月光の希望-Lunalight Hope-

絵空事の世界

前編

「はーい。とうちゃーく」
ミレイが門の前で両手を上げて宣言する。
白い門に白い建物。
西洋風に作られたそれは、小さな美術館だった。
「ここがクロヴィス展とやらをやっている美術館ですか」
「そうよー」
ルルーシュがため息まじりにそう言えば、ミレイはにっこりと笑って振り返った。
「クロヴィスって、芸術家としてはあまり有名ではなかった気がしますが」
「まあ、どっかの企業の御曹司だったらしいからねー。会社と二足草鞋だったらしいし」
たまたまこの街が彼の出身で、その企業が街と密接な関わりを持っていたから。
この街で彼が有名なのは、そんな事情が絡んでいたなんて話は、もちろんミレイも知っているようだった。
「まあ、今度の学園芸術鑑賞会で予定していた美術館は、盗難事件で一般公開中止になっちゃったし、近場はもうここしかないから仕方ないでしょう」
「で、俺たち生徒会が下見と」
そう呟いてルルーシュはため息をつく。
今日ここに来ているのは、ミレイの行ったとおり下見だ。
アッシュフォード学園の生徒会7人で、今度の学校行事で訪れようとしている美術館の下見に来た。
「代わりに授業の単位免除してもらえるからいいんじゃないー。ほら、入るわよー」
意気揚々と入っていくミレイの姿にため息をつく。
正直気は進まないが、このまま帰ることができるわけでもない。
他の友人たちに背中を押され、ルルーシュはしぶしぶと美術館に足を踏み入れた。



中に入り、入館料を払う。
団体料金も確かめた後で展示室に入ると、そこにはいきなり大きな絵が置かれていた。
「これは、何というか」
「斬新、というべきなのかしら?」
まさか床に絵が置かれているなんて思わなかった。
そう呟いたのはカレンだ。
その隣から柵の中を覗いたリヴァルも、思わずため息をもらす。
「壁に貼れないレベルの絵ってのもすげーよなー」
「たぶん、貼れないんじゃなくって、そういう演出なんだと思うけど……」
そう呟いたのはニーナだ。
解説を読めば、絵のタイトルは『深海の世』。
なるほど。人の世界から深海を見たというイメージなのならば、この絵は床に置かれるのが正しいのかもしれない。
「あっちには宝石展示なんてのもあるみたいだな」
ふと案内板を見たライが呟いた。
「え?本当!?」
「言ってみましょうか。ほら、ニーナとカレンも」
いち早く反応したシャーリーに笑いかけたミレイが、女性陣を引き連れて展示室へ歩いていく。
その後ろ姿を見送って、リヴァルが苦笑を浮かべた。
「女って本当、宝石とか好きだよねー」
「まあ、いいんじゃないかな?かわいらしくて」
少し呆れ気味のリヴァルに、ライがくすくすと笑いながら答えている。
そんな光景を見ながら、ルルーシュは手にしていたパンフレットを広げた。
どうやら展示室はここだけではないらしい。
「俺たちは上に行ってみるか」
女性陣と同じ場所にいると、きっと彼女たちのテンションに巻き込まれる。
そう思っての提案だったのだろう。
2人たちもそう思っていたのか、苦笑を浮かべると、ルルーシュの提案に同意する。
3人で階段を上がり、2階の展示室に入る。
そこには絵だけではなく、彫像も展示されていた。
「上も上で結構インパクトあるな」
周囲を見回したリヴァルが、感心したように呟く。
ふと、その目が一点で止まった。
「何だ?この頭のない像」
「『無個性』だって」
彼の問いに答えたのはライだった。
「パンフレットに寄ると、クロヴィスって人は人の個性は顔にある、みたいに思ってたらしいよ」
「つまり顔がないから個性がない、ってこと?」
「だろうね」
リヴァルの問いに、ライは頷く。
そのときふと、視界に違和感を感じた。
「……あれ?」
「ん?どうした?」
辺りを見回しているライを見たリヴァルが、不思議そうに声をかける。
「ルルーシュは?」
「え?」
その問いにリヴァルも周囲を見回す。
さっきまで側にいたはずのルルーシュの姿が、展示室から消えていた。



