Last Knights
Story18 ほんとうのこころ
がくんと膝が折れ、ルルーシュの体が傾く。
それを見た瞬間、スザクは反射的に走り出していた。
「ルルーシュっ!!」
持ち前の身体能力で駆け寄り、ルルーシュの体が床に落ちる寸前に抱き止める。
完全に力の抜けてしまった体は重く、受け止めたスザクも、そのまま床に膝をついた。
ルルーシュに声をかけようとするよりも早く、くくっと小さく笑うような声が聞こえた。
「……はっ。君まで出てきてしまったら、本当にゼロレクイエムはおしまいだな、スザク」
「ライっ!君は……」
聞こえた声に、瞬時に怒りが湧き上がる。
その感情のまま、ライを怒鳴りつけようとしたスザクは、傍に立つ彼を見上げた瞬間、息を呑んだ。
てっきり勝ち誇ったような笑みを浮かべていると思っていたライの顔に、表情はなかった。
ただ、紫紺に戻った双眸から、涙が流れていた。
声を上げることなく溢れるそれは、頬を伝って床へと流れ落ちる。
「ライ……」
「……ねじ伏せたのか、あのルルーシュを」
カツンと周囲に響いた足音と共に、もうすっかり聞き慣れた少女の声が聞こえて、スザクはそちらに視線を移す。
真っ直ぐにそちらを見ていたライも、その声に視線だけで後ろを振り返った。
「C.C.……」
ライを一瞥すると、C.C.はすぐにスザクの傍へと膝をつく。
スザクの腕の中でぐったりとしたまま、一向に目を開けないルルーシュの手を掴むと、ほっとしたように息を吐き出した。
「安心しろ、スザク。ルルーシュは気を失っているだけだ」
「え……」
「おそらく、力に抗おうとしたことで、脳に負担がかかったんだろう。少し休めば目が覚める」
「そう、か……」
C.C.の言葉に安堵し、息を吐き出す。
その途端、ライの笑い声が降ってきた。
決して大きくはないそれに、思わず顔を上げれば、嘲笑うかのような光を浮かべた紫紺と目が合う。
「安心するんだな。殺そうとしていたくせに」
ライの言葉に、ひゅっと息を呑んだ。
翡翠の瞳が無意識に見開かれ、ライを見つめる。
対する紫紺の双眸は、ただ無表情にスザクを見下ろしていた。
「自分の手で殺すために守る?馬鹿じゃないのか?」
「ライ……っ!」
思い切り睨みつければ、僅かに眉を寄せたライが睨み返してくる。
暫くそのまま逸らされることのなかった視線が、不意に逸れた。
目を閉じたライが、ゆっくりと首を数回横に振る。
「いや、馬鹿だな。馬鹿なんだよ、君も、ルルーシュも」
淡々と告げられたその言葉に、スザクの中で何かが弾けた。
怒りの炎を浮かべた翡翠で、ライを思い切り睨みつけ、叫ぶ。
「君に、ルルーシュを罵る資格があるのか!?こんな風に、全てをぶち壊した君にっ!!」
「なら、君にはあるというのか?僕を罵る資格が」
「何……?」
返された言葉は全く予想していなかったもので、スザクは眉を寄せる。
その問いに、ライはますますその紫紺の瞳を細めた。
「君にとって、ルルーシュは確かにユーフェミア皇女の仇だ。例えそこに至った道が、ルルーシュ自身が望んだものではなかったとしても、その事実は変わらない」
たとえ、きっかけがギアスの暴走だったとしても、ゼロがユーフェミアを殺したという事実は変わらない。
それが、絶対の命令の支配下に置かれたユーフェミアを止める唯一の手段だったなんてことは、言い訳にはならない。
「だが、ゼロレクイエムが実現していた場合、今度は君がルルーシュになる」
「え……?」
