Re;Stage
1.果たされなかった誓い
それはずいぶん久々に感じた痛みだった。
がしゃんと音がして、剣が床に転がる。
銀色のはずの刃は真っ赤に染まり、その上に更なる紅がぼたぼたと零れ落ちる。
その紅は、すぐ傍に膝をついた少年の胸から零れていた。
背中からも零れる紅は、その刃が少年の体を貫いたことを示していた。
けれど、その場所には少年以外の人間の姿はない。
当たり前だ。少年は、自らその剣で胸を貫いたのだから。
「は……はは……っ」
掠れた笑いが、狭い室内に響く。
胸を押さえ、倒れ込む少年の顔は、笑っていた。
光を弾く銀の髪が、床を濡らす紅の上に散らばり、染まる。
自らつけた傷に触れ、くすくすと力なく笑う。
「凄い凄い……。ふさがらない……」
当の昔に廃墟になったその村の小さな家に、人が来ることはない。
助けがこないのをわかっていてこの場所を選んだのだから当然だ。
徐々に体から力が抜けていく。
視界が暗くなっていく。
聞こえていた音が、聞こえなくなっていく。
それに満足しながら、少年は震える手を動かした。
ずっとずっと外すことのなかった、首から下げられた古ぼけた指輪。
倒れた拍子に床に転がった、裏側に文字の刻まれていたらしいそれを握り締める。
そして、その紫紺の瞳を細め、ふわりと笑った。
一体あれから、どれだけの時を過ごしてきたのだろうか。
どれだけの時、彼を1人にしてしまったのだろうか。
でも、それももう終わり。
今日で全部、おしまい。
ああ、これで漸く会える。
君の傍に還ることができる。
「ルルーシュ……」
名前を呼んだ瞬間、急激に視界が暗くなって、意識が遠くなったような気がした。
それに逆らうことなく、少年はゆっくりと目を閉じる。
数百年ぶりに感じる、幸福な感情に身を任せたまま。
そう、やっと終わったと思ったのだ。
これで、漸く解放されたと、思ったのに。
急激に意識が浮上して、ゆっくりと目を開けた。
その瞬間、徐々に、けれどはっきりと天井を映し出した視界に気づく。
「え……?」
声を漏らした瞬間、ぼんやりとしていた意識が完全に覚醒する。
「何で……?私は目を覚まして……?」
思わず言葉にした瞬間、自分の身に起こったことに気づき、勢いよく跳ね起きた。
そして、自分の体を見て愕然とする。
自分の体は、いつの間にかベッドに横たえられていた。
視線の先には、意識を失う前と変わらない白いワイシャツ。
その胸に、紅い汚れはない。
慌てて触れてみるけれど、痛みも、そこからは完全に消えていた。
「生きて、る……?」
呆然と呟いて、漸くそれを実感する。
その瞬間、一気に湧き上がってきた絶望に、自身の体を抱き締めた。
「生きてる……。何故……どうして……っ!!」
どうして生きているのかわからなかった。
助けられてしまわないように、先に逝った魔女を葬った後、わざわざ人気のないあの廃村まで足を運んだというのに。
あそこでならば、誰にも邪魔されずに死ねるはずだったのに。
なのに、またこうして、目覚めてしまった。
「どうして……。やっと、やっと死ねたと……、これで会えると、思っていたのに……っ」
遠い昔、1人で逝かせてしまった、大切な彼。
その彼に、漸く会えると思った。
彼の傍に、漸く還ることができると思ったのに。
「ルルーシュ……っ!!」
会うことのできなかった大切な彼の名前を呼んで、首から下がっているはずの指輪に触れようとする。
けれど、あるはずのそれがないことに気づいて、更なる絶望が押し寄せてきた。
ああ、もう失くしてしまったんだ。
何もかも、喪ってしまった。
願いも、想い出も、約束の証すらも、全部。
「何を泣いているんだ?」
唐突に、よく知る声が耳を打った。
自分以外誰もいないと思っていた場所から声が聞こえ、無意識に体がびくりと震える。
ゆっくりと顔を上げれば、扉の傍に、いつの間にか1人の少女が立っていた。
遠い昔、ルルーシュがいなくなったその日に脱ぎ捨てたはずの拘束服に身を包み、窓からの光に照らし出されたその少女を認識した途端、紫紺の瞳が鋭くなる。
「……C.C.……」
「漸く起きたと思ったらこれか。幻の美形が台無しだな、ライ」
赤く腫れ上がった目を見て、C.C.が笑う。
腕を組み、壁に背を預けて立つ彼女を、ライはぎろりと睨みつけた。
「……C.C.、君は言っただろう?」