壁に掛けられた絵を眺めながら、何となく展示室への奥へと足を進める。
ふと、反対側に置かれた彫像を見て、ルルーシュはため息を吐き出した。
「一般的な絵もあると思えば何を表したのかよくわからない像もある。どうも芸術家というのは理解できないな」
芸術というのは理論で理解するものではないとわかっているつもりだ。
だからこそ、余計に理解できないのだろうと思う。
妹のナナリーなら、おそらくそう言ったものも理解できるのだろうと思う。
あの子は、そういう精神的なものも、よく理解しているから。
「ん?」
そんなことを考えながら歩いていると、不思議な一角に出た。
2階の展示室は、壁に絵が飾られ、通路の中央に彫像が置かれているというレイアウトだった。
けれど、その通路には大きな絵が一枚、貼っているあるだけだ。
その絵が、何故か気になった。
「なんだこの絵は。『絵空事の世界』……?」
横長の絵、壁一面を覆うほどの大きさの絵の中に、さまざまなものが描き込まれている。
その中に描かれているものは、全てこの美術館に置かれている物のように見えた。
「これは……」
思わず絵に触れようとした、その瞬間だった。
一瞬、ほんの一瞬だった。
世界が一瞬、点滅した。
「え……?」
美術館には、雰囲気を盛り上げるためにBGMがかかっているはずだ。
その音が、証明が点滅した瞬間に消えた。
「な、なんだ?」
機械系統の故障だろうか。
それならば照明の点滅も音楽の消失も理解ができる。
しかし、それなら開場前に整備をしておいてほしいものだ。
「……戻るか」
ため息をついて、元来た通路を戻ることにした。
「ん?」
ふと、元の通路に戻って違和感に気づく。
「さっきまで、こんなに静かだったか?」
音が、消えてしまっているような気がした。
BGMだけではない。
人の喧騒まで、消えてしまっていた。
「リヴァル?ライ?」
一緒に上がってきたはずの友人たちを探すけれど、見当たらない。
それどころか、他にも大勢いたはずの客の姿もなくなっていた。
「か、会長たちのところか……?」
下の女性陣と合流しているのならば下にいるだろう。
そう思って階下へ降りる。
しかし、そこも同じだった。
入口の受付カウンターにいるはずの係員の姿まで無くなっている。
1階の展示室を、早足で通り抜ける。
「会長。シャーリー、カレン、ニーナ!」
奥にある宝石展示のコーナーに入り、そこにいるはずの友人たちの名を呼ぶ。
しかし、誰からも返事がない。
いや、それどころか。
「誰も……いない?」
もう間違いなかった。
美術館から、人の姿が消えている。
先ほどまであんなに人がいたはずなのに、いつの間にかルルーシュ1人になっていた。
「一体どういう……」
思わず呟いた瞬間、背後で音がした。
まるで何か液体でも落ちたかのようなそれに、ごくりと息を呑んで振り返った。
床に、いつの間にか文字が描かれている。
赤いインクで書かれたそれに、ルルーシュは目を見張った。
『お い で よ ル ル ー シ ュ』
それははっきりと、ルルーシュの名を呼んでいた。
「な、なんだこれは……」
何故ここに文字がとか、何故自分の名を知っているとか、聞きたいことはいろいろとあった。
それよりも何よりも、ここにいてはいけない気がしていた。
「とにかく出よう。きっとみんな先に外に出たんだ。そうに決まっている」
必死に言い聞かせて、そう思いこもうとしているのだと知っていた。
そうでもしないと、どうにかなってしまいそうだった。
急いで美術館の入り口に戻る。
観音開きの扉に手を掛ける。
急いでノブを回した。
しかし、回りそうだったそれは、途中でがちっと音を立てて止まってしまう。
「開かない……っ」
何度も何度も回すけれど、扉は一向に開かない。
「どうなってるんだ……」
途方に暮れたそのとき、再び液体が落ちるような音がした。
振り返れば、再び、今までそこにはなかったはずの青い文字が出現していた。
そこには『こっちにおいでよルルーシュ。ひみつのばしょおしえてあげる』と書かれていた。
「秘密の場所……だと……?」
この美術館には何度か来たことがあったはずだった。
けれど、そんな場所があるなんて聞いたことなんてなかった。
