Last Knights
Story20 契約
ぐいっと、ライが黒い制服の袖で自身の涙を拭う。
少し腫れて赤くなった目は、けれども光を失うことはなかった。
強い、意志を持った紫紺の瞳。
その瞳が、スザクの腕に抱かれるルルーシュを、見つめる。
「これは僕のエゴだ」
唐突に口を開いたライに、スザクは真っ赤になった目はそのままに顔を上げる。
いつの間にか顔を伏せていたC.C.も、彼の言葉に顔を上げた。
「僕は、ルルーシュに、傍にいて欲しい。いなくなって欲しくないんだ」
家族を死なせ、記憶を捨てた自分に、再び色をくれた人。
こんなにも世界に色があることを教えてくれた、本当は誰よりも優しい人。
そのルルーシュを、喪いたくない。
喪うことなんて、受け入れられるはずがない。
だから、あの日に決めた。
ルルーシュが死ぬために生きるつもりならば、自分はそれを阻もうと。
「ルルーシュを生かすためなら、僕は何だってやり遂げてみせる。世界だって、変えてやる」
「ライ……!」
「お前……」
ライの言葉に、スザクが息を呑み、C.C.が目を細める。
2人の反応に、ほんの少しだけルルーシュから視線を外したライが、微笑む。
その視線はすぐにルルーシュに戻り、その顔からは笑みが消えた。
「これは、僕らの否定したあの男の望みと、同じ望みなのかもしれない。僕は、自分に優しくありたいだけなのかもしれない」
自分に優しくありたいと願い、過去を求めたシャルルとマリアンヌ。
個人のエゴでルルーシュを生かそうとしている自分は、もしかしたら彼らと何の変わりもないのかもしれない。
だって、ルルーシュを生かそうとしているのは、ルルーシュのためではない。
ライ個人がルルーシュを喪いたくないと願っているから、彼を生かそうとしているのだ。
それがルルーシュの意志に反することだとも、ライの我侭でしかないのだということも、わかっている。
けれど、それでも、僕は。
「それでも、僕はルルーシュのいる明日が欲しい」
ルルーシュの、生きている明日を。
ルルーシュが、生きて笑っていられる明日を。
ルルーシュと、共に生きられる明日を。
それが、ライがC.C.の呼び声に答え、世界に戻ってきた理由。
そのために何だってすると誓ったあの日から、ずっとその想いだけで走り続けてきた。
そのためだけに、進み続けてきた。
「ゼロレクイエムほど、劇薬になる計画は思いつかない。けど、それでも、できるはずなんだ。だって、既存の世界はもう壊れているんだから」
世界は、この数か月でその形を大きく変えた。
世界の三分の一を占めているブリタニアと、その他の国々という構図だった世界は、既にない。
ブリタニアの支配下にない国は、ゼロの呼び声に答え、超合集国として纏まった。
そしてブリタニアも、もう過去のブリタニアのままではない。
貴族制度の廃止、ナンバーズの解放――ルルーシュの施した様々な政策が、それまで続いていたブリタニアを壊した。
基盤は、既にできているのだ。
全てルルーシュが、たった1人で組み上げた。
その土台がある今なら、できないはずがないのだ。
「だから、何年かかったとしても、必ずやり遂げてみせる。ルルーシュが全てを背負って消えなくてもいい方法で、この世界を変えてやる」
その土台を元に、今の地位を武器にしてでも、やり遂げる。
そのための力も知識も、ライにはあるから。
かつて王であった経験と、あの研究所で強制的に注ぎ込まれた知識を最大限に活用して、必ず世界を変えてみせる。
「死なせてなんかやらない。ルルーシュ1人に背負わせてなんかやらない。押し付けてなんかやらない。……独りになんて、してやらない」
たとえ、ルルーシュがそれを望んだとしても。
絶対に、彼を独りになどしない。
「悪魔と呼びたければ呼べばいい。狂王と罵りたければ罵ればいい。それでも、僕は譲らない」
はっきりとそう宣言するライの紫紺の瞳に浮かんでいるのは、強い意志の光。
決して折れることのないそれに、スザクはごくりと息を呑んだ。
すごい――素直に、そう思った。
ルルーシュと再会して以来、スザク自身もいろんな人に出会い、別れてきた。
けれど、こんなにも強い意志を宿した目をした人は、見たことがない。
ルルーシュもユーフェミアも、意志の強い人だと知っている。
けれど、目の前の少年が持つそれの比ではない。
それほど強い想いを、意志を、持っているのだ。このライという少年は。
もしも、自分もこんな風に生きられていたら。
たったひとつの想いのために、ルルーシュの全てを受け入れる強さを持っていたら。
今日という日は、別の形で存在していたのだろうか。
過去は、変わらない。
もしも、なんて考えに、意味はない。
この1年強の間に、それは嫌というほど思い知った。
