Last Knights
Story11 銀の悪魔
『撃つなっ!!ナナリーっ!!』
突然空中庭園に響き渡った声。
その声に、ナナリーはびくりと震わせ、今まさにフレイヤの発射スイッチを押そうとしていた手を止めた。
「……っ!?ライ、さん……っ!?」
ナナリーが声の主の名を呼んだ瞬間、音声だけだった回線に、映像が接続される。
彼女に見えるはずもなかったが、そこには左目を押さえた黒銀の騎士が映っていた。
『フレイヤを撃つな、ナナリーっ!それは、使ってはいけない!』
はっきりと耳に届くそれに、ナナリーは手にした発射スイッチを握り締める。
『ダモクレスの鍵』と呼ばれるそれを奪われまいとするように胸に押し付け、モニターが表示されているだろう場所に顔を向けた。
「止めても無駄です、ライさん」
『……どうしても、撃つというのか?それを』
「ええ。私は撃ちます。あなたたちを……お兄様を止めるために」
『ルルーシュを止めるためだけに、ペンドラゴンを死滅させたそれを使うというのか?』
「え……?」
ゆっくりと左目から手を放し、投げられたライの問いに、ナナリーは言葉を失い、息を呑む。
今、彼は何と言った?
「ペンドラゴンが……し、めつ……?」
『ああ、そうだ』
「そんな……。だって、ペンドラゴンの人たちは、避難したって……」
『避難?いつ?どうやって?』
淡々と尋ねるライの紫紺の双眸が、鋭く細められた。
尋ねる声が、だんだんと温度を失っていく。
ナナリーの知る暖かいライの声ではなく、冷たい騎士の声に変わっていく。
『こちらはダモクレスがフレイヤを撃つまで、君たちの動きに気づかなかった。だから僕らは民を避難させられなかった。そして、ダモクレスは避難勧告なんて出していない』
「そんな……。だって……」
『帝都に一番近い防衛基地からの報告だ。ダモクレスが現れた前後に、避難を促すような通信は、何処からも発せられていない』
それは事実だ。
アヴァロンに帰還し、ルルーシュの部屋から出た直後、ライは一度ブリッジに立ち寄っている。
そのとき集めた、帝都周辺の防衛基地の通信データ。
そのどれにも、ダモクレスから発信された痕跡は、残っていなかった。
『帝都は、消滅したよ。シュナイゼルが撃ったフレイヤで、そこにいた人たちも飲み込んで、跡形もなく消し飛んだ』
ナナリーやルルーシュの異母兄弟である元皇族たちも、元貴族も、残っていた軍人も、一般市民も。
全てがフレイヤに呑まれ、消えていった。
何ひとつ遺すこともできないまま、死の光に焼かれたのだ。
『その兵器を、君は使うのか?ここで』
ライの問いに、ナナリーはごくりと息を呑む。
胸に押し付けた『鍵』を握る手に、汗が噴き出す。
それだけの命を奪った兵器。
死を呼ぶ女神を呼び起こすそれを握り直し、ナナリーは顔を上げた。
「使います」
はっきりと告げられたその言葉に、ライが僅かに目を見開く。
見えていないはずなのに、その反応がわかるかのように、ナナリーは真っ直ぐにモニターがあるだろう場所を見つめた。
「私は、もう逃げていられないから。もう目を背けてはいられないから」
兄が、ルルーシュがくれる世界は、いつだって暖かくて、ナナリーに優しかった。
それに甘えて、兄の変化にもスザクの変化にも、ずっと気づかないふりをしていた。
兄が罪を犯したのが、そのせいなのだとしたら。
目を背けていなければ、止められたとしたら。
それは、兄を止めようとしなかった、自分の罪だ。
「だから、お兄様の罪は、私が撃ちます!私が、お兄様を止めなくちゃっ!罪を背負っても……!それで、お兄様が死ぬとしても……っ!」
『鍵』を強く握りしめ、叫ぶ。
それが自分の覚悟だと、訴えるように。
それで兄が、スザクが、ライが、考えを改めてくれるように、願いを込めて。
そのナナリーを、ライはモニター越しに冷たく見下ろしていた。
完全に暖かさの消えた紫紺が、盲目の皇女を捕らえる。
暫くの間ナナリーを見つめていたライは、やがて大きなため息を吐き出した。
『……無理だよ』
「え……?」
『ナナリー、君には無理だ。君にはルルーシュとスザクを……僕たちを止めることはできない』
「そんなっ!できますっ!だから……っ!?」
目の前に『鍵』を突き出し、その一番上に据えられているスイッチに、親指を乗せる。
そして、閉じられた瞼をさらにぎゅっと閉じて、スイッチを押した。
いや、押したつもりだった。
「……っ!?」
最後の力を入れようとしたその瞬間、ナナリーの意志に反して指が止まる。
どんなに力を入れようとしても、指がそれ以上進むことはない。
それに気づいた瞬間、ナナリーは勢いよく顔を上げた。
『ナナリー……?』
「そんな……。どうして……!?」
自分の名を、シュナイゼルが不思議そうに呼ぶ。
けれど、それに返す答えが、今のナナリーには思い浮かばない。
だって、わからないのだ。
撃たなければならない、兄の罪を。
その決意は、覚悟は、変わらないはず、なのに……。
「駄目……。撃ってはいけない……、フレイヤは……っ!」
頭の中で、何かがそう命令する。
フレイヤを撃とうとする自分を拒絶し、『鍵』を捨てさせようとするそれに、ナナリーは片手で頭を抱えた。
その姿を見たライが、くすりと笑みを零す。
『……ほら、やっぱり無理だ』
「そんなこと……っ!駄目……!どうして……っ!!」
何度試そうとしても、駄目だった。
どうしても、押せない。撃てない。
覚悟をしたはずなのに、罪を背負うと決めたはずなのに、頭がそれを拒絶する。
『君は、まだ心のどこかで考えている。ルルーシュが、やめてくれることを。君の知る、優しい兄に戻ってくれることを。だから、最後の決断できない。覚悟が、完全に決まらない』
そんなことはない!そんなことはない!
