月光の希望-Lunalight Hope-

バースディパニック

前編

これはいつもの朝礼だった。
そう、いつもの朝礼だったはずだ。
いつもと変わらない、それのはずだったのに。

「皆さん、今日は我らが行政特区日本副代表、ゼロの誕生日です」

総代表ユーフェミアの一言で、その朝礼はがらりと様子を変えてしまった。






ばたばたと特区内の政庁の廊下を走る音がする。
廊下を走っていくのは、特区内では有名な少年少女。
総代表の騎士であるスザクと同じくらい名を馳せている、黒の騎士団の『双璧』、紅月カレンとライ・エイドだ。
その腕には、それぞれあるものを掴んでいた。
ライが右手、カレンが左手で掴むそれは、言うまでもなく特区の副代表ゼロ。
2人とは違いよたよたと、完全に2人引っ張られるようにして走る彼は、ぜえぜえと荒い息を上げていた。
ちらりと後ろを見たライが、カレンに声をかける。
そのままゼロを引きずって、2人で手近な部屋に飛び込んだ。
漸く足を止めることができたゼロは、その場に座り込み、肺に空気を取り込もうと必死になる。
「大丈夫か?」
「だれの……っせいで……っ!」
「仕方ないじゃないですか。ゼロの足だと、追いつかれちゃうんですから」
両手を床に着いた無様な姿で文句を言うゼロに、カレンが困ったように眉を寄せ、言葉を返す。
それに返せる言葉が見つけられないでいるうちに、ぴっという電子音が室内に響いた。

「ロック完了。もう仮面取っても大丈夫だよ、ルルーシュ」

ライがそう声をかけた瞬間、ゼロの手が仮面に伸びた。
「……っはあっ!」
いつにない速さでもぎ取ると、ルルーシュは大きく息を吐き出した。
「そんなに苦しいのなら、外しちゃえばいいのに」
「馬鹿、言うな……!今更、お前たち、以外に、正体を、晒せるか……っ!げほ……っ」
「わかったよ。わかったからちょっと落ち着いて、ルルーシュ。ほら。ゆっくりと息を吸って、吐いて~」
カレンに反論しようとして咳き込んだルルーシュの背を、ライが摩る。
何度か深呼吸を繰り返しているうちに、漸く上下していたルルーシュの肩が落ち着いてきた。
呼吸も平静を取り戻してきたことを確認し、ライはルルーシュの顔を覗きこむ。
仮面でだいぶ蒸れたのか、ルルーシュの顔には玉のような汗が噴出し、それが長い前髪を伝って流れ落ちた。
「落ち着いたか?」
「……水」
「無理だ。どう見たってこの部屋には水道はない」
きっぱりと答えた途端、紫玉の瞳がぎらりとライを睨みつける。
「もっと部屋を選んで飛び込め」
「それでもよかったけど、そうしたらあなたがもたないでしょう」
「ぐ……っ」
きっぱりと言い切ったカレンに、図星を突かれたルルーシュが返せる言葉があるはずもない。
そのままぷいっと視線を逸らしたルルーシュに、カレンはため息をつき、ライは気づかれないように苦笑を浮かべた。
その整った顔が、僅かに歪む。
眉を寄せてため息をついたライに気づき、カレンはその空色の瞳を向けた。
視線に気づいたのか、ライは困ったように笑った。
「それにしても、ゼロがこんなに人気があったとはね……」
「予想外……というか、予想以上よね。仮面の中身を知っているならともかくとして」
ライの言葉に、カレンは大きなため息をつく。

頭の中に浮かぶのは、彼らが特区内を逃げ回ることになった原因。
今朝の朝礼での、行政特区日本総代表ユーフェミアの一言だった。

『我らが副代表のお誕生日、盛大に祝ってあげてくださいね』

ゼロとその騎士であるライとカレンが、突然のユーフェミアの発言に唖然とする中、彼女は笑顔で、はっきりとそう告げた。
それで朝礼は終わり、いつもなら予定されているはずのゼロの演説をすることもなく、執務室に戻ろうとしたそのときだった。
普段ならそのまま自分の所属部署に戻る黒の騎士団の幹部たちが、3人のもとへ押しかけてきた。

『ゼロ!何で言ってくれねぇんだよ!水臭ぇじゃねぇか!』
『おめでとう、ゼロ!』
『一体いくつなのか、知りたいところだねぇ?』

みんなのその言葉に、そんな反応が返ってくると思っていなかったゼロはたじたじだ。
それだけなら、まだよかったのだけれど。

『ゼロ!』
『ゼロ様っ!』
『閣下っ!!』

あろうことか、普段は恐れ多いとゼロに近づかない一般人までが、ここぞとばかりにゼロを祝おうと政庁に入ってきてしまったのだから、もう大変だ。
押し寄せる人の群れに、悲鳴を上げて押しつぶされそうになっていたゼロを救い出したのは、もちろんライとカレンで。
そのまま2人は、ゼロを連れて脱兎のごとくその場から逃げ出してきたのだ。