けれど、そのもしもを、未来に向けてもいいだろうか。
気づいた想いのために、かつて捨ててしまった選択を、今してもいいだろうか。
自分が本当に欲しいと思う『明日』を、選んでもいいだろうか。
「……ねぇ、ライ」
小さく呼びかければ、ずっとルルーシュに向けられていた紫紺がこちらに向く。
視線が絡み合ったことにほっと息を吐きながら、スザクは精一杯笑ってみせた。
力のないその笑顔は、微かなものになってしまったけれど、目の前にいるライは気づいてくれたらしく、驚いたように目を瞠る。
「覚えているかな?1か月前の神根島で、君が僕に持ちかけた契約」
「え……?」
不思議そうに聞き返す彼に苦笑する。
彼が言い出した言葉なのに、それを忘れてしまったのか。
でも、それも仕方がないかもしれない。
あのときの自分は、容赦なくそれを突っ撥ねたのだから。
「『ルルーシュを守るために、手を組もう』」
その言葉に、一瞬驚きの表情を浮かべたライは、すぐに目を細めた。
「ああ……。言ったな、そんなことも」
忘れていたわけではない。
その気持ちは、今でもライの中にある。
けれど、それをスザクが覚えているとは思わなかった。
「あの時、僕は当たり前だと思ったんだ。契約なんてする必要もない。それは、ゼロレクイエムのために必要だから」
ゼロレクイエムを実行するその日まで、ルルーシュを守る。
それは確かに必要だった。
全てを背負って消えるはずの存在を、途中で失うわけにはいかなかったから。
その日まで守るのは、当然のことだと思っていた。
「でも、君が言ったのは、そういう意味じゃなかった」
ライが言ったのは、言葉どおりの意味。
ゼロレクイエムなんて関係ない。
ライが本当に欲した『明日』のために、あの日のライは、スザクにその契約を持ちかけたのだ。
そのライの想いが、今のスザクにはわかる。
今の自分は、ライと同じ想いを持っていると、断言できる。
だから、決めた。
自分が本当に欲しい『明日』に、手を伸ばすことを。
「その契約、今結ぶよ、ライ。僕はルルーシュを守る。ルルーシュと、共に明日を生きるために」
「スザク……」
目の前に立つライに向け、スザクが手を伸ばす。
それは、1か月前のあの日とは、まるで逆だった。
あの日は、ライがスザクに向かって手を伸ばした。
けれど今は、スザクがライに向かって手を伸ばす。
気づいてしまった、気づくことのできた本当の想いのために。
驚きの表情を浮かべていたライが、ふっと笑った。
向けられた笑顔は、温かさと優しさに満ちている。
その笑顔のまま、ライがスザクの手を取ろうとした、そのときだった。
「その契約、私も入れてもらおうか」
突然割り込んだ、よく知った声。
思わぬ発言に、2人は驚き、傍に座る少女を見た。
「え?」
「C.C.……?」
スザクの傍に座り込んだC.C.の手が、未だ眠り続けるルルーシュの髪を撫ぜる。
さらさらと零れる黒髪を、その持ち主の眠る顔を見つめたまま、彼女は優しく微笑んだ。
「私も、生きたい」
はっきりと告げられた言葉に、スザクは驚き、その翡翠の瞳を見開く。
彼とは逆に、ライは目を細めた。
口元に、薄く笑みが浮かぶ。
「死にたいんじゃなかったのか?」
「こいつと出会う前はな」
C.C.の願いは、自らの死。
生に縛り付けられた己を、世界から解放すること。
ずっとずっと、そのために生きてきた。
ルルーシュにギアスを与えたのだって、それが理由だった。
ルルーシュを利用するつもりで、彼にギアスを与えたのだ。
けれど、それはいつしか、別の願いに変わっていった。
何度折れそうになっても、何度絶望を味わっても、自らの運命に必死に立ち向かい続けるルルーシュ。
共犯者である彼のその姿を見ているうちに、いつしか自分の中で変化が生まれていた。
彼と共にいたい。
彼と共に生きたい。
彼と共に様々なものを見て、笑い合っていたい。
そう、心の奥から思えるようになったのだ。
「それとも、魔女はお断りか?」
「いいや」
ふっと、いつもの彼女らしい笑みを浮かべて尋ねれば、即座に首を振ったのはライだ。
視線を向ければ、穏やかな光を浮かべた紫紺と目が合う。
その瞬間、整ったその顔に柔らかい笑みが浮かんだ。
「魔女も死神も悪魔も、関係ないさ」
ただ、同じ想いがあればいい。
ルルーシュと共にいたいという想い。
ルルーシュと共に生きたいという願いがあれば、それだけでいい。
それだけで、この契約を結ぶ資格は、十分だから。
「これは契約。僕らが、僕ら自身で願いを叶えるための誓い」
「ルルーシュの傍に居続けるために。ルルーシュと共に、この世界で生きるために」
「僕たちは……俺たちは、ルルーシュを守る。これから先、今度こそ、何があっても」