よく見れば、床に青いインクが、足跡のように続いていた。
ごくりと息を呑み込む。
ついて行ってはいけない気がした。
しかし、このままここにいてもどうしようもない。
「行ってみるか……?」
独り言が多いことも自覚していた。
怖い、だなんて柄にもない。
けれど、声を出していなければ、不安に押しつぶされてしまいそうになっていた。
足跡を辿って、1階の展示室に戻る。
足跡は、床に置かれた『深海の世』というタイトルの絵に続いていた。
「ここが秘密の場所、か?」
足跡は、絵に踏み込むような形で途切れている。
「この絵に乗れと言うのか……」
芸術は理解できないとはいえ、誰かが描いた絵を踏むという行為には抵抗があった。
けれど他に行く場所がないのならば、行くしかない。
意を決して、絵に足を踏み入れた。
その瞬間、水音がして、足が絵の中に埋まる。
「な……っ!?」
体を引こうとしたけれど、もう遅かった。
ぐらりと体が傾いて、倒れる。
水が激しく跳ねる音がした。
けれど、体を水に打ち付けるような痛みは襲ってこない。
不思議に思って、目を開ける。
「え……」
そこは、先ほどまでいた展示室ではなかった。
青い壁と青い床の、薄暗い通路が続いていた。
「この美術館にこんな場所があったのか……」
おそらくここは地下か何かだろう。
そんな小さな美術館に、こんな場所があったなんて驚きだった。
恐る恐る階段を下りる。
一番下まで降りて辺りを見回すと、ふと色彩の違うなにかか目に入った。
「ん?なんだ?薔薇か?」
一面の青の中、そこにあったのは赤い薔薇だった。
異色なそれに、何となく引き寄せられるように歩み寄る。
「綺麗だな……」
何故かその空間で、その薔薇は唯一美しく思えた。
吸い寄せられるように、その薔薇を手に取る。
その瞬間、風が吹いたような気がした。
「え……?」
思わず辺りを見回す。
けれど、何かが起きた様子はない。
視線を戻して、気づく。
薔薇の入っていた花瓶の向こうに、扉がある。
「ここに入れということか……?」
何故わざわざ扉を塞ぐように置かれていたテーブルをどかし、扉に手をかける。
今度は簡単に扉は開いた。
ゆっくりとそれを開いて、中に入る。
中は小部屋になっていて、そこには髪の長い女の絵が1枚飾ってあった。
その絵に少し違和感を覚える。
一瞬遅れてその正体に気づいた。
「絵から……髪が……」
絵画の女性の髪が、額の外に流れ落ちていた。
妙に立体感のあるそれに気持ちの悪さを感じていると、ふとその髪のそこに何かあることに気づいた。
そこには、1枚の紙が貼られていた。
『そのバラ朽ちる時 あなたも朽ち果てる』という文字が書かれたそれに、ごくりと息を呑む。
「どういう意味だ……?これは……」
思わず呟いた、そのときだった。
「うわ!?」
手に持っていた薔薇が、するりとその中から抜ける。
勝手に浮かび上がったそれは、制服の留め具の側の隙間に収まった。
「な、何だって言うんだ……?」
胸に納まる形になったそれに触れる。
それはしっかりとした感触を持って、そこにあった。
引き抜こうとするけれど、何故かぴくりとも動かない。
それに嫌な予感を感じていると、ふと足下に何かが当たった。
「ん?」
見下ろしてみると、そこには青い鍵が落ちていた。
「こんなもの、あったか?」
不思議に思いながらも、それを拾い上げる。
もう一度辺りを見回したけれど、この部屋には扉などない。
ということは、別の場所の鍵と言うことか。
戻るしかない。
そう判断して部屋を出る。
「ん……?」
部屋を出た途端に、再び違和感を感じた。
ほんの少し動かしただけだったはずのテーブルが、壁にぴったりとくっついていた。
その側に、1枚の紙が貼られている。
そこには、『バラとあなたは一心同体。命の重さ知るがいい』と書かれていた。
「どういうことだ……これは……」
さっきの紙の言葉と、今の紙の言葉。
それを合わせたときに、導き出される答え。
それはもうとっくにわかっていたのかもしれない。
けれど、そのときには信じたくなかった。
だから、逃避だとわかったいたけれど、気がつかないふりをしていた。
それも、長くは続かないと言うことも、何となくわかっていた。