その言葉に、スザクは一瞬怒りを忘れ、呆然とライを見上げた。
変わらず冷たい光を宿す紫紺は、僅かな怒りを浮かべ、真っ直ぐに自分を見つめている。
「僕にとって、君はルルーシュの仇になる。例えそれがルルーシュが望んだ結末だったとしても、それが現実になったら、僕は君を……ゼロを許さない」
床から照らされる光のせいで、ライの紫紺がいつもよりも深みを増している。
冷たい光を浮かべたそれが、ほんの僅かに細められた。
「君がルルーシュを殺すというなら、僕が必ず、ルルーシュの仇である君を殺す。ルルーシュの過去を暴露してでも、世界をゼロレクイエムの前に戻してやる」
「な……っ!?」
その言葉に、スザクはその翡翠の瞳を大きく見開いた。
ライの語る、ルルーシュの過去。
それが、ルルーシュがゼロであったという事実を示していた。
「君は、何を言っているのかわかっているのか!?そんなことしたら、ルルーシュの願いは……っ」
「全て無駄になるな。ルルーシュの辿ってきた道も、君が仮面を受け継ぐことも」
ゼロの正体をばらしたとき、ライは黒の騎士団が彼に対してしたことも、一緒に公表するつもりだ。
弁解の余地なく、言い訳を許すことなく、一方的に切り捨てたという真実を、世界中に発信する。
そんなことになったら、ゼロに希望を見続けてきた日本で、暴動が起こる可能性が生まれる。
ゼロであったルルーシュを殺した新たなゼロに対する反感すら生まれてしまうかもしれない。
それは、ルルーシュの望む世界の姿ではない。
悪意や憎しみは、全て自分に。
そしてゼロは象徴という希望に。
それが、彼の望みなのだから。
そんなことをさせてはいけない。
それでは、誰の望みも叶わない。
だからライを止めなければと、鋭い翡翠をさらに細めて睨みつけた、そのときだった。
「でも、なら君は叶えたのか?ユーフェミア皇女の願いを」
「え……?」
唐突過ぎるその問いに、スザクは思わず聞き返した。
幻聴とすら思ったけれど、どうやらそうではないらしい。
ライはただ、黙ってこちらを見下ろしている。
「何を……言っているんだ?ユフィの望みは……」
他人に優しくなれる世界。
そんな世界をユフィは望んだ。
だから、せめてそれを叶えようと、ここまで進んできたというのに。
何を今更と、それを伝えようと口を開いたその瞬間、ライは首を横に振る。
再びこちらに向けられた紫紺が、僅かに揺れたような気がした。
「国とか大儀とか世界とか、そんなことは関係ない。彼女が個人として望んでいたことは何だった?」
国とか大儀とか、関係ない。
その言葉を、いつか聞いたことのあるような気がした。
もう、遠くなってしまった過去。
まだ自分が彼女と――そしてルルーシュと、笑えていた頃に。
「彼女が望んだのは、ルルーシュと君のいない世界だったのか?」
ライがそう言った瞬間、耳の奥にユーフェミアの声が蘇った。
『スザクっ!死なないでっ!』
いつだったか、彼女が自分に向かって叫んだ言葉。
その言葉が蘇った瞬間、スザクは目を大きく見開いた。
ひゅっと息を吸い込む音が、やけに耳に響く。
ああ、そうだ、違う。
彼女はそんなことを言ったことは一度もない。
彼女はずっと言ってくれていた。
私を好きになれと、代わりに私が僕を好きになると。
彼女は、何と言っていた?
あの日、一度死ぬ覚悟をした僕が彼女に下に帰ることができた日、彼女が、ユフィが、笑顔で手を差し出してくれたとき、言ってくれた言葉はなんだった?
