月光の希望-Lunalight Hope-

助ける者

「そういえばライ。お前、名前はどうする?」
「……は?」

ルルーシュが突然意味の分からないことを言い出した。
ベッドに体を起こしたライは、突拍子もないその問いにしばし硬直する。

ここはシズオカゲットーに最も近い租界にある病院だ。
特区の記念式典でユーフェミアを止め、重症を追ったライが入院しているその病室にいるのは、患者本人であるライとあと2人。
黒の騎士団の総帥であるゼロの衣装纏ったルルーシュと、同じく騎士団の制服を着たカレン。
ルルーシュは仮面を外し、サイドテーブルに置いていた。
あの式典の日以来、彼のギアスは暴走したままだ。
その彼が、唯一素顔を晒すことができるのは、特区の政庁内に用意された彼の部屋。
唯一の例外は、この病室――それもこのメンバーでいるときだけだった。
ライもカレンも、既にゼロの正体を知っている。
加えて、2人はルルーシュにギアスをかけられたことがあった。
1人に対し一度しか使えないこの力は、例え暴走していたとしても、もう2人にかかることはない。

その露になっている紫玉と真紅の瞳を見て、ライは首を傾げているルルーシュに尋ねた。
「どうするって、何が?」
「何がって……」
「唐突過ぎるわよ、ルルーシュ。ライはずっとここにいて、会議の内容なんて知らないんだから」
「ああ、そうだったな。すまない」
カレンの指摘に、ルルーシュは忘れていたといわんばかりに呟き、謝る。

普段は頭がいいのに、どうしてこういう風に抜けているところがあるのか。
それは真実を知るライ、カレン、ナナリーの3人に限定してのものだと知っているけれど、時々心配になる。
無意識に気を抜いてくれるのは嬉しいのだけれど、ゼロとしての仮面が外せなくなった以上、もう少し気をつけてもらいたい。

「行政特区日本に、黒の騎士団の政治的参加が正式に認められた」

そんなことを考えていたから、真剣な表情になったルルーシュの言葉を、一瞬聞き逃しそうになった。

「……え?そ、そうなのかっ!?」
「ああ」
少し遅れて、漸く頭に染み込んだ言葉に驚き、声を上げる。
淡々と返事をするルルーシュは、それでも満足そうな笑みを浮かべた。
その隣で、カレンも嬉しそうに笑っている。
「キョウトがゼロを日本の代表にって推したのよ。ブリタニアも、結構あっさりそれを認めてね。たぶん、ユーフェミア総代表が押し切ったんでしょうけど」
「だろうな。ユフィはこうと決めたら頑固だから」
そう言って微笑むルルーシュは、穏やかな雰囲気を纏っていた。
テロ活動をしていた時期には見られなかったその表情に、心が和む。

やっぱり、あの時こんな怪我をしてでもユーフェミアを止めることができてよかった。
それができなかったら、きっとルルーシュがこんな風に笑うことはなかっただろうから。

「それで、それが僕の名前とどう関係してくるんだい?」
「ああ、あのね。特区では新しいIDが交付されるんですって。ライ、今までIDって持ってなかったでしょう?それで、この際黒の騎士団として、正式な身分証明を作ってしまおうって話をしてたのよ」
「だが、お前は姓がわからないだろう?それでどうするかと思ったんだ」
「ああ……」

それで名前はどうする、なんて問いになったのか。

確かに、今のライには名字と呼べるものがない。
学園にはミレイの権限で名前だけの登録で在籍させてもらっている。
けれど、特区ではそういうわけにもいかないだろう。
なにせ、自分は黒の騎士団の幹部として、何らかの政策に関わることになる身だ。
身元不明、名字すらわからない人間が、そんなことに関わることができるかといえば、普通は否だ。

「名字、かぁ……」
「何その反応。ずいぶん興味なさそう」
「いや、実際何も考えてなかったから。急に言われてもぴんと来ないっていうか……」
「まあ、そりゃそうよねぇ」

