Last Knights
Story21 共犯者
ふっと意識が浮上する。
ぼんやりと目を開けると、見慣れない天井が目に入った。
いや、ここ最近過ごしている場所はどこもまだ慣れなくて、その全てが見慣れぬ場所であるのだけれど、今目の前にいるのはどう見ても始めてみる天井だ。
「目が覚めたか?」
不意に隣から声がして、視線を動かした。
ベッドのすぐ傍の椅子に、誰かが座っている。
未だぼやけている視界がはっきりする前に、その髪の色でそれが誰だか判別できた。
「C.C.……?」
徐々に輪郭が見えてくるその人物は、確かにずっと共にいた共犯者だ。
ほんの僅かに頬を緩めた彼女は、椅子に腰かけ、ベッドに肘をつき、両手で頬杖を突いてこちらを見つめていた。
「ここは、何処だ?俺は、一体……?」
「ここはオダワラ基地の宿舎だ。お前は、ライに負けたんだよ、ルルーシュ」
C.C.の口から出た名前に、一瞬思考が止まる。
「……ライ、に?」
それは、ありえない人物の名前。
C.C.以外でただ1人、ずっと自分を疑わず、共に歩いてきてくれた誓約者。
その彼に、自分が負けたとは、一体どういう……。
そこまで考えて、ルルーシュはその紫玉の瞳を瞠った。
頭にかかっていた霞が、一気に吹き飛ぶ。
その瞬間、目の前に浮かび上がったのは、信じたくない光景。
ライが、自分に銃を向けたという、事実。
まるで1年前のスザクを思い出させるその光景に、ぎりっと唇を噛み締める。
そのまま、弾かれたように勢いよく跳ね起きた。
「……っ戦いは!?ダモクレスはどうなった!?」
「戦いは終わった。今は一時休戦中だ。ダモクレスは、そろそろ月くらいは越えたんじゃないか?」
「どういうことだっ!?」
「さっきから叫んでばかりだな、お前」
「いいから答えろっ!!」
淡々と、ただ結果のみを口にするC.C.に焦れ、怒鳴りつける。
それにやれやれと言わんばかりにため息を突くと、彼女は体を起こし、椅子に座り直した。
「ナイトオブゼロが停戦命令を出した」
その言葉に、ルルーシュは息を呑む。
ナイトオブゼロ――それは、ライとスザクを示す称号。
それが停戦命令を出したということは、やはり、あの時ライはギアスを使ったのか。
そして、自分はそれに捻じ伏せられたのだ。
「お前がライのギアスに抗いきれずに意識を失った後、ライが軍を小田原まで撤退させた。スザクを説得した上でな」
「ダモクレスは……っ!?」
「ダモクレスはあのまま急上昇させ、宇宙に出した。今は当初の予定どおり、太陽に向かっている」
「シュナイゼルは、どうした……っ!?」
「この基地の収容所に投獄した。フレイヤで世界を強制的に従わせ、真の独裁を行おうとした罪で、な」
C.C.の言葉に、ルルーシュはその紫玉の瞳を見開いた。
彼女の言葉は真実だ。
それがわかっていたからこそ、ルルーシュはニーナを見つけ出し、こちら側に引き込んだ。
フレイヤを創った彼女なら、誰よりも確実にそれを無力化する装置を創ることができると確信していたから。
だが、それは全て自分たちの推測の上でのもの。
証拠となるものは、何ひとつ用意していなかったはずだ。
「世界が、それを信じたのか?ライの言葉だけで!?」
「あいつの言葉だけではない。スザクが、カノン・マルディーニを自白させた」
その言葉に、今度こそ息が止まるかと思った。
紫玉の瞳が、ますます大きく見開かれる。
それに気づいているのかいないのか、それとも気づいていないふりをしているだけなのか、C.C.は言葉を止めることなく、淡々と結果のみを口にし続ける。
「国際中継で、あの男は語ったよ。シュナイゼルがフレイヤで世界を支配しようとしていた事実を。皇帝という地位の簒奪を考え、スザクにシャルルの暗殺を指示していたことも、全てな」
「スザクが、出たのか?カメラの前に!?」
「ああ」
「馬鹿なっ!?どうして!?」
計画では、スザクはこの決戦で『戦死』するはずだった。
