Last Knights
Story25 乗り越えた先の未来へ
徐々に慟哭が小さくなり、泣き声が嗚咽に変わる。
ルルーシュの背に回ったライの手が、とんとんとその背を叩いている。
鼓動に合わせ、子供をあやすようなそれに、徐々に嗚咽も収まり始めた。
それでも、ルルーシュは顔を上げない。
ただぎゅっと、ライの服を握り締め、その胸に顔を押し付けていた。
「……ジェレミアさん」
それまでずっと黙っていたライが、唐突に口を開いた。
涙を堪えるように顔を伏せていたジェレミアが、視線を上げる。
顔だけを彼に向けたライの目に、もう涙はなかった。
ただ強い光を浮かべた紫紺が、真っ直ぐにジェレミアを見つめていた。
「あとは、お願いします」
「心得た」
迷うことなく答えれば、ライはにこりと微笑む。
その笑みを浮かべたまま、自分の両脇にいるスザクとC.C.へそれぞれ視線を送った。
それだけで、2人は彼が何を言わんとしているのか理解したらしい。
ライと同じ、強い光を浮かべた目を向け、しっかりと頷く。
「行こう、ルルーシュ」
声をかけられたルルーシュの様子は、ジェレミアからは見ることができなかった。
けれど、声は出さずとも、彼ははっきりと頷いたらしい。
ふわりと笑ったライが、未だ顔を上げようとしないルルーシュからほんの僅かに体を離し、抱き締めていた腕を外す。
未だ自分の服を掴んだままのルルーシュの手を取ると、迷うことなくその手を繋いだ。
そのままルルーシュを促し、部屋を出て行く。
スザクとC.C.も、無言のままそれに続いた。
2人は手こそ繋いでいなかったけれど、その体はルルーシュに寄り添うように彼の傍に在った。
しゅんと軽い音を立てて、扉が閉まる。
それを確認してから、ジェレミアは傍に在ったコンソールを操作した。
中断させていた国際放送を再開させる。
そして、先ほどライが落としたモニターとスピーカーの電源を入れる。
その瞬間、先ほどまで真っ暗だったそこに、光が灯った。
映し出されたのは、数十分前と変わらない、斑鳩のブリッジ。
そこにいる者たちが、皆が複雑な表情を浮かべ、あるいは泣いていた。
「お待たせして申し訳ない」
『い、いや……』
答える星刻の声に、先ほどまでの覇気はない。
当然だ。
これでモニターを落とす前と同じ反応をされたなら、ジェレミアは今度こそ彼らを信用できなかっただろう。
何故なら、斑鳩との通信は、繋がったままだったのだから。
ジェレミアは確かに中継用のシステムを切断した。
中継システムはこの基地にあるから、こちらを落としてしまえば、斑鳩から発信されることはない。
対してライがやったのは、斑鳩と繋がった通信装置のモニターとスピーカーを落としたことだけ。
カメラは、ずっと回っていた。
つまり、先ほどのルルーシュとのやり取りは、全て斑鳩のブリッジに届けられていたのだ。
真っ直ぐにこちらを見ることのできない黒の騎士団を、ジェレミアは見つめ返す。
その琥珀の瞳に、静かな怒りを浮かべたまま、真っ直ぐに。
「こちらの要求は、先ほどラインハルト・ロイ・エイヴァラルと枢木スザクが伝えたとおりだ。良い返事を期待する」
『ええ、わかりました』
ほとんど間を置かずに答えを返したのは、星刻ではなかった。
ジェレミアの、星刻に向けていた視線が動く。
その先に立っていたのは、1人の少女。
スザクに似た、大きな翡翠の瞳に涙を溜めた神楽耶だった。
必死にそれを耐えている彼女の顔は、目は、真っ直ぐにこちらに向けられている。
『わたくしたちを解放してくださった方々は、必ずそちらに送り届けます。ブリタニアが全ての植民地を解放したなら、我々超合集国は、必ずルルーシュ陛下を、彼が代表を務める貴国をお迎えいたします』
体の前で揃えられた手が、ぎゅっと握られる。
僅かにその小さな体が震えている。
けれど、その瞳がジェレミアから逸らされることだけは、ない。
『そして、わたくしたちは、もう一度この世界を、現実を見つめ、より良き道を選び取る努力をします』
向けられた瞳に宿るのは、涙だけではなかった。
強く輝く、光。
ライの、スザクの、そしてルルーシュの瞳に宿るものと同じ、意志の光が、そこにあった。
『決して誰かの意見に流されず、誰かに責任を押し付けることはしません。自らの言動の責任は、必ずわたくしたち自身で取ります』
それが、神楽耶の答え。
自らの選択の意味を悟った彼女の、ライの問いに対する答え。
彼女は認めた。
今までは、誰かの言葉に流されてきたのだと、誰かに責任を押し付けてきたのだと。