『ただ私は笑顔が見たいんだって。今大好きな人と、かつて大好きだった人の笑顔がみたいんだって』
そうだ。
彼女の願いは、たったひとつだった。
笑顔が見たい――きっと、僕とルルーシュの――ただ、それだけだった。
「なあ、スザク。君の願いは何だ?」
その問いに、過去に飛んでいた意識が引き戻される。
紫紺の双眸は、その強さを変えることなく、真っ直ぐにスザクを見つめている。
「君は、何のために最初の罪を犯した?何のために戦争を終わらせようとした?そのとき、君は誰を守りたかった?」
「……俺が、守りたかった、もの……?」
守りたかったもの。
それは、たった1人だった。
自分に手を差し伸べ、共に歩こうとしてくれた人。
ルルーシュの手で喪われた、最初の主その人だった。
「俺が、守りたかったのは、ユフィで。彼女と一緒に俺は……」
「僕が聞いているのは1年前の話じゃない。8年前の話だ」
「8年前……?」
一瞬不思議そうな表情をしたスザクは、すぐに目を瞠り、視線を逸らす。
ライの言っている『最初の罪』がなんのことか、その一言で気づいてしまった。
「8年前の、俺には、そんなもの……」
「本当に?」
淡々と問いかけるライに、目を合わせられない。
傍にいるC.C.が、ほんの僅かに目を細めるのが目に入ったけれど、それすら気づかなかったふりをする。
だって彼女の表情の意味を、ライの問いの答えを知ってしまったら、自分は立てなくなる。
ゼロレクイエムを、遂行することができなくなる。
そんな気が、したから。
「……私の最初は、母と妹だった」
「え?」
唐突に一人称を変えたライに、スザクは驚き、顔を上げた。
俯いているライの顔は、銀の髪に隠れてしまい、下から見上げる形になってるスザクにすら見ることはできない。
「他国の貴族との混血である私たちは、常に危険に晒されていた。暗殺もそうだが、存在をなかったことにされそうになったこともあった」
それは、以前に一度聞いた、ライの過去。
彼が、今の自分を形成するために、通ってきた道。
「守りたかった。……いいや、違う。そうじゃない」
ゆっくりと、ライが首を横に振る。
それによって露になった紫紺の瞳を見て、スザクは息を呑んだ。
先ほどまであんなに強い光を抱いていた瞳から、涙が溢れていた。
頬を流れるそれに、スザクはただ見入る。
「私は、ただ2人と一緒にいたいだけだった。幸せだった、あの場所で」
幸せな場所。
大切な人が、家族が生きている、小さくても確かな世界。
そんな世界で、大切な人たちと一緒にいたいだけ。
「怖かったんだ。あのままじゃ、いつこの幸せが壊されるかわからない。幸せを感じながら、私はずっと怯えていた。それが、嫌だった」
常に周囲ある悪意が、身近にある命の危機が、ライにその幸せを享受することを許さなかった。
幸せである時間の中でも気を張り詰め、周囲に純粋な好意を向けることはしなかった。
大切な家族である2人以外の誰にも、心を開くことを許さなかった。
「望んでいたのは、不安や恐怖を抱かずに過ごせる世界。母と妹と一緒に、穏やかに笑っていられる場所。それが、あの頃の私は欲しかった」
それは遠い過去に持っていた、確かな願い。
それを聞いたC.C.が、金の瞳を細める。
そこにはライに対する同情とともに、別の色が浮かんでいた。
「……些細な幸せだな。普通の家族なら、誰もが当たり前に持っている」
「そう。誰もが持っている当たり前のそれが、欲しかった」
日常がいつ壊れるかわからないなんて恐怖のない世界。
欲しかったのは、いつだってそれだけで。
力を欲した理由の根底も、それだった。
「それが、私の始まり。私の最初。私が力を……ギアスを欲した理由」
そのための力。
そのための反逆。
自分の何もかもを引き換えにして、そんな暖かな日常のために。
「それに気づいたのは、全て失くしてからだったけど」
そこまで言い切ったライの顔が、ゆっくりと上げられる。
悲しげな色を宿した紫紺が、再びこちらに向く。
「なあ、スザク。君は?」
再び、ライの口から紡がれる問い。
「君の願いは何だった?君が一番最初に、思い描いた未来は……明日は何だ?」
自分の始まり――8年前の、最初の罪。
それを犯したきっかけは。