死んだふりをして表舞台から姿を消し、ゼロという仮面を継いで、最後に独裁者となったルルーシュを殺すはずだった。
望んでその役目を引き受けたスザクが、何故今更ゼロレクイエムを否定するような行動に出たのか、わからない。
だって、それを――ルルーシュが死ぬことを一番望んでいたのは、スザク自身のはずだ。
誰よりもルルーシュを殺したいと、ユーフェミアの仇を取りたいと願っていたのは、スザクのはずだったのに。
「ライがあいつを説得した」
その答えに、ルルーシュははっと顔を上げる。
そして気づいた可能性に、ぎゅっと拳を握り締めた。
ゼロレクイエムは、ルルーシュとスザクの約束だ。
それを止めるには、ルルーシュだけではなく、スザクも止めなければならない。
2人のどちらか一方でも実行するという意志が残っているなら、手段さえ変えれば、計画を完遂させることは不可能ではないのだから。
あのライが、それを失念するはずがない。
「ライがあいつ自身の本心をぶちまけて、スザク自身も気づいていなかったスザクの本心を引き出した。そのうえで、あいつらは言ったよ」
動揺するルルーシュに構わず、C.C.は続ける。
まだほんの数時間前の、けれど確かに存在したあの瞬間。
スザクが、そして自分が、己の中の『真実』に気づいたあの瞬間に、ほんの少しだけ思いを馳せると、真っ直ぐに揺れている紫玉の瞳を見つめ、言った。
「ルルーシュ。お前が生きている『明日』がほしいとな」
はっきりと告げられたそれに、ルルーシュは言葉を失った。
紫玉の瞳が、無意識に大きく見開かれる。
ベッドに座り込んだままの体が、がたがたと震えた。
「気づいたスザクは、ライを止めようとしなかった。それどころか、ライが声をかけただけで、積極的にあいつを手伝った」
「そんな馬鹿な……。だってスザクは……っ!」
ゼロレクイエムを一番望んでいたのは、スザクなのに。
他人に優しくなれる世界を――争いのない世界を望んでいたのは、あいつなのに。
「スザクは、ユフィの願いを叶えるために……っ」
「そのユーフェミアの真の願いも、あいつは思い出したんだ」
ぴたりと、ルルーシュが動きを止める。
C.C.の姿を目に入れまいと、必死に逸れられていた紫玉が、ゆるゆると彼女に向けられる。
「ユフィの、真の願い……?」
呟くように発せられた声は、震えていた。
不安、戸惑い、恐怖。
冷静さを失うほどの負の感情に呑まれかけているその瞳を見て、C.C.は目を細めた。
「笑顔が見たいだけなんだそうだ」
「え……?」
「今大好きな人と、かつて大好きだった人の笑顔が見たいだけなんだそうだ」
スザクが語った、ユーフェミアの願い。
死を覚悟した戦場から戻ったスザクに、手を差し伸べた彼女が告げた言葉は、ただそれだけだった。
理想の国家とか大儀とか、そんなことは関係なく、ただ大切な人の笑顔が見たい。
その大切な人とは。彼女が言った、大好きだった人とは。
「スザクと、お前のことだろう?ルルーシュ」
ルルーシュの紫玉の瞳が見開かれる。
体の震えが、徐々に目に見えてわかるほど大きくなる。
自身の体を抱き締めなれば耐えられないほどのそれに、ルルーシュはがっくりと首を落とした。
『私にとって、本当に大事なものはなんだろうって。だからルルーシュ、私は、本当の本当に大切なものは、ひとつも捨てていないわ』
頭の中に蘇るのは、あの日のユーフェミアの声。
ああ、そうだ。知っている。
彼女は、誰よりも優しくて、誰よりも強かった。
『ただのユフィなら、一緒にやってくれる?』
地位を捨てて、名を捨てて、それでもナナリーのために道を開こうとしてくれた異母妹。
笑顔で手を伸ばした彼女は、いつだってとても優しくて、とても強かった。
そんな彼女を殺してしまったのは、俺だ。
彼女の望まぬ命令を下して血に染めて、命を奪ったのは、俺なのだ。
だから俺は、許されてはいけない。
