。

「ここは、どこ……?俺、仮面は……?」

慌てて周囲を見回すけれど、倒れる直前までつけていたはずの仮面はない。
いつもは身に着けたまま寝ているはずの服も、周囲に置かれている様子はなかった。
それを探そうとして慌てて飛び起きて、目の前に飛び込んできたものに大きく目を見開いた。

「え……?」

そこにあったのは、大きな姿見。
備え付けのクローゼットが開けっ放しになっていたらしく、その扉の内側に貼り付けられている鏡に、自分の姿が映っていた。
その姿を見て、思わず固まる。

「何で俺、昔の姿になって……?」

あの日から――ゼロレクイエムから、10年以上の月日が流れている。
今はもう30を越えている自分が、あの頃の姿のままでいられるはずが、ないのに。
今の自分の姿は、どう見ても自室に隠し持っている学生時代の写真の中の自分と同じ姿をしていた。

その事実に凍り付いていると、唐突にサイドテーブルから機械音がして、我に返る。
音を立てているのは、そこに置かれていた電話だった。
それに見覚えがあることに気づいて、はっと周囲を見回す。
そのまま電話を無視すると、窓に駆け寄って中途半端に引かれていたカーテンを勢いよく明けた。
そして、知る。
ここは、今はもう存在しないはずの場所。
第二次トウキョウ決戦の直前までアッシュフォード学園の向かいに存在した、かつて特派が研究室を間借りしていた大学の寮――当時の自分に宛がわれていた部屋だということを。

「どうして……?」

その事実に愕然としていると、一度止んだ電話の呼び出し音が、再び響いた。
驚いて振り返り、思わずその電話を見つめる。
ここに電話をかけてくる人物は、限られていたはずだ。
知っていたのは、自分の上司である2人。
生徒会のメンバーにも緊急連絡用として教えたけれど、外線が直接かかってくることはないから、どちらにしてもブリタニアの関係者のはずだった。
ごくりと息を呑んで、受話器を取る。
そして、慎重にそれを耳に当てた。

「はい」
『スザク君?』

その瞬間、懐かしい名前を呼ばれ、スザクは大きく目を見開いた。
受話器を持つ手が、震える。
だってその人は、もうそんな風に明るい声で自分を呼ぶことはなくなっていたはずの人だったから。
「セシル……さん……?」
『朝からごめんなさい。まだ寝ていたかしら?』
「い、いえ。先ほど起きたところです」
『そう。おはよう。朝から悪いんだけれど、ちょっと来てもらえる?』
「え……?」
その言葉の意味が本当にわからなくて、思わず聞き返した。

ナイトメア開発からフレイヤの資源利用の研究に転向し、ニーナの研究チームの一員になって以来、彼女が自分を呼び出すことはなかったはずだ。
だから、何か問題が起こったのかと身構えた。

『ランスロットの調子がよくなくってね。悪いんだけど、手伝ってもらいたいのよ』

その瞬間、受話器の向こうから告げられた言葉に、本気で思考が止まった。

彼女は、今何て言った?
ランスロットの調子が悪い?
手伝って欲しい?
そんなことは有り得ない。
だってランスロットは、あの最後の戦いの戦闘で大破して以来、再製造されていないはずだ。
そもそも、第7世代以上のナイトメアを造ることは条約で禁止されている。
ランスロットなんて、まさにその筆頭。
製造していることがバレれば、国家レベルで捌かれる重罪だ。
それなのに、彼女は一体何を言っているんだ。
それに、この酷く気安そうな口調。
『ゼロ』に遠慮し、あれ以来彼女がこんな風に自然に話しかけてくれることはなくなってしまったはずなのに。
この口調は、まるで。

思い当たった答えに、思わず息を呑む。
そんな馬鹿な、有り得ない、と思う。
けれど、それなら全てのつじつまが合う。
自分が若返ってここにいる理由も、彼女がこんなにも気安く自分に声をかけてくれる理由も。
その答えが正しいのか否か知りたくて、ほんの少しの間逡巡してから、意を決して尋ねた。

「……セシルさん」
『どうかした?』
「おかしな質問だとは思うんですが、今、何年ですか?」

はっきりと、けれとせ恐る恐る尋ねたその問いに、セシルの「え?」という不思議そうな声が返ってきた。
それに構わず、教えて欲しいと懇願すると、彼女は不思議そうにしながら、けれどもはっきりと答えてくれた。

『皇暦2017年よ』

その答えを聞いた瞬間、スザクは電話を切っていた。
鍵をかけることも忘れ、寮を、大学の敷地を飛び出す。
幸いにも制服のまま寝ていたらしい。
少し皺の寄った制服姿のまま、彼はそのまま向かいのアッシュフォード学園に飛び込み、クラブハウスへと向かった。
自動式の扉が開くことすらもどかしく思いながら中に飛び込み、階段を駆け上がる。

目指すのは、ただひとつ。
この建物にある、彼の部屋だった。

「ルルーシュっ!!」

自動扉が開ききった瞬間、名前を呼んで部屋の中へと飛び込んだ。
その瞬間、中にいた人物が驚き、こちらを振り返る。
最初に目に入ったのは、光を弾く銀髪だった。

「ス、スザク……?」

落胆しかけた瞬間、何よりも聞きたかった声を耳にして、勢いよく顔を上げる。
銀の少年の向こう側――窓の傍に、その声の主は立っていた。
唖然とした様子でこちらを見つめる瞳は、至高の紫。
その周囲にかかる髪の色は、艶やかな黒。
その姿を見た瞬間、何も考えることができなくなった。

「ルルーシュっ!!」
「ほわあああっ!?」

衝動的に床を蹴って、飛びついて、その細い体を抱き締める。
驚いたルルーシュが声を上げたけれど、そんなものは耳に入らなかった。
ぎゅっと抱き締めた体から、確かに熱が、鼓動が伝わる。
それを感じるだけで、この十数年間耐えてきたはずの涙が、止めどなく零れ落ちた。




2009.3.7~3.20 拍手掲載