月光の希望-Lunalight Hope-

Encounter of Truth

06

執務室にやってきたダールトンの言葉に、ユーフェミアは驚き、顔を上げた。

「え?お姉様が?」
「はい。時間ができたので、こちらに視察にいらっしゃるそうです」
「そうなのですか……」

あまり嬉しそうではないユーフェミアの反応に、ダールトンは首を傾げる。
いつもなら、彼女は最愛の姉が来ると聞くと、喜んで笑顔を見せるはずだ。
それなのに、今日はため息すらついている。

「困ったわね。今日はゼロがお休みなのに……」

不思議に思って尋ねようとしたその時、続けられたユーフェミアの言葉に、ダールトンはその理由を理解した。
ゼロもその『双璧』も、今日は休みを取っている。
加えてユーフェミアの騎士である枢木スザクも、今日はいない。
その4人がいない日にコーネリアが来れば、彼女は彼らに対してどんな印象を抱くのか、ダールトンは理解していた。
彼らの理解者であろうとするユーフェミアが、コーネリアが口にする言葉で傷つくだろうことも予想ができる。
そして何より、ゼロ本人はともかく、ダールトンは他の3人のことは気に入っていた。
スザクのことは認めていたし、ゼロの『双璧』である2人も、ブリタニア人と日本人のハーフという微妙な立場にあっても揺るがないその姿を羨ましいと思うことすらある。
だからダールトンはユーフェミアに気づかれないように息を吐き出すと、前から温めていたある『作戦』を彼女に持ちかけることにした。

「総代表、私に考えがあるのですが」
「え?」
うんうんと頭を唸らせるユーフェミアに声をかければ、彼女はきょとんとした表情でこちらを見る。
「姫様を特区の外へ連れ出しましょう」
「お姉様を?」
「はい。この特区の近くに、ブリタニア人もよく利用するイレブン風の宿があります。日本の文化をよく知り、特区をよくするための視察という名目で、姫様をそこへお連れするのです」
「でも、ばれないかしら?」
「大丈夫ですよ。私もフォローしますし、必要ならばギルフォードにも手伝わせさましょう」
ダールトンの言葉に、ユーフェミアは腕を組んで暫し悩む。
だが、他の解決策は全く思い浮かばず、自分の想像力に落胆するだけだった。

「わかりました。ダールトン、あなたの案に乗らせてもらいます」
「イエス、ユアハイネス。お任せください」

ため息をつきたいのを我慢して、顔を上げ、答える。
それに整った礼を返したダールトンを見て、安堵の息を吐き出した。

これで何とか、ゼロの不在は誤魔化せるだろう。
ゼロが休みをもらっていると知れば、未だに彼を認めてくれない姉は、必ず彼の悪口を言う。
ルルーシュはあんなにがんばってくれているのに、姉にそんな風に思われるなんて嫌だった。

安心して力が抜けそうになる体を叱咤する。
そのまま気を抜いてはいけない。
戦いは、むしろここからなのだから。

「それで、その宿はなんて名前なの?」
「はい。みどり屋と申します」
「みどり屋……?」
気を取り直して訪ねた途端、帰ってきた答えにユーフェミアは首を傾げた。

その名前に、聞き覚えがあるような気がした。
けれど、どんなに考えても思い出せない。
最近、すごく最近聞いた気がするのに、何だっただろう。

「どうかなさいましたか?ユーフェミア様」
「えっと……。いえ。何でもないわ」
しきりに首を傾げるユーフェミアを不思議に思ったのか、ダールトンが訪ねる。
浮かび上がった疑問を伝えようとして、やめた。
思い出せないのならば、きっと大したことはない。
そう思って、伝えることをやめたのだ。
「それよりも、準備をしなきゃね」
「はい。一泊の予定で部屋を用意させます」
「ええ。お願いします」
「イエス、ユアハイネス。では、失礼いたします」
もう皇族ではない自分に相変わらずの挨拶を返して、ダールトンは執務室を出ていく。
残されたユーフェミアは、晴れ晴れとした表情で窓の外に広がる空を見上げた。

このとき、宿の名前を気にしなかったことを後悔することになるなんて、このときの彼女は考えもしていなかった。






「あー!おいしかったぁ!」
「本当。よかったわ、ここの料理」
レストランから出た途端、満足そうな顔で言ったシャーリーに、カレンが同意する。
「カレンが言うんじゃ確かなのね」
「ええ、おいしかったです」
ミレイの問いに、カレンは笑顔で答えた。