彼女の未来を閉ざした俺が、彼女とスザクの望んだ未来を奪った俺が、彼女に好きだなんて言ってもらう資格は、疾うにないのに。
「なあ、ルルーシュ。もう許したらどうだ?」
唐突に聞こえた共犯者の声に、ゆるゆると頭を上げる。
視線を上に向けた途端、ただ静かに自分を見つめる金と目が合った。
「……許す?誰を?」
「お前自身をだ」
その瞬間、びくりと、一際大きく体が震えた。
大きく見開かれたままの瞳が、動揺に揺れる。
「何を……。俺は……っ!」
「犯してしまった罪への、喪わせてしまった者たちの贖罪か。それもいいだろう。だがな、ルルーシュ」
C.C.が、真っ直ぐにルルーシュを見る。
朝日の光を映したような色を持つその目が、すうっと細められた。
「お前は、残される者たちのことを、一体どう考えていた?」
「え……?」
言われた言葉の意味がわからないと言わんばかりに自分を見上げるルルーシュに、C.C.は小さくため息をつく。
そのままゆっくりと立ち上がると、ベッドの傍に寄り、未だそこに座り込んだままのルルーシュを見下ろした。
「巻き込む巻き込んだの問題でも、罪を背負わないように策を練ったという問題でもない。この世界に残される人間の気持ちを、どう考えていた?」
ギアスの支配下に堕ちたのではない、自らの意志でルルーシュと共に歩くと決めた者たち。
ただ心から笑い合っていられた、彼の大切な友人たち。
敵となっても尚、彼に恋心を抱く少女。
彼を大切にし、彼を止めたいが故に、罪に手を伸ばそうとした、彼の妹。
自らの想いに蓋をし、終焉を共に歩く覚悟をしていた翡翠の少年。
そして、ただ彼と共に生きるためだけに、あんなに望んだ眠りを捨て、再び世界に戻った銀の少年。
その人たちの気持ちを。
彼の回りにいた人たちの気持ちを。
「お前を大切に思う、私たちの気持ちは、どう考えていたんだ?」
真っ直ぐに紫玉の瞳を見つめ、問いかける。
「お前たちの、気持ち……?」
呆然とこちらを見上げているルルーシュの口から、ぽつりと言葉が零れた。
その様子から察する。
この男は、今までそんなことは欠片も考えていなかったのだ。
ただ罪を背負って、全ての負の感情を背負って、世界から消える。
そうすることで、誰もが幸せになれる世界が創れると、信じている。
そうやって自分が消えても、悲しむ人間などいないと、思い込んでいる。
そうしなければ、ギアスで人の意志を捻じ曲げ、命を奪い続けてきた自分を許せないから。
「ユーフェミア、シャーリー、ロロ。3人を喪ったとき、お前は言ったな。喪いたくなかったと」
口にした名前に、再びびくりと体を震わせたルルーシュに、目を細める。
今にも消え入りそうな声で3人の名前を呟く彼に、もう一度問いかけた。
「私たちも同じ気持ちだと、お前は思わなかったのか?」
ルルーシュを喪いたくない。
ルルーシュと共に生きたい。
そう思う人間が、1人もいないはずがない。
本当のルルーシュを、そのほんの一部でも知っている人間が、悲しまないはずがないのだ。
それを、この男はわかっていない。
いや、違う。
わかっていて、気づかないふりをしているのだ。
「……俺には、そう思われる資格なんて、あるはずが……」
「こういうのは、資格どうこうの問題じゃないだろう」
C.C.の言葉に、俯いていたルルーシュはゆるゆると顔を上げた。
静かな光を浮かべた金と、動揺に揺れる紫玉が交わる。
「人が人を想うのに、資格が必要か?大切なものを喪いたくないと思う気持ちを持つことに、資格がいるのか?」
動揺に揺れる瞳が、見る見るうちに見開かれる。
暫くぶりのその表情に、C.C.は込み上げる笑みを抑えることに、ほんの少しだけ必死になった。
ゼロであった頃は、C.C.は何度もこんな風にルルーシュに疑問をぶつけては、彼を驚かせたことがあった。
皇帝になってからは、その数は極端に減った気がする。
