黒の王と二色の騎士
後編
俯いてしまったルルーシュが、静かに語った過去と決意。
その言葉に、髪の間から僅かに見えた紫の瞳に、いつの間にか引き込まれている自分がいて。
怯える彼を、隣で支える銀の彼の姿を見て。
そして気づいた気持ちは、きっと同情じゃない。
ただ……そう、ただ思ったの。
こんな顔をする彼を、彼らを守りたいって。
笑顔を見ていたいって。
だから、私は決めた。
この思いだけは、ライ、あなたにだって譲らない。
クラブハウスのダイニングの扉を開ける。
その途端、中にいた少女が、ぱっと笑顔を向けた。
「お帰りなさい、お兄様」
「ただいま、ナナリー」
隣に立っていたルルーシュは、柔らかい笑顔を向けると、妹に近寄っていく。
テーブルの上に置かれた彼女の手に、そっと自分の手を乗せる。
そのまま微笑むかと思ったルルーシュは、何故か顔を上げ、辺りを見回した。
「咲世子さんは?」
「まだお買い物です。もうすぐ帰ってくると思いますけど」
「そうか」
ほっとしたように笑みを浮かべると、もう片方の手もナナリーの手と重ねた。
その行動に、常にないルルーシュの雰囲気を感じ取ったのか、ナナリーの表情が僅かに曇る。
「お兄様?」
「ナナリー。今日はお前に紹介したい人がいるんだ?」
「え?」
少し驚いた表情を浮かべたかと思うと、その表情が不安そうなものに変わった。
「お兄様のお友達、ですか?」
「そうだね。友達だよ。とてもとても、大切な」
「そう、ですか……」
俯いてしまったナナリーの表情は、少し離れた場所に立っている自分には分からない。
けれど、きっと寂しそうな顔をしているのだろう。
ルルーシュが、安心させるように彼女の頭を撫でる。
少しだけ顔を上げた彼女に微笑むと、その至高の紫がこちらを向いた。
「入ってくれ」
その言葉に頷いて、部屋の中に足を踏み入れる。
ナナリーの前まで移動すると、その前に膝をつく。
彼女の片手に手を乗せた途端、ナナリーがびくりと体を震わせる。
そんな彼女を見上げ、にこりと微笑んでみせた。
「こんばんは、ナナリー」
「え?」
声を発した途端、ナナリーが驚いたように顔を上げる。
「その声は……カレンさん、ですか?」
「ええ。そうよ」
はっきりとそう答えれば、一瞬安心したような表情を浮かべたナナリーは、けれどすぐに不思議そうな顔でルルーシュを見上げる。
「お兄様……?」
そんな彼女の表情に、カレンは思わず口元の弧を深くした。
彼女が不思議に思うのは当然だ。
カレンは、既にナナリーが知っている、『ルルーシュの友達』。
それを今更紹介する理由が分からないのだろう。
ルルーシュも、きっと妹のその疑問が分かっている。
だから、彼は優しい笑顔で微笑んだ。
「今日は、本当の彼女を紹介したいんだよ、ナナリー」
そう言ったルルーシュの瞳が、こちらを見る。
それに頷いたカレンは、真っ直ぐにナナリーを見て口を開いた。
自分の本当の名前と、立場を伝えるために。
「初めまして、ナナリー。私は、紅月カレン。ルルーシュの騎士よ」
「ライ」
クラブハウスのバルコニーに体を預け、空を見上げていたライは、背中からかかったその言葉に振り返る。
「カレン」
「こんなところにいたのね」
にこりと微笑む彼女は、今はアッシュフォード学園に通うカレン・シュタットフェルトの姿をしている。
けれど、雰囲気は黒の騎士団の紅月カレンのままだった。
ここには今、本当のカレンを知る人間しかいないのだ。
隠す必要などない、と言ったところか。
「綺麗な月ね」
「ああ……」
隣に立ち、先ほどまでの自分と同じように空を見上げるカレンに、思わず目を細める。
その姿は、いつもより生き生きとしているように見えた。
「挨拶は済んだのか?」