「何をだ?」
「あれで、私たちのコードは消滅したと……っ!これで、私たちの生が終わるとっ!」
「ああ、言ったな」
「なら、何故私たちは生きている!?死んでなんていないじゃないかっ!!」
「何言ってるんだ、ライ。私たちは死んだぞ。だからここにいるんだろう?」
「は……?」
妙にあっさりと放たれた言葉に、ライは思わず目を瞬かせた。
彼女の言っている言葉が、わからない。
人は死んだら意識が消えるはずだ。
集合無意識に溶けて、『個』は消える。
この数百年、魔神として生きたライは、それを嫌と言うほど知っていた。
そして、ライ以上の生を生きているC.C.が、それを知らないはずはない。
なのに、彼女は一体何を言っているのか。
「C.C.?お前は何を……」
「それはこちらのセリフだ。まさか、まだ寝ぼけてるんじゃないだろうな」
「なに……?」
思わず聞き返せば、C.C.は一瞬目を瞠った。
呆れたようにため息をつくと、首だけで周囲を示す。
「周りをよく見てみろ、ライ」
はっきりとそう言われ、ライは周囲を見回した。
そして、漸く気づく。
そこは、先ほどまでいた廃村ではなかった。
いや、それどころか、今いる建物は、最期にいたあの国の造りですらなかった。
徐々に霞んでいた記憶が鮮明になってきて、それと同時にライの紫紺の瞳が徐々に大きく見開かれる。
「……こ、こは……」
そこは、見覚えのある場所だった。
まだ彼が生きていて、仮面を被っていた頃、消え去ってしまったはずの場所。
彼と出会ってからの自分の家だった、大切な場所。
ぐるりとそこを見回していたライは、ふと壁にかかったカレンダーに目を止めた。
その上部に書かれた日付を見て、思わず息を呑み、紫紺の瞳を大きく見開く。
ありえない。ありえるはずがない。
けれど、そこに書いてある数字は、何度目を擦っても変わらない。
「皇暦、2017年……っ!?」
「そうだ。私たちは死ねなかったんじゃない。死んで『戻って』きたんだ」
ふと、C.C.が表情を緩めた。
その顔に、それまでなかった、まるで包み込むような笑みが浮かぶ。
「あいつの生きている時間に、な」
どくんと心臓が鳴った。
今、彼女が『あいつ』と口にする人物なんて、1人しかいない。
それを確信した瞬間、ライは足にかかった布団を跳ね飛ばしていた。
「ルルーシュはっ!?」
「自分の部屋にいる。あいつも……って、おいっ!」
答えを聞いた瞬間、ベッドから飛び出し、靴を履くと、C.C.の静止も聞かずに部屋を飛び出す。
飛び出した直後は、方向がわからなかった。
ほんの少しの間を置いて蘇ってきた記憶を頼りに、かつて親しんだ廊下を駆ける。
少し離れた部屋の傍に来ると、自動であるその扉が開き切るのも待たずに中へと飛び込んだ。
「ルルーシュっ!!」
「っ!?ライっ!?」
名前を呼んだ瞬間、中にいた人物が振り返る。
自分と同じ、白いワイシャツとアッシュフォード学園の制服のズボンを身に着けた、彼。
振り返った拍子に艶やかな黒い髪がさらりと揺れ、驚いた紫玉の瞳がこちらを見た。
その姿を見て、ライは目を見開く。
そして、湧き上がってきたその衝動のまま、驚きの表情でこちらを見る彼――ルルーシュを抱き締めた。
「お前、どうし……ほわああっ!?」
突然抱き締められたルルーシュが、驚きに声を上げる。
強く抱き締められ、顔を真っ赤に染めたルルーシュは、慌てて肩口に顔を埋めているライを呼んだ。
「ラ、ライっ!?一体どうし……」
「生きてる……」
「……え?」
震える声で呟かれた言葉に、ルルーシュは思わず抵抗しようとする手をぴたりと止める。
そして気づいた。
ライの体が、震えている。
唖然とし、すぐ傍に在るはずの彼の顔を見ようと視線を向けて、気づいた。
ライは泣いていた。
らしくもなく体を震わせて、ぼろぼろと涙を零して泣いていた。
「ルルーシュ……生きてる……。よかった。よか……っ」
「……ライ」
漸く感じることのできた体温。
漸く聞くことのできた声。
それが、ずっとずっと封じ込めていた――封じ込めなければならなかったライの心を刺激して、涙が止まらない。
そんなライを最初は呆然と見つめていたルルーシュが、不意にその腕を彼の背中に回した。
そっと、けれど彼の精一杯の力で、抱き締められる。
その懐かしい感覚に、ライは涙を零し続けながら目を閉じた。