たぶん、2人にこんな話をされなければ、ずっと考えることはなかったかもしれない。
記憶が戻った今、ライは自分の名字も本当の名前も、全てを思い出していたから。

腕を組んで悩んでいると、それまで黙って2人を見つめていたルルーシュが、唐突に口を開いた。
「お前、母方の名字は分からないのか?」
「え?」
「いや、ほら。過去を全部思い出したと言っていたろう?その記憶の中に、母親の旧姓はなかったのか?」
「母上の旧姓、か……」
「カレンだって紅月は母方の姓だろう?俺もランペルージは母の旧姓だからな」
「「え?」」
ルルーシュの言葉に、ライとカレンが同時に声を上げる。
予想もしていなかったらしい反応に、ルルーシュの綺麗な眉が不思議そうに寄った。
「……何だ?」
「いや、何だも何も」
「ルルーシュ……それは迂闊すぎないか?」
ライの指摘に、ルルーシュは分からないといわんばかりに首を傾げる。
そんな無防備な仕種に、ライは思わず頭を抱えそうになった腕を無理矢理膝の上に押し付けた。

「アッシュフォード家はそもそも、君のお母さんの後ろ盾だろう?アッシュフォードとランペルージと聞けば、気づく人間は気づくじゃないか」
「ああ……」

ライの言葉に、漸くルルーシュは意味が分かったといわんばかりに呟く。
そのきょとんとしていた表情が、すぐにいつもの無表情に戻った。
「大丈夫だ。7年間ばれていない」
「だからって、今後もそうとは……」
「仕方ないだろう」
はっきりと言い捨てたルルーシュが、視線を逸らす。
その表情に、ほんの少しだけ影が差した。

「捨てられなかったんだ。それだけは、どうしても」

呟くように吐かれたその言葉は、痛みを持っていた。
皇族であることを捨て、身分を隠して生きる彼が、どうしても捨てられなかったもの。
それが母という存在と、思い出を積み上げてきた自分たちの名前。

「ルルーシュ……」

その気持ちが、ライにはよく分かる。
ライ自身、この名前だけは、どうしても忘れられなかった。
他の何を自ら望んで忘れても、この名前だけは覚えていた。
母と妹だけが呼んでくれていた、この『ライ』という愛称だけは。
それはきっと、ライ自身が忘れたくなかったからなのだろう。

俯いてしまったルルーシュの顔を見ていられなくなって、思わず手元に視線を落とす。
その途端、膝の上に別の手が乗せられ、驚いて顔を上げた。
目の前には、いつの間にか身を乗り出してきたのか、楽しそうに微笑むカレンの顔があった。

「それで、ライは?」
「え?」
「名字よ名字!思い出したの?お母さんの名前!」

明るく尋ねるカレンの態度に、ライは一瞬困惑する。
けれど、すぐに彼女の意図に気づいたから、少し考える仕種をすると、軽く首を横に振った。

「それが、知らないんだ」
「知らない?」
「うん。母は、自分のことを話してくれない人だったから」

それは、母の立場を考えれば当然のことだったのかもしれない。
自分の昔のことを話すことで、子供たちがそちらに憧れ、家への反抗心を必要以上に育てないために。
そうすることで子供たちの立場を悪くさせないようにという、母の優しさだったのではないか。
それは今だから思いついた考えであって、当時のライは、そんな可能性にすら気づいていなかったけれど。

「あ、じゃあ!いっそのこと本名載せちゃうとか」
「明らかにブリタニア人な名前はまずいと思うけど……」
「そう?」
「それに、ラインハルトは名乗りたくない」

ラインハルト・ロイ・エイヴァラル。
思い出したその本当の名前を、この場所で名乗りたくない。

「君たちと一緒にいる僕は、『ライ』だ。『ラインハルト』じゃない」

ここにいるのは、ただの『ライ』だ。
アッシュフォード学園の生徒会役員であり、黒の騎士団の団員であり、ルルーシュとカレンの友人である、ただのライなのだ。
母の気遣いにも気づかず、ただ父や兄弟を憎み、その果てに国を滅ぼした『狂王』ではない。