「ええ、一応。ずいぶん警戒されたけど、何とか受け入れてもらえたみたい」
「それはよかった。ルルーシュは?」
「今はナナリーと話してる」
「そうか……」
カレンに過去を話したことで、ルルーシュはナナリーに打ち明けることを決めたから。
自分が、ゼロであることも。
ライとカレンが、黒の騎士団の一員であることも、全部。
きっと、ナナリーはルルーシュを拒絶しないだろうという確信がある。
けれど、もしそうなったら、すぐにでもルルーシュのところに飛んでいこう。
そうしなければ、きっと彼は壊れてしまうから。
そんなことを考えていたライは、気づかなかった。
カレンが、いつの間にか月から視線を戻し、じっと自分を見つめていたことを。
「……ねえ、ライ」
「ん?」
名前を呼ばれ、漸く意識を引き戻す。
視線を向ければ、いつになく真剣な表情をしているカレンと目が合った。
「私、騎士になるわ。ゼロの――いいえ、ルルーシュの」
カレンの言葉に、驚く。
彼女がそんなことまで言い出すとは、正直なところ、思っていなかった。
「カレン……」
「私にできる精一杯で、彼を守る。もう、あんな顔をさせたりしない」
ぎゅっと拳を握るカレンは、きっと思い出しているのだろう。
昼間、黒の騎士団でのアジトで過去を語ったルルーシュの表情を。
何かに怯え、それでもそれを無理矢理押し隠している、そんな表情を。
彼女の中で、ルルーシュに対する感情が、確実に変化している。
それを嬉しいと思っているはずなのに、同時に湧き上がってくる別の感情に、思わず苦笑した。
けれど、それを吐き出すことは自分の望みとは真逆のことだと分かっているから、口に出さない。
「……ずるいな」
「え?」
「ゼロの正体を知ったのは僕の方が先だったのに、君に騎士の座を奪われるなんて」
代わりに口にしたのは、小さな嫉妬。
自分が、もうずっと前から決めていたことを、先にカレンに言われてしまったことの悔しさ。
その言葉に一瞬目を丸くしたカレンは、けれど次の瞬間、不適に微笑んだ。
「あら。だったらあなたもなればいいのよ」
「え?」
「ルルーシュの騎士。ライだって、なればいいのよ」
今度はライが目を丸くする番だった。
通常皇族の騎士は、1人につき1人まで。
それを中心に親衛隊を組むのが常だ。
そのライの思考を、カレンは軽く笑い飛ばしたのだ。
「だって、ここは日本であってブリタニアじゃないわ。騎士が1人につき1人なんてルール、守る必要なんてないじゃない」
「……あ」
「だから、あなたもなればいいのよ。ゼロと――ルルーシュの騎士に」
「そう、だな……」
常識に捕らわれて、忘れていたこと。
根っからの日本人であるカレンは、それをちゃんと理解していた。
それに気がついた途端、ライは苦笑する。
それから暗い感情を振り払い、にっこりと笑った。
「僕と君で、彼を守っていけばいい。ナナリーも、一緒に」
ルルーシュの最愛の妹、ナナリー。
彼女も守らなければ、ルルーシュを守ることにはならないから。
いや、そんな理屈なんかなくても、彼女も守りたい。
ライにとって、ルルーシュとは別の意味で、ナナリーは大切な人であるのだから。
そして何より、彼女と一緒に笑っているルルーシュを、守りたいから。
「じゃあ、改めて」
「ええ」
ライが体を向ければ、カレンも彼に向き直る。
どちらからでもなく差し出された手を、しっかりと握る。
「よろしく、カレン」
「こちらこそよろしく、ライ」
妹のために、修羅の道を行くと決めた彼のために。
たった1人のために、優しい心に蓋をして立つ彼ために。
銀の騎士と紅蓮の騎士は、誰にも知られることなく契約を交わした。
彼らの主である漆黒の王とその妹を、傍で守り続けるために。