「「こんなチューリップ仮面のどこがいいんだか」」
「おいこら、お前たち」

ゼロの存在も意志も肯定する2人だが、ゼロの仮面は全否定。
それどころかスザクと同じその物言いに、漸く落ち着きを取り戻したルルーシュがぎろりと睨みつけた。
「というか、これはチューリップではない!黒のキングだ!!」
「昔私のお兄ちゃんが持ってたのは、そんなに尖ってなかったわよ」
「知るかそんなこと!」
「ってことは、ブリタニアと日本で駒のデザインが違うのか?」
「って、ライ!つっこむべきところはそこではないっ!」
「それはそうだけど……。そんなに騒ぐと見つかるぞ?」
冷静なライのつっこみに、ルルーシュは慌てて自らの口を押さえ、黙り込む。
耳を澄ますが、誰かが側を通っている気配は感じなくて、ほっと息を吐き出した。
その隣で、カレンが大きなため息をついた。
「はあ……。こんなので、夕方までにトウキョウに帰れるのかしら?私たち」
その言葉に、ルルーシュも不安そうに眉を寄せた。

本当ならば、ゼロとライ、カレンの3人は、今日は午後から休暇をもらう予定だったのだ。
3人で学園に帰って、ミレイたちが企画しているルルーシュの誕生パーティに参加する予定だった。

それを、そしてそれが始まるまでの予定を思い出して、ルルーシュは大きなため息をついた。
「午後はナナリーとゆっくり過ごすはずだったのに……」
「……シスコン」
「仕方ないよ、カレン。こればっかりは」
ぼそりと呟いたカレンにそう言ったのは、ライだった。
ぎろりと、不満を込めた目でライを睨んだカレンは、次の瞬間目を見開く。
ライの顔には、諦めたようなというか空しいようなというか、そんな複雑な表情が浮かんでいた。
「……お互い報われないわね」
「まったくだ」
思わず同情して、声をかけた途端にはっきりと返ってきた言葉。
それに思わず苦笑すると、すぐ傍でルルーシュが不思議そうに首を傾げた。
「何の話だ?」
「「何でもない」」
はっきりきっぱりとそう答えた2人に、ルルーシュがむっと眉を寄せ、文句を言おうとしたそのときだった。
廊下から人の話し声が聞こえ、ルルーシュははっと口を噤む。
耳を澄ませば、聞こえたのは確かに聞き覚えのある声。
黒の騎士団の誰かだと思われるその気配が遠ざかってから、ルルーシュは盛大にため息をついた。

「まだ探してるのか!?いい加減しつこいぞ!」
「仕方ないわよ。ゼロは日本の希望だもの」

行政特区が成立してから、ゼロを称える声はテロリスト時代よりも増えたのだ。
ブリタニアに新しいシステムを認めさせた英雄として、特区内はもちろん、特区の外からも絶大な人気を誇るゼロの誕生日を祝いたいという気持ちは、カレンにもわからなくもない。
もしもあのままゼロの正体を知らずにこの未来を迎えていたなら、自分もきっと彼らと同じようにゼロを祝おうとしたただろうから。
もちろん、ゼロがルルーシュだと言うことを知っている今は、彼の希望を叶えることを優先したいと思っている。
けれど、さすがにこれではどうしようもないと、諦めかけたそのときだった。

「……抜け出す手は、なくもないけど」

唐突に、ライが呟いた。
あまりにもあっさりと発せられた言葉を一瞬聞き逃しそうになった2人は、次の瞬間ばっとライに顔を向ける。
「本当か!?ライ!!」
「こんな状況で?」
期待に目を輝かせるルルーシュと、不思議そうなカレン。
ルルーシュの方は、きっと今時分が浮かべている表情がどんなものか気づいていないんだろうなと思いながら、ライははっきりと頷いて見せた。

「ゼロの素顔を知っているのは、僕たちとC.C.、それからユフィだけだ。他の誰も、君がゼロだとは知らない」

そう、特区が成立してずいぶんな時間が経つけれど、未だ誰も、ゼロの正体を知る者はいないのだ。
知っているのは、今ライが名を上げた4人だけ。

「問題なのは、ルルーシュとしての君を知っているスザクとコーネリアに遭遇した場合だけど、スザクは今日は学園にいるし、コーネリアはトウキョウで重要な会議があるはずだから、シズオカには来られないはずだ」

ライの言葉に、カレンは昨日のスザクを思い出す。
朝礼が始まる直前のこと。
スザクは、ゼロとは話をするユーフェミアの傍にやっていて、唐突に告げたのだ。

『枢木スザク、明日は大切な用事があるため、お休みを頂きます』

その大切な用事が何なのか、知っているカレンは思わず叫びそうになり、ライに慌てて口を塞がれた。
自分たちは、どうしても休めないというのに、スザクは1人先にルルーシュの誕生パーティの準備に加わろうというのか。
そんなとんでもないことを言い出したスザクが、ゼロに向かい、ユーフェミアに手を出したら許さないというような内容の言葉を口にしたそのときには、さすがのライも怒り狂いそうになったけれど、そこは必死に理性で押さえた。