ミレイたちブリタニア人は、日本の料理を食べたことはあまりない。
例外は、戦前からこの国にいるランペルージ兄妹くらいだろう。
だから、どれがどれくらい美味しいのか判断ができない部分がどうしても出てくる。
しかし、日本人であるカレンとスザクは別だ。
彼らが美味しいと言うのならば、ここの料理は日本旅館の中でもいい部類に入るのだろう。

「ナナリーはどうだった」
「とってもおいしかったですよ。私、ここのお料理大好きです」
「そうか。よかった」
にっこりと笑ったナナリーに、ルルーシュが笑顔を返す。
その声を聞いたナナリーが、ふと思い出したように口を開いた。
「あ、でも一番はお兄様の作ったお食事ですけど」
「え?」
「うん。確かにルルーシュの料理は美味しいな」
突然の賛辞にきょとんとするルルーシュの側で、ライがうんうんと頷く。
それを聞いた途端、ルルーシュは大きくため息をついた。
「褒めても何もでないぞ?」
「正直な感想を言っただけだ」
呆れた目で睨まれても、ライは笑顔を浮かべたまましれっと答える。
そのまま「そうか」とだけ言ってぷいっと視線を背けてしてまったルルーシュに、さすがにその態度はライが可哀想だと言おうとして、ミレイは気づいた。
ルルーシュの頬が、ほんの少しだけ赤く染まっていることに。

「そういえば、ライって普段どうしてるんだ?」

珍しい彼の反応を茶化そうとする前に聞こえてきたリヴァルの声に、思わずそちらに意識が動く。
突然の問いかけにきょとんとした表情で目を瞬かせたライは、遅れて質問の意味を理解すると、にこりと笑みを浮かべた。
「食事なら、最近はクラブハウスに帰っているときはルルーシュたちのところにお世話になってるよ」
「ええっ!?そうなのっ!?」
ライの返答が予想外だったのか、カレンが声を上げる。
その大げさな反応にも、ライは特に動じることなく笑顔のまま頷いた。
「うん。前は寮まで行って、食堂のお世話になっていたりしたけど」
「それだと、クラブハウスからは遠いですから、私たちがお誘いしたんです」
「1人分増えたところで、負担はないからな」
「おかげで助かってます」
「いいさ。片づけは手伝ってもらっているし、お互い様だ」
ぺこりと頭を下げたライに、ルルーシュが笑顔を返し、ナナリーも楽しそうに頷く。
それを見ていたカレンが、唐突にため息を吐き出した。
「えー。いいなー。私もクラブハウスで暮らしたーい」
「カレン……。君には家があるだろう」
「家でする食事はまずいのよ!あーあ。私も寮に入ろうかなぁ」
本当に家でする食事は美味しくないらしい。
カレンは天井を仰ぎ、思い切りため息を吐き出した。
「いいじゃない!カレン、寮においでよ」
「今度の進級で部屋替えをすることになっているから、ニーナかシャーリーと同室になれるわよ?」
ぱんっと胸の前で手を合わせ、シャーリーが笑顔でカレンを誘う。
ミレイも、彼女がそのつもりなら、部屋割りを最大限に配慮するつもりでそう告げた。
魅力的なその誘いに、しばらくの間考え込んでいたカレンは、けれどゆっくりと首を横に振った。
「んー。でも考えてみれば、特区の仕事で夜中に抜け出す可能性もあるから、ちょっと考えておきます」
「ああー。寮はその辺厳しいもんなぁ」
「ライはクラブハウスだから、問題ないみたいだけどねぇ」
ミレイがぎろりとライを睨みつける。
「あはは……。おかげで助かってます」
一瞬怯んだライは、引き攣った笑顔を浮かべてぺこりと頭を下げた。

まあ、ライの場合は仕方がない。
夜に抜け出すことがあるのも、朝早くに帰宅することがあるもの、特区の仕事があるからだ。
そうすることでなるべく学校に顔を出そうとしている努力を、保護者としても生徒会長としても認めてあげなければならないだろう。
問題は、彼と同じくクラブハウスで暮らしている副会長の方だった。

「ルルーシュも、よーく夜に抜け出してるみたいだし?」
「気のせいですよ、会長」
「ふーん?気のせい、ねぇ?」
にっこりと微笑み、誤魔化そうとするルルーシュを睨みつける。
けれど、彼は涼しそうな顔で笑い返すだけで、一向に効果は得られなかった。

「あら?」

それでも、とさらに踏み込もうとしたそのとき、唐突にナナリーが首を傾げた。
不安そうなそれに、ルルーシュの意識が当然のごとくミレイから外れ、最愛の妹へと向かう。
「ナナリー?どうかしたのか?」
「今、聞いたことのある声が……」
ナナリーがそう言いかけた、まさにそのときだった。