何かを諦めたような表情を多くするようになったルルーシュとそんなやり取りをしようという気が、起きなかったからだ。
だから、久しく見ていなかったその表情に、懐かしさを覚えてしまうのは仕方のないことだった。
温かいその感情に、C.C.は一度目を閉じる。
それはルルーシュと契約し、彼と共に過ごすようになってから感じるようになったもの。
長い長い時の中で忘れ去ってしまった、けれどルルーシュが思い出させてくれた感情だった。
それが、自分にとってどれだけ大事なものであるのか、知っている。
いや、違う。
気づいたのだ、彼の言葉で。
「私とスザクは、ライにそれを気づかされた」
ただ1人、ルルーシュの生きる世界を、望み続けた彼に。
ルルーシュと共に生きるためだけに、過去を受け入れ、一度は呪ったその力を己の意志で完全に制御した、彼に。
嘘偽りのない本心だけを叫び続けた彼に、気づかされた。
自分の中にあった、ずっと見ないふりをしていた、『真実(ほんとう)』の想いに。
「お前を喪いたくない。お前と共に生きたいと、そう思ったんだ、ルルーシュ」
ずっと無表情でルルーシュを見下ろしていたC.C.が、ふわりと笑った。
それを見た瞬間、ルルーシュはそれまでとは違う驚きに目を瞠った。
「C.C.、お前……」
それは、この2年に満たない付き合いの中で、ルルーシュが初めてみる表情。
含みも何もない、Cの世界で見た、ギアス能力者になったばかりの彼女が浮かべていた、柔らかい笑みだった。
「だから、生きろルルーシュ。私に笑顔をくれると言うのなら、生きてくれ」
呆然と自分を見つめるルルーシュに向かい、C.C.が手を伸ばす。
いつかのように、ゆっくりと。
いつかのような辛そうな笑顔ではなく、暖かな笑顔を浮かべて。
「お前がいなくなったら、私は笑えないよ」
そう言って微笑むC.C.から、目が逸らせない。
この共犯者が、こんな風に穏やかに微笑むということを、自分は知らなかった。
これも、全て彼が引き出したというのか。
ライが、最後の最後で自分を裏切った彼が。
ふいっと、ルルーシュが視線を逸らし、俯く。
込み上げてくる感情を、拳を握ることで心の底へと押し込める。
彼女のくれた言葉は、笑顔は、想いは、とても温かくて、縋ってしまいたいとすら思った。
けれど、それは許されることではない。
自分は、許されてはいけない。
「……ライは?」
「ん?」
「ライは……、ライとスザクは、どこにいる?」
再び絡み合った視線に、C.C.はそれまで浮かべていた笑みを消し、目を細める。
痛みを浮かべた紫玉。
本当の想いを全て閉じ込め、吐き出すことを拒むそれに、C.C.はため息をつく。
それと同時に、悟っていた。
これ以上、自分が何を言っても無駄だ。
ルルーシュの孤独を本当の意味で知っているのは、ただ1人。
その彼に、任せた方がいい。
ルルーシュの死を一度は容認した自分では、彼の心を解きほぐすことは、きっとできないから。
「あいつらなら通信室で仕事中だ」
「わかった」
淡々と一言、そう返すと、ルルーシュベッドから降りる。
少し皺になってしまった皇帝服を伸ばし、手櫛で髪を整えると、C.C.を振り返ることなく扉へと向かう。
「少し、話をしてくる」
「待て」
そのルルーシュを、C.C.が止めた。
何かと思って振り返れば、真っ直ぐにこちらを見つめていたC.C.が傍へと寄ってくる。
「私も行く」
「ついてくるな」
「なら勝手に通信室に行くだけだ」
はっきりとそう返した彼女に、ほんの少しだけ目を瞠った。
けれど、それは一瞬。
すぐに視線を逸らすと、口元に小さく笑みを浮かべる。
「……勝手な奴だ、相変わらず」
「当然だ。私はC.C.だからな」
もう既に何度も聞いている、聞き慣れた言葉。
暫くぶりに聞いた気がするそれに、視線だけを彼女に向ければ、彼女は笑っていた。
いつもの――そう、いつも見ていた、魔女の笑みで。
2014.9.27 加筆修正