真っ先に差し出したライの手の甲の上にC.C.が、さらにその上にスザクが手を重ねる。
それぞれ違う色を持つ瞳が、お互いを見つめる。
「「「絶対に」」」
口を開いたのは、3人同時。
それに、思わず笑みを浮かべて、小さく声を上げて笑った。
僕は、私は、俺は、今度こそ守ろう。
他人に馬鹿みたいに優しくて、自分に馬鹿みたいに厳しい、孤高の王。
その王を――ルルーシュを、全力で守る。
彼の傍に居続けるために。
彼と共に、『明日』を生きていくために。
これは契約。
進み続けた道の果てに、漸く見つけた『真実(ほんとう)』の願いから生まれた契約。
この契約だけは、決して破らない。
この想いだけは、二度と裏切らない。
だって、これは、僕らが漸く辿り着いた、明日への約束だから。
「そうと決まったら、やることをやらないとな」
手が離れた途端、にこりと笑ったライは、黒い制服に手をかけた。
身軽な動作でそれを脱ぐと、そのまま床に投げ捨てる。
同時にぱちんと指を鳴らせば、その途端床一面のモニターから発せられる光が変化した。
ライが現れる前と同じ、青い光を発するモニターに制服が落ちる。
今までずっとライが身に着けていた、黒の騎士団の制服。
日本を映すモニターのすぐ傍に落ちたそれには目もくれず、ライは回ったままだったカメラに視線を向ける。
口を開いたその瞬間、ライの顔から、それまでの柔らかな笑みが消えた。
「ナイトオブゼロの名において、ブリタニア全軍に命じる!」
そう告げるライの顔は、もう騎士としてのものに戻っていた。
敢えて個人の名前を名乗らなかったのは、それをライとスザク、同じ称号を持つ2人の命令として告げているからだ。
「本作戦の目的は、フレイヤによる世界支配を企んだシュナイゼル・エル・ブリタニアの捕縛、及びフレイヤとダモクレスの抹消である!シュナイゼルがルルーシュ陛下の軍門に下り、ダモクレスも確保した今、これ以上の戦闘の必要はない!全軍直ちに戦闘をやめ、ポイントa7まで後退せよ!」
一瞬戸惑ったような様子を見せたブリタニア軍が、しかしすぐに動き出す。
メインモニターに映ったその光景を見ていたC.C.が、ふいにこちらに視線を戻した。
「いいのか?ルルーシュが征服宣言をした後だぞ」
「陛下は嘘がうまいから」
くすくすと笑いながらそう言ったライに、一瞬目を丸くしたC.C.は、すぐに呆れたように息を吐き出した。
「お前……。それで世界が信じたら誰も苦労は……」
「ああ、それは十分わかってるよ」
ふと、ライの顔から表情が消える。
代わりに浮かび上がったのは、先ほど全軍に命令を下したときとはまた別の笑み。
「だから、彼が陛下に逆らわないでいてくれて良かった」
ライが振り返った先には、拘束されたままのカノンがいた。
目が合った瞬間、カノンは息を呑む。
ライが浮かべていたのは、フレイヤを封じたときと同じ、王の顔。
その顔のまま微笑むと、ライは傍に落ちていた銃を拾い上げた。
それは、彼がこのフロアに入ってきた瞬間から、ルルーシュに向けていたもの。
ルルーシュの居場所を創ると叫んだときには捨てていた銃だった。
「スザク」
その銃を、ルルーシュを抱きしめ、座り込んだままのスザクへ差し出す。
その意図がわからず、スザクは黙ったまま目の前に立つライを見上げた。
「頼めるかな?」
「僕より君の方がいいんじゃないのか?」
「僕がやったら、この力で嘘の自白をさせたと思われかねないだろう?」
ライの左手が、そっと彼自身の目に触れる。
ルルーシュとは違い、自分の意志で制御できているらしいその力。
オープンチャンネルで使ってしまっている以上、彼がそう考えるのは当然のことだった。
「……わかった」
真っ直ぐライの瞳を見つめていたスザクが、静かに頷く。
「C.C.。陛下を」
「ああ」
ずっと腕の中にいたルルーシュを、C.C.に託す。
彼女がルルーシュを抱きしめたことを確認すると、スザクは立ち上がった。
ライから受け取った銃を手に、座り込んだカノンの傍へと歩く。
「カノン・マルディーニ」
先ほど、ライとC.C.と契約を交わしたときとは打って変わった冷たい表情を浮かべ、カノンを睨みつける。
呆然とこちらを見上げるカノンに、手にした銃を向けた。
「話していただきます。シュナイゼルが何を企んでいたのか。その全てを」
かつては同じ陣営の人間だった騎士の、鋭い翡翠の瞳。
黒の騎士団のエースだったはずの騎士の、無慈悲なまでに冷たい紫紺の瞳。
そして、世界の敵であるはずの皇帝を抱きしめ、ただ無感情にこちらを見つめる少女の金の瞳。
その三対の瞳に見つめられたカノンは、大きく息を吐き出すと、諦めたように目を伏せた。
2014.9.27 加筆修正