「ス、スザクっ!?」
「え?」

驚いたようにスザクを呼ぶ、その声。
それはスザクはもちろん、その場にいる者全員がよく知る、スザク、ライ、カレン、そしてルルーシュにとってはひどく身近な人の声だった。
まさか、そんなはずはないと思う。
そう思って振り返った瞬間、スザクはその翡翠の瞳を大きく見開いた。

「ユ、ユフィっ!?」

そこにいたのは、ピンクの長い髪を持つスザクの主。
行政特区の政庁にいるはずの特区の総代表、ユーフェミア・リ・ブリタニアその人だった。

「えっ!?」
「本当に、ユーフェミア様!?」
突然のVIPの出現に、その場にいる誰もが目を見開く。
対するユーフェミアも、驚きの表情でこちらを見つめていた。
「ユフィ……」
呆然と彼女の愛称を口にするルルーシュの声が耳に届く。
不安と疑問を隠すことの出来ないその声に、ライは我に返った。
驚きに見開かれていた紫紺が、すうっと細くなる。
まるで睨みつけるかのような視線でユーフェミアを見つめると、慎重に口を開いた。

「ユーフェミア総代表。どうしてあなたがここに?」
「えっと、実は……ああっ!?」

答えようとした途端、ユーフェミアは再び声を上げた。
先ほどとは違い、見る見るうちに真っ青になっていく、その顔。
それを見てしまえば、さすがのライも心配になる。
力んでいた肩の力を抜くと、いつものように軽い口調で尋ねた。

「ユフィ?何かあったのか?」
「た、大変!ライ!カレンさん!どうしましょう!?」

その途端、我に返ったユーフェミアがライに飛びつく。
その声にニーナの悲鳴が上がったような気がしたが、今のライにそれを気にしている余裕はなかった。
「そ、総代表……?」
「一体どうしたの?ユフィ」
ユーフェアを怒鳴ろうとしたカレンも、さすがに心配になったらしい。
呼びかけた際に口にした名前が愛称であったことに、いつの間にそんなに仲良くなったのかと感心したが、それを尋ねている余裕はなさそうであったから、気づかなかったふりをする。
カレンの問いに、ユーフェミアはライから視線を外した。
迷うように空中を何度も行き来したその目が、ライとカレンの後ろにいるルルーシュへと向けられる。
しかし、ルルーシュがそれに気づくより前に、ユーフェミアはルルーシュから視線を外し、ライとカレンに戻した。
蒼白になっているその顔が、ますます青くなる。

「お姉様が……!コーネリアお姉様が、ここにいるんですっ!!」

彼女がそこまで慌てる事態とは何かと必死に考えていたライは、ユーフェアが口にした言葉を一瞬理解することができなかった。
「な……っ!?」
遅れて漸く頭に入ってきたそれに、言葉を失う。
「ちょっとユフィ。うそ、でしょ?」
「嘘なんかじゃありません。今、玉城さんたちと向こうで喧嘩を……っ」
「喧嘩っ!?」
カレンの問いに答えたユーフェミアの言葉を聞いた途端、シャーリーが叫ぶ。
その側で震えだしたニーナをミレイが抱きしめ、不安そうな顔をしたナナリーの手をルルーシュが強く握った。
「私、どうしたらいいかと思って、それでゼロに相談しようと思ってここまで来たんですけど」
「電話をかけようとしたところで、僕たちを見つけたと?」
「は、はい。そうです」
ライの問いにユーフェミアはこくこくと頷く。
それを見て、ライはため息をついた。

自分たちの泊まる宿にコーネリアがいるという事実ですら頭が痛いというのに、そのコーネリアと騎士団の古参の幹部が問題を起こしたと聞いたのだ。
吐き出したのがため息だけで済んだことを、むしろ誉めて欲しいとすら思う。

そんなことを考えながらもう一度ため息をつくと、ライは顔を上げ、真っ直ぐにユーフェミアを見た。
「総代表。コーネリア総督と玉城たちはどこに?」
「あちらの松の間に」
「わかりました。僕が行きます」
「えっ!?」
はっきりとそう答えた途端、周囲から驚きの声が上がる。
「ライ!?でもあなたは今休暇中で……」
「お酒が入った彼らは、人の話なんて聞きません。だから僕が行きます」
いつか行った温泉旅行を思い出し、げんなりとした気分に陥りそうになりながらも、はっきりとそう告げる。
おそらく、ブリタニア側の人間だけでは収集がつかなくなるだろう。
放っておけば、特区でもブリタニアと日本の幹部の間に亀裂が走るような事態になる可能性だってある。
こんなくだらないことで、ルルーシュとユーフェミアが望んだ未来が潰えるなんて冗談じゃない。
それを阻止するためだったら、休暇なんていくらでも返上してやる。