そうしてまで得たかったものは、守りたかったものは。
「僕が、最初に思い描いた、未来……。俺が、あの夏の日に願った、明日は……っ」
思い浮かんだのは、あたり一面の黄色い海。
太陽のような花の下で笑っている、ただ2人の、それでも心からのと断言できた友達。
まだ幼い黒髪の少年と、彼よりも幼い車椅子に座った亜麻色の髪の少女。
2人の笑顔が好きだった。
目が見えないけれど、精一杯の優しさをくれる少女が好きだった。
妹を守るために、強くあろうとする少年が好きだった。
ずっと、傍にいて、守りたかった。
ああ、そうだ。
俺の、願いは。
一番最初の願いは、ただそれだけだった。
「俺は……ただ、ずっと一緒にいたかった……っ」
あの、夏の日のように。
ルルーシュとナナリーと、3人で。
あの、小さかったけれど、確かに幸せだった世界で。
「ずっと君と、君たちと一緒にいたかったんだ……。ルルーシュ……っ」
腕に抱きかかえたままのルルーシュの体を、抱きしめる。
意識を失ったままのルルーシュの胸に顔を埋め、嗚咽が零れないように必死に耐えた。
「スザク……」
ずっと傍にいたC.C.が、切なそうに眉を寄せ、彼の名を呼ぶ。
けれど、スザクがそれに反応することはなかった。
ただ、未だ目覚めないルルーシュを抱きしめ、声を出さずに泣いていた。
「スザク」
名を呼ばれ、再び見上げた紫紺に、もう悲しみの色はなかった。
ただ、強い光だけが浮かんだそれが、真っ直ぐに自分を見下ろす。
無表情にも思える顔が、ただ自分だけを見つめていた。
「この1か月の間に、僕は聞いたな?今でも、死にたいと思っているかと」
「……ああ」
「そのとき君は、『少なくとも生きなければならないと思っている』と答えた」
「……ああ」
「今でも、そう思っているのか?」
あの日に交わした約束、交わった願い。
それを叶えるまでは、死ねない。
喪った命に報いるために。
望む明日を、手に入れるために。
「……おれ、は」
ずっとずっと、そう思っていた。
ギアスの呪いだって、そのために使いこなした。
けれど、本当は。
心の中に押し込めていた、本当の想いは、願いは。
「おれは、いきたい……っ!」
生きたい、生きていたい。
象徴ではなく、自分として。
『ゼロ』としてではなく、枢木スザクとして。
「生きたい……。生きていたい……っ、ルルーシュと、一緒に……っ!」
幼い頃から再会までは、抱え込んだ罪故に。
1年前、ユーフェミアが死んだあの日からは、憎しみ故に、封じ込めてきた想い。
気づかないふりをしていた、けれど気づいてしまった本心。
「う、あ、ぁあああぁあああぁぁぁぁぁ……っ!」
それを自覚してしまった今、もう封じ込めることはできなくて、腕の中のルルーシュを抱きしめたまま、スザクは泣いた。
それはおそらく、8年前のあの日以来、ユーフェミアの命が失われたあの瞬間を除いて、決して上げられることのなかった慟哭。
ぼろぼろと零れる涙は、その全てがルルーシュの頬に、胸に落ち、服に吸い込まれていく。
ただ黙ってその光景を見つめていたライが、唐突に息を吐き出した。
その顔に笑みが浮かぶ。
「……やっと本音が出たな。この死にたがり」
「お前も似たようなものだろう?」
「違うよC.C.。僕が死にたがりだったのは、ルルーシュと出会う前の話だ」
今にも泣き出しそうな笑みを浮かべているライに、C.C.が苦笑を浮かべて指摘する。
てっきり肯定するかと思ったライは、けれどC.C.の予想に反し、首を横に振った。
それに驚き、真っ直ぐに紫紺の瞳を見つめれば、気づいたのか、彼は綺麗に微笑んだ。
「僕は、僕も生きたい。ルルーシュの生きている世界で、ルルーシュと一緒に」
ライの言葉に、C.C.は目を瞠る。
一瞬綺麗に笑ったかと思ったその顔が、泣き出しそうに歪んだ。
紫紺がC.C.から逸れ、真っ直ぐにスザクを、彼が抱きしめるルルーシュを見つめる。
未だ目を覚まさない彼を見つめたライが、自身の拳を強く握り締めた。
「ルルーシュの傍で、生きたいんだ……っ」
そう告げたライの声は、先ほどまでの強さが嘘のように震えていて。
最愛の人を真っ直ぐに見つめたままの双眸からは、綺麗な涙が止まることなく零れていた。
2014.9.27 加筆修正