「やっぱり殴ろうかしら?スザクの奴」
「カレン。頼むから流血沙汰はやめてくれ」

少し本気の目をしたカレンを、ルルーシュが全力で止めに入る。
この2人が本気で追いかかったら、いくら体力馬鹿のスザクでもただではすまないだろう。
学園内はもちろん、特区でそんなことになったら大問題だ。
だからと言ってそれを口に出したら、今度はライが計画を練ってカレンと2人で闇討ちなんてことになりかねないから、絶対にしない。
不満そうにこちらを見るカレンを見ないふりをして、ルルーシュは米神を押さえながらライを振り返った。

「要するに、ゼロの仮面をつけずに、『俺』として外に出て行けと?」
「それなら、君は安全に特区から出られるだろう?」

ゼロの正体は誰も知らない。
だから、ゼロが素顔で歩いていても、誰も気づかない。
それを逆手に取った作戦だと言うことわかる。
しかし、今の状況でその作戦を決行するには、ひとつ条件をクリアしなければならない。
そして、ここではそれは不可能だ。

「生憎だが、着替えがない。着替えるためには俺の執務室へ行くか、いつもの更衣室に行くしかないぞ?」
「大丈夫。ここで僕と服を交換すればいい」

あっさりとそう言い切ったライの言葉の意味を、最初は理解することができなかった。
一瞬遅れて漸く理解した途端、ルルーシュがぼんっという音が聞こえそうな勢いが顔を朱に染め、声を上げた。

「……はあっ!?」

座っていた体勢のまま、勢いよく立ち上がろうとして、ひっくり返りそうになる。
それを慌てて腕を掴むことで阻止したカレンが、勢いよくライを見た。

「ちょっと!ライ、本気!?」
「仕方ないだろう?他にないんだから」

他にない。
確かにこの状況を切り抜ける方法も、ルルーシュの服を変える方法も、それしかない。
一刻も早く、ゾンビのごとくゼロを求める人間の徘徊する巣窟と化した特区から脱出するためにも、これしか方法はない。
もはや正常な思考を失っているらしいカレンは、ぐるぐるとそんなことを考える。

それでも反対したい理由は、他でもない、羨ましいからだ。
普段からゼロの影武者をしていることのあるライが、ゼロの衣装を纏うことは珍しいことではないけれど。
なんというか、その、脱ぎたてのルルーシュの服を身に着けられるなんて。

って、ちょっと何考えるの!
これじゃあ私、ただの変態じゃないっ!!

カレンが1人、自身のとんでもない思考に悶絶しそうになっているその傍で、ライはルルーシュに向き直る。
「僕なら身長はそんなに変わらないし、何とかなるだろう。それでいいかな?ルルーシュ」
一応ルルーシュの意見も聞きたいと、尋ねる。
しかし、ルルーシュは答えない。
真っ赤になって固まったままだ。

「……ルルーシュ?」

反応のないルルーシュを不思議に思い、声をかけた瞬間、びくんとルルーシュの肩が跳ねた。
漸く思考が現実に戻ってきたルルーシュは、ぱちぱちと何度も目を瞬かせ、おろおろと視線を彷徨わせる。

「え?あ、う……」

実はこのとき、ルルーシュもカレンと似たようなことを考えていた。
普段、特区にいるときにライの服を借りることは多々ある。
そんなときでも、綺麗に洗濯されているはずのその服から感じるライの香りに、顔を染めないようにするのに必死になっていると言うのに、たった今まで身に着けていたそれを借りるなんて、身が持たない。
対するライはそれすら嬉しいらしく、いつもにこにこ笑っているだけだ。
だからこそ、それを伝えても、この気持ちをわかってくれることはないだろう。
だから、返答に困っていたと言うのに。

「僕のは嫌かな?」
「い、嫌じゃないっ!!」

首を傾げて、悲しそうに聞かれた瞬間、ルルーシュは反射的に答えてしまっていた。
その瞬間、ライが楽しそうに、にっこりと笑う。
その笑顔の意味を、ここ数か月間でルルーシュはこれでもかというほど理解してしまっていた。

「じゃあ決まりだな」

嵌められたと気づいたときには、ライは満面の笑顔を浮かべていて。
にこにこと笑顔を浮かべた彼に抵抗できるはずもなく、ルルーシュはカレンの見ている前で、あっさりとゼロの衣装を剥ぎ取られた。













(や、やめろ!ライ!)

(往生際が悪いな。えい!)

(ひっ!?んぁ……っ!?)

(ちょ、ちょっとぉぉぉっ!!!何してるのよラァァァイっ!!)




2008.12.6