覚悟は既に決めた。
決断だってした。
なのに、どうして……!
『だから、抗えない。僕の“命令”に』
「え……?」
不意に耳に届いた、不審な言葉に顔を上げる。
彼女の苦痛に歪んだそれを見た途端、ライが笑った。
学園に、黒の騎士団にいた頃の彼が決して浮かべることのなかった、人を見下すようなその笑み。
それを見た、以前の彼を知る誰もが目を瞠り、息を呑む。
『教えてあげるよ、ナナリー。覚悟とは、罪を背負うとは、こういうことを言うんだ』
ライの左手が、彼自身の左目の上に添えられる。
流れるような動作でそれが外されたその瞬間、通信を見ていた誰もが目を見開いた。
夕暮れの後の、夜の始まりを思わせるような、深い紫の瞳。
その片方が、ルルーシュが即位会見のときに見せたものと同じ、刻印を浮かべる真紅に変わっていた。
『ラインハルト・ロイ・エイヴァラルが命じる!ダモクレスの搭乗員よ!お前たちは全員、フレイヤを使うなっ!』
真紅の瞳の刻印が羽ばたくと同時に、上空に浮かぶランスロットクラブ・アルビオンから紅い光が放たれる。
それは迷うことなくダモクレスへ向かい、その全体を包み込んだ。
その瞬間、ナナリーとシュナイゼルを除いた、ダモクレスにいる誰もがびくりと体を震わせる。
各々色の違う瞳が同じ紅に縁取られ、意志を失う。
「……イエス、マイロード。フレイヤ、凍結準備に入ります」
「な……っ!?」
すぐ傍にいた管制官の言葉に、カノンが思わず声を上げた。
迷うことなくコンソールの操作を始めた部下を、信じられないといわんばかりに見つめる。
その彼自身の瞳も、その一瞬前まで紅い光で縁取られていた。
「そんな、どうして……?」
「まさか、これは……」
カノンとディートハルトの呟きが聞こえているかのように、モニターに映る黒銀の騎士がくつりと笑った。
徐々に大きくなるそれに、その場にいる誰もが息を呑む。
『これが、ルルーシュが私を悪魔と呼んだ所以。私が今まで封じてきた力』
ライの左手が、左目を縁取る瞼に触れる。
その色は、光が放たれる前から変わらない。
刻印を浮かべた、血のような紅。
皇帝ルルーシュと同じ、悪魔の色。
「ギアス……ですって……!?」
「馬鹿なっ!?直接目を見ることのできないこの状況で、ギアスをかけられるはずが……!?」
『それは私のギアスの使用条件だろう?ディートハルト』
またひとつ、オープンチャンネルで回線が開く。
モニターに映し出されたのは、白い皇帝服を纏った黒の王。
その姿に、シュナイゼルは眉間に皺を寄せ、目を細めた。
「ルルーシュ……」
一瞬だけ紫玉の瞳がこちらを見る。
けれど、それはすぐに逸らされ、愕然とした表情を浮かべているディートハルトへと向けられた。
『ギアスの力は、能力者によって異なる。私は確かに、相手の目を直接見なければギアスをかけることはできない。しかし……』
紫玉の瞳が閉じられる。
けれど、それは一瞬。
再びそれが開かれたとき、その顔には笑みが浮かんでいた。
『ラインハルトは違う』
その言葉に、ディートハルトは目を見開いたまま息を呑む。
その表情を見て、画面の向こうの若き皇帝は、楽しそうな笑みを浮かべた。
『目を見る必要はない。ただ声が届けばいい。それだけで、彼の絶対遵守は発動する』
言葉を聞いた者全てを、ただ一度だけ服従させる力。
逃れるためには、自らの耳を封じるか、ライの声を封じるか、どちらかを成すしかない。
だからこそ魔王は呼ぶ。
言葉だけで全てを従える力を持つ彼を、『悪魔』と。
「それが奴のギアス」
「それが古の『狂王』」
碧の魔女が、白い死神が、真っ直ぐに空に浮かぶ蒼いナイトメアを、その中に座す銀の悪魔を見上げる。
表情の読み取れない笑みでモニターを見つめていた黒の魔王が、くつりと笑う。
「それが我が騎士、ラインハルト・ロイ・ブリタニア」
その瞬間、モニターに映った黒銀の騎士が、満足そうに笑った。
2014.8.29 加筆修正