「ライ……」
「それならば、自分で作るしかないな」

カレンがすまなそうな顔で名前を呼んだ瞬間、何の前ぶれもなく扉が開いた。
驚き、焦ってそちらを見れば、立っていたのは長い緑髪を揺らした魔女。

「C.C.っ!?」

ルルーシュが驚いて名前を呼べば、彼女はにやっと笑った。
その服装は、以前とは変わっていて、ライは思わず彼女の全身を見てしまう。
ノースリーブの黒い服に黒のアームカバー、白いホットパンツと白のブーツ。
普段は私服でも露出の少なかった彼女が、今は腕だろうが足だろうが、戸惑うことなく晒していた。
どんな心境の変化があったのだろうか。
そんなことを考えているうちに、ずんずんと部屋の奥に入ってきたC.C.が、いつの間にか目の前に立っていた。

「見舞いに来たぞー、ライ。調子はどうだ?」
「……ありがとう、C.C.。とりあえず、その空になったピザの箱は自分で持って帰ってくれよ」
「何だ。いらんのか?せっかく見舞いに持ってきたというのに」
「4分の3を食べ終わったそれを見舞いの品と呼ぶのはお前くらいだ」
残念そうなC.C.に、ルルーシュが冷静にツッコミを入れる。
彼の言葉どおり、C.C.の持つピザの箱には、大きめのピザが4分の1だけ乗っていた。

「それよりも、聞いていたぞ。名前で迷っているそうだな」
「……いつからいた?」
「さぁて。いつからだろうな?」

くすくすと笑うC.C.を、ルルーシュがさらに睨みつける。
その態度も、彼女にとっては楽しいだけだ。
ルルーシュもいい加減にそれに気づけばいいのに、と思ってから、気づかないのが彼の可愛いところかと思い直す。

「そんなもの適当に決めればいいんだ。ライ・ピザとか、ライ・ハットとか」
「少なくともその2つは全力で却下する」
「なんだ。いい名前なのにもったいない」
「今のは明らかに君が好きなピザ屋の名前だろう」
「……ちっ」
「C.C.……」
はっきり否定すると同時に、舌打ちをしたC.C.をルルーシュが睨みつけた。
それをあっさりと無視したC.C.が、サイドテーブルにピザの箱を置く。
そのときに邪険にされたゼロの仮面が床に落ち、ルルーシュがさらに怒鳴りつけたが、当の魔女はやはりそれを綺麗に無視した。
「だったらやっぱり自分で考えるんだな。ほら、見舞いだ」
「うわっ!?」
一体何処に持っていたのか、C.C.が分厚い本を数冊ベッドの上に落とした。
危うく怪我に当たりそうになり、ライは必死に体を捩ってそれを避ける。
無理な体勢に傷が痛みを発し、思わず顔を歪めたその瞬間、目の前に飛び込んできた文字に思わず目を丸くした。
「名前辞典と国語辞典とブリタニア語辞典……?」
「そうだ。その中から好きなものを選べ」
ベッドの横に立つC.C.は、得意そうな笑みを浮かべている。
「あのねぇ~……。名前って、そういうものじゃないでしょう!」
「やめておけ、カレン。こいつに何を言っても無駄だ。何せ、自分はイニシャルで通している女だからな」
「だからって、それをライにまで押し付けないでっ!」
「押し付けてなどいない。選択させているだけだ」
「あんたのはどうしても命令口調に聞こえるのよっ!」
淡々と答えるC.C.に、カレンが噛み付く。
その姿を見て、ルルーシュが諦めたかのようにため息をつく。
それは、もう既にいつもの日常になっていた。
そしていつもならば、この当たりでそろそろ一番冷静なライが2人を止めに入るのだが、今日は何故かそんな様子がない。
ライが、3人の方を見ずに、じっと手元に視線を落としていたからだ。

「ライ?」

ライの様子に気づいたルルーシュが、不思議そうに名を呼ぶ。
それでも、ライは答えずに、代わりに発せられたのは小さな呟きだった。
「……Aid……」
「え?」
ライの呟きの意味が分からず、ルルーシュは不思議そうに聞き返す。
その声に、ライは漸く顔を上げた。