その上で、はっきりと言葉にする。
これからは、そんなことはしないと。
罪を、責任を自覚し、自らの足で歩いていくと。
「その言葉、偽りないと受け取ってよいですな?」
『はい。皇神楽耶の名に誓って』
「わかりました」
ジェレミアが、その琥珀色の瞳を伏せる。
その顔に、本当に微かに笑みが浮かぶ。
かつて、ゼロの妻だと名乗っていた少女。
彼女だけでも、ルルーシュの本質を見つめ、未来を歩き出そうとしてくれている。
まだ、全てが始まったばかりだ。
だから、今はそれだけで十分だと自分に言い聞かせて、会談を終わらせようと口を開こうとした、そのときだった。
『ジェレミア卿。ルルーシュ陛下に、伝えていただけますか?』
「何ですかな?」
神楽耶の問いに、ジェレミアは顔を上げる。
ふっと笑みを浮かべた神楽耶は、目を逸らすことなく、口を開いた。
『今まで、私たちを導いてくださって、ありがとうございました』
はっきりと伝えられたその言葉に、ジェレミアは僅かに目を見開く。
けれど、それは一瞬だった。
薄い笑みをほんの僅かに深めると、真っ直ぐに神楽耶を見つめ、答える。
「この言葉、しかと受け取った。必ずルルーシュ陛下にお伝えしよう」
『よろしくお願いいたします』
モニターの向こうの神楽耶が、深々と頭を下げる。
その彼女に対して黙礼をすると、ジェレミアは今度こそ、会談を終わらせるために口を開いた。
ライに手を引かれたまま、廊下を歩く。
泣き腫らし、真っ赤になった目を見られまいと、ルルーシュはずっと俯いていた。
少し目線を上げれば、傍で揺れる銀髪が目に入った。
そのまま視線を右へずらせば、すぐ傍にいるスザクが微笑む。
反対側へと視線を向ければ、今度はC.C.が微笑んだ。
泣きすぎたために、頭はまだ少しぼんやりとしている。
ただ、2人の笑顔に、浮かんだ温かさ以外の他意はないということだけは何となく理解して、ぎこちなく微笑み返した。
ますます笑みを深める2人に、何か答えなければならないと思った、そのときだった。
「お兄様……っ!?」
耳に届いた声に、ルルーシュは大きく目を見開いた。
勢いよく前を見る。
立ち止まったライの向こう、正面の廊下に、2人の少女がいた。
1人は桃色の髪を持つ少女。
今はパイロットスーツに桃色のマントを羽織っただけの前皇帝の騎士。
もう1人は、その少女に車椅子を押された、亜麻色の髪の少女。
「ナナリー……?」
ここにいるはずのない最愛の妹の姿に、ルルーシュは呆然とその名を呼ぶ。
その瞬間、驚きの表情を浮かべていたナナリーの顔が、くしゃりと歪んだ。
車椅子が急に動いて、アーニャが慌てて手を放す。
ルルーシュの手から、ライの手が離れた。
それに驚く間もなくライが自分の前から退いて、代わりにナナリーが目の前に現れる。
「お兄様っ!!」
「ナナリーっ!?」
車椅子を急停止させ、その反動を使ってナナリーが飛びついてくる。
それを見た瞬間、ルルーシュは慌てて腕を差し出した。
それは、ダモクレスの空中庭園では許されなかったこと。
あの時のように倒れてくるナナリーの体を、しっかりと抱き止め、そのまま膝をつく。
腕の中で嗚咽を漏らすナナリーを呆然と見つめてから、ルルーシュは後ろを振り返った。
すぐ傍にいたライと視線が絡み合った瞬間、ライがふっと微笑む。
「アールストレイム嬢はジェレミアさんが、ナナリーは僕らが連れてきたんだ。ダモクレスに残してなんておけないだろう?」
ジェレミアとアーニャの間に何があったのかは、ライたちも知らない。
けれど、それが彼女にかけられていたギアスに関係していることは、何となく察していた。
「お兄様……、お兄様、ごめんなさい……っ!」
呆然とライを見上げていたルルーシュは、その声にゆっくりと腕の中で泣きじゃくるナナリーを見下ろす。
ただごめんなさいと繰り返す妹に、紫玉の瞳を細めた。
「どうして、お前が謝るんだ?お前は何も悪くないだろう?悪いのは、全部俺だったんだから」
「いいえ!私が悪いんです!私が……っ!」
ナナリーはぶんぶんと首を振る。
その手はルルーシュの服を掴んだまま、決して放そうとはしなかった。
「私、ずっと気づかなかった!ずっと一緒にいたのに、何も……っ」
漸く開いた薄紫の瞳から、ぼろぼろと涙が零れる。
ぎゅうっと服を掴んでいる力に、さらに力が入れられる。