しまいには玉城あたりを殴って収集を付かせる覚悟で、ライはユーフェミアを見つめる。
その気迫に飲まれたのか、ユーフェミアはごくりと息を飲むと、ライの申し出を了承した。
「じゃあ、私も……」
「いや、カレンはみんなと部屋に戻ってくれ」
ほとんど反射的にと言わんばかりに手を挙げたカレンを、ライが制す。
それにカレンは思わず眉を潜めた。

「でも、ライだけじゃ……」
「大丈夫だ。だから、カレン」

ライの視線が、ふと動く。
カレンから外れたそれが、カレンの後ろにいる誰かを見た。
振り返ってその人物の姿に気づいたカレンは、ライの言おうとしていることを悟り、はっと目を見開いた。
慌てて視線を戻せば、そのときにはライの視線はカレンに戻っていた。
ほんの少しの間驚きを隠さずにライを見つめていたカレンは、その意図を悟ると、表情を引き締めて頷いた。

「……ええ、わかったわ」
「うん。よろしく頼む」

たった一言。
けれど、2人はお互いの言わんとしていることを正確に理解していた。
ここには、2人にとって何よりも大切な人がいる。
ユーフェミア以外の皇族には絶対に会わせてはいけない、大切な人とその妹が。
その彼を守るためならば、余計な言葉なんて必要なかった。

カレンから視線を外すと、ライは友人たちに背を向けようとする。
その背を見た瞬間、ルルーシュは慌ててライを呼んだ。
「ライ……っ」
その声に、ライはくるりとこちらを振り返る。
目が合った瞬間、彼はふわりと微笑んだ。
「大丈夫。すぐに戻ってくるから。君はカレンたちと一緒に部屋に戻ってくれ」
「あ、ああ……。わかった」
僅かな不安を捨てきれないまま頷く。
それに笑顔を返すと、ライは今度こそこちらに背を向けた。
「行きましょう、総代表」
「ごめんなさい。お願いします、ライ」
本当に申し訳なさそうな顔をしたユーフェミアが、ぺこりと頭を下げる。
そのまま2人が、ユーフェミアがやってきた方向へ歩き出そうとした、そのときだった。

「待って!」

再びかかった制止の声に、ライとユーフェミアは驚きの表情を浮かべて振り返った。
彼らだけではない。
他の者たちも、驚いた様子で視線を動かした。
全員の視線の先にいたのは、先ほどまでずっと何も言わずに黙り込んでいたスザクだった。
その翡翠の瞳が、真っ直ぐにユーフェミアを見つめる。

「自分も行きます」
「スザク?」
「本気か?」

ライの目が、すうっと細くなる。
その目を、スザクは知っていた。
それはライが黒の騎士団の幹部の1人として、ゼロの左腕として振る舞うときの表情だ。
敵としての彼とも対峙したことのあるスザクが、今更その表情を恐れるはずもない。
ただ真っ直ぐに紫紺の瞳を見返した。

「僕はユフィ騎士だ。万が一のことがあった場合、ユフィを守る義務がある。だから、僕も一緒に行く」

はっきりとそう言いきった翡翠の瞳と、紫紺の瞳がぶつかり合う。
黙って見つめ合う2人に、普段の学園の友人としての空気はない。
妙に張りつめた空気に耐えられなくなったユーフェミアが、どちらかに声をかけようとしたそのとき、片方が動いた。
先に視線を逸らしたのは、ライの方だった。

「……どうします?総代表」

紫紺の瞳が、そのままユーフェミアに向けられる。
一瞬驚いたユーフェミアは、けれどすぐに我に返ると、胸の前で腕を組んだ。

本当は、スザクを姉に合わせたくないと思う。
スザクが休暇を取ってここに来ていたと知れば、姉がスザクを快く思わないこともわかっている。
けれど、もし。
今起こっていることを知った上で、スザクがついてこなかったとしたら、姉は騎士失格と余計に彼を毛嫌いするのではないだろうか。

そんな考えに至ったユーフェミアは、小さくため息を吐き出すと顔を上げた。
そして、真っ直ぐに自分を見つめる翡翠の瞳を見つめ返す。

「わかりました。スザク、一緒に来てください」
「イエス、ユアハイネス」

ただ一言そう命じれば、スザクは騎士の礼を取って頷いた。
それに、わかってはいたけれど、ほんの少し寂しさを覚えながら、ユーフェミアは再びライに向き直った。

「では、お願いします、ライ」
「はい」

ライの返す言葉は、たった一言。
それにユーフェミアが頷き返すと、3人はコーネリアたちのいるという松の間に向かって歩き出した。




2009.6.30