「……うん。決めた。エイドにするよ」

晴れやかなその表情に、ルルーシュが不思議そうな顔を浮かべる。
どうやら、あまりにも周囲の状況と違いすぎるライの言葉に、頭がついていかなかったらしい。

「えっと、何が?」
「名字だよ。さっきから話してたじゃないか」
「ライ・エイド、か?」
「うん」

ライの手元には、先ほどC.C.が落とした辞書のひとつがあった。
落ちた拍子にたまたま開かれたページを、ライはずっと見つめていたのだ。
正確には、そこにあった言葉に惹き込まれていた。

Aid――日本語で、助力という意味を持つ言葉。
その言葉に、一瞬で惹き込まれた。
だって、自分はルルーシュの力になるために、ここにいることを選んだのだから。
その言葉が、今の自分にはぴったりのような気がしたのだ。

「結局ブリタニア風なのね」
「駄目かな?カレンが日本だから、ちょうどいいと思ったんだけど」
「え?何が?」
「僕らはゼロの右腕と左腕だろ?それがお互いにブリタニアと日本のハーフで、右は日本の名前、左はブリタニアの名前」
紅蓮と月下の輻射波動が、そう取り付けられていたように。
黒の騎士団の双璧とまで言われるようになった自分たちは、それぞれがゼロの片腕だ。
その2人が、ゼロの脇に立ち、片方が日本の、もう片方がブリタニアの名を名乗る。

「まるで、ゼロが2つの国を繋いでいるみたいじゃないか」

ライのその言葉に、ルルーシュとカレンが驚きに目を見開いた。
その間に立つC.C.も、楽しそうな笑みを浮かべる。
「ほう……。こいつに2つの国の橋渡しをさせるか」
「だって特区に参加してしまった以上、もう僕らが以前のように武力でブリタニアを倒すのは無理だろう?だから、そういう形で変えていければいいと思ったんだ」
外からではなく、中から。
そう主張していた騎士を、以前は馬鹿にしていたものだけれど、こうなった以上、自分たちもその選択をするしかない。

いいや、違う。
自分たちも、選んだのだ。
その選択――戦争という手段以外で、夢を叶える方法を。

「日本とブリタニアの架け橋、か」
「君とユーフェミア総代表ならできると思うけど、駄目かな?」

ゼロの素顔を知り、その上で手を伸ばしたユーフェミア。
そのユーフェミアを認め、その手を取ったゼロ。
その2人でなら、きっとできると信じている。

「……いや、面白い。やってやろうじゃないか」

少し不機嫌そうな表情を浮かべていたルルーシュが、不敵に笑う。
楽しそうに、得意そうに。
そんな全ての感情を押し込めて、笑う。

「それが世界を変えるきっかけになれば、ナナリーも安心できる。そのために、上れるところまで上ってやろう」

そう言った彼の瞳には、ここにはいない誰かが映っているような気がした。
けれど、それが痛ましいものではなかったから、ライも笑う。
優しいその目が、自分とカレン、ナナリー以外の誰かに向けられることに、ほんの少しだけ寂しさが沸いたけれど、それをぶつけるようなことはしない。
だって、ルルーシュの幸せが、自分にとっての幸せだから、それを壊すことはしないと、彼の真実を知ったあの日から決めていた。

「まあ、反逆者であったお前が、1人でブリタニアの中で這い上がれるとは思わないがな」
「何言ってるんだ、C.C.。ルルーシュは1人じゃないよ」

ライの言葉に、C.C.が驚き、こちらを見る。
小さく笑みを浮かべたライは、そのままカレンへと視線を向ける。
気づいたカレンは、彼の意図を察し、楽しそうに笑った。

「そうよ。私とライが、ずっと一緒にいるんだから」
「この先何があっても、僕らは君の傍から離れない。絶対に」

自分たちは、2人でゼロの、ルルーシュの騎士だから。
これから先、何があっても絶対に、彼の傍から離れない。
ずっとずっと、2人で彼を支えていこう。

僕らとナナリー、4人の夢を叶えるために。




うちのライのファミリーネームの由来。
気づき方の違いはあれど、名付けた理由は全て同じです。
ランペルージ性については、「電撃データコレクション」より。
この話のおまけがこちら



2008.8.2