「お兄様は、ずっと私を守ってくれていたのに、ずっと、愛していてくれていたのに!私、お兄様が辛い思いをしていたことも知らなくて、ずっとお兄様に頼ってばかりで……っ。お兄様がいることだけで満足して、世界を見ようなんて思わなくて……っ!ずっと、ずっと……っ!」
「いいんだ、ナナリー。お前は悪くない。そういう風に仕向けたのは、俺なんだから。お前は、何も悪くないんだ」
「……っお兄様っ!!」
抱き締めて慰めようとしたその瞬間、それまで揺れていた薄紫がきっと鋭くなった。
悲しみに染まっていた顔に、怒りが浮かぶ。
「どうしてですか!?どうしてお兄様はそうやって、いつも1人で勝手に決め付けて!勝手に全部背負い込むのっ!?」
「え……?」
ナナリーの怒りの理由がわからなくて、思わず聞き返す。
その途端、涙に濡れた顔が、再び歪む。
怒りでも悲しみでもなく、痛みを浮かべたその顔。
それに気づき、驚いたルルーシュが声をかけるより先に、俯いたナナリーが口を開いた。
「私は、私は確かに今まで、お兄様の足枷にしかなりませんでした。目も見えない私は……、見ようとしなかった私は、お兄様の重荷でしかなかった……っ」
「それは違う、ナナリー」
「いいえ!違いません!」
ぶんぶんと大きく首を横に振って、ナナリーは否定しようとしたルルーシュの言葉を遮る。
それは、ナナリーが心の奥底でいつも感じていたもの。
必死に押し隠し、表に出すまいと閉じ込めてきた心。
表に出してしまったら、それこそ兄の重い荷になってしまうと思っていた。
けれど、そんなことは自分を誤魔化すための言い訳でしかなかった。
そんな言葉で誤魔化して、ずっとずっと目を逸らし続けてきた。
「私……、私はずっと、お兄様に押し付けていたんです……っ。自分は、怖いからって逃げて、ずっとお兄様に押し付けていた……っ。お兄様がどんなに苦しんでいたか、気づきもしないで!だから、だから私……っ」
ナナリーが顔を上げる。
その瞳に涙は溜まったままだったけれど、その表情は、瞳に宿った光は、先ほどとは違っていた。
「私が……、私も……っ、お兄様の居場所を創ります……っ!今まで守ってくれたお兄様を、私も守ります……!今度こそ、お兄様の傍で、私……っ」
自分に居場所をくれた兄に、今度は自分が。
ずっとずっと守ってくれていた兄を、今度は自分が。
創るのだ、守るのだ。
自分にできることは少ないと知っているけれど、それでも。
この誰よりも残酷で、誰よりも優しい人を、今度こそ。
「大好きです、お兄様!愛しています……!だから、だから、いなくならないで……っ!私を、独りにしないで下さい……っ」
再びルルーシュの胸に顔を押し付けて、ナナリーは嗚咽を漏らす。
もう何処にも行かないでと、ルルーシュの服を掴んだ手を、強く強く握り締めて。
「ナナリー……」
呆然と妹の名を呼んだルルーシュの肩に、ふと誰かの手が置かれた。
驚いて振り返れば、そこにいたのはライだった。
紫紺の瞳と目が合った途端、ライはふわりと微笑んだ。
「ルルーシュ」
「……ああ、そうだな」
ただ名前を呼ばれる。
それだけで彼の言いたいことを悟り、ルルーシュは微笑んだ。
それは、まだぎこちないものだったけれど。
それでもライが、彼の後ろにいるスザクとC.C.が、笑ってくれたから。
「ありがとう、ライ。ありがとう、スザク。ありがとう、C.C.」
嘘偽りない言葉を伝えれば、ライの、スザクの、C.C.の笑みが深くなる。
それにもう一度微笑み返してから、ルルーシュは腕の中で泣きじゃくる最愛の妹へ視線を戻した。
「ありがとう、ナナリー。愛してる」
はっと顔を上げ、そのまま伸ばされた腕を、ルルーシュが拒むことはもうなかった。
ただ自分を放すまいと、必死に縋りついてくるナナリー。
幼い頃から、ずっとずっと大切にしてきた、宝物。
泣きながら自分を抱き締めてくれる最愛の妹を、ルルーシュも優しく抱き締めた。
ああ、俺は、最初から世界のノイズで、邪魔者で。
だから、ここにいてはいけないはずだった。
生きているふりをしているだけの俺が、世界にいてはいけないはずだった。
ずっとずっと、そう思っていた。
だけど。
こんなにも、認めてくれる人たちがいる。
こんなにも、愛してくれる人たちがいる。
それがこんなにも、幸せなことだなんて、知らなかった。
いいや、違う。知っていたのに、気づいていないふりをしていた。
そんなことは、自分に許されることではないと思っていたから。
それでも、彼らは手を伸ばしてくれたから。
この世界にいることを、許してくれたから。
だから。
2014.9.27 加筆修正