月光の希望-Lunalight Hope-

もうひとりの継承者

Cの世界。
集合無意識。
人の意識の行き着く先がそこであるのならば、死者の向かう先も、そこなのだろう。
途絶えた意識――人の魂は、最期にそこにたどり着く。
たどり着いた者は、どこへ向かうのだろう?
この場所で、眠り続けるのだろうか。
再び生を受ける日まで?
それとも……。

「――」

誰かが、誰かを呼ぶ声が聞こえた。
ずっと腕の中に抱きしめていた存在が、身動ぎをする気配を感じる。
ゆっくりと目を開ける。
視界に入ったのは、真っ白な服を着た、腕の中の存在と同じ姿をした存在。
その姿を見た瞬間、悟る。

ああ、そうか。
迎えに来たのか。
ずいぶん前にやってきて、欠片だけを連れて行った彼女が、今度こそ。

その場を蹴って、黒い靄に――人の思念に取り込まれそうになっていたその存在を、引き寄せる。
腕の中の存在にそれを押しつけるように抱きしめる。
すると、自然に。
腕の中の存在が、引き寄せた存在に吸い込まれるように、溶けていく。
ひとつになった存在を抱きしめて、中を蹴って黒い靄から遠ざかろうとする。
身体の感覚があるのが、何だか不思議な気がした。
そのまま見えた光に飛び込もうとして、気づいた。
「あれは……」
光の向こう側に見えたもの。
それは大切な彼が、誰よりも大切にしている人。
「どうして、ここに?」
ぼんやりとした存在ではない。
実体と勘違いしてしまいそうなはっきりとした姿を保った彼女を、放っておくことはできない。
もう一度、腕の中の存在を抱きしめる。
一緒に行きたい。生きたい。
けれど、彼は今、呼ばれている。
彼を大切に思い人に、呼ばれている。
だから、ここに留めておくことはできない。
今が、ここでずっと眠っていた彼が、目覚めるときだ。
だから。

「ごめん。でも、僕も必ず、君の側に還るから」

かつての誓約。
そして、最期の約束。
今再び、一度はここで手放してしまうけれど、それでも必ず果たす。

「その日まで、僕が必ず、護るから」

君が一番守りたかった存在を。
1人でこの空間に放り出すわけにはいかない人を。
必ず護る。
彼女が目覚める、あるいは、君が迎えにくる、その日まで。

「だから、先に行って、生きてくれ」

あのとき、しまい込んだ本当の願いを乗せて。
彼を、彼の契約者が開いた扉の向こうへと送り出す。
絶対に隣に還るのだと、強い願いを胸に抱いて。
彼が扉の向こう側に渡ったのを確認すると、その場で体を反転させて、扉の向こうに見える彼女の下に向かって跳んだ。






意識を持つというのは不思議なものだ。
今まではずっとふわふわと漂っている感覚しかなかったというのに、途端に五感がはっきりする。
現実世界の肉体に負荷がかけられているのか、眠ったまま、ときどき苦しそうに身じろぎをする少女を、他の思念から護りながら、頭上を仰ぎ見る。
遙か上空に浮かぶ、黒い球体。
おそらくは、シャルルの残滓の影響で、この場所に残ってしまった誰かの『心残り』。
それを見て目を細める。
あの球体と、自分は何が違うのだろう。
そう思うこともあった。
「……未練は、ある。だから、未練はない」
そう、ないはずだった。
彼と2人でここに居たときには。
けれど、今は。
「……っ!?」
不意に空気が揺れた気がした。
首の左側が熱くなる。
次の瞬間、突然襲いかかってきた強い思念を、首に刻まれた刻印の光が生み出した障壁を展開して防いだ。
その思念は、先ほどから度々目の前に居るこの少女を飲み込もうとする。
原因はわかっている。
現実世界から、この少女を介してCの世界にアクセスしようとする者がいるのだ。
少女を犠牲にしてでも、この場所をこじ開けようとする何者かが。
「渡さない」
ぼつりと呟く。
「ナナリーは、僕が守る」
障壁の輝きが、ほんの少し増したような気がした。
思念はやがて、力尽きたのか、小さくなっていく。
それが消えてしまうのを待って、漸く息を吐き出した。
この思念の持ち主が何者なのか、知っている。
ジルクスタン王国の聖神官シャムナ。
何度も、それこそ少女を介さないアクセスも含めれば、何十回も、ここにアクセスしてくる彼女が、ギアスユーザーであることには気づいていた。
そのギアスの能力も、ここから見ている自分は知っている。
そして、彼らの状況も。
ここから世界に還っていった彼とは、この刻印を介して繋がっているのだろう、と思う。
だから、自分には彼らの状況が観ることができていた。
けれど、それはあくまで観えるだけ。
声をかけることは出来なかった。
だから、シャムナの持つギアスが持つ能力を知っているのに、現実世界の彼らにそれを伝える術がない。
「ルルーシュ」
眠る少女を守りながら、祈る。
どうか彼が気づくようにと。
今の自分にはそれしかできない。



ふと、思念が色を変えたことに気づいた。
少女を――ナナリーを塗りつぶそうとしていた思念は、そこにはない。
いや、シャムナの思念は感じるけれど、今までと『在り方』が変わった。
「これは……」
ふと、空間が震えた。
現実世界から、誰かがここにアクセスしたのだ。
シャムナのように無理矢理に窓をこじ開けるようなやり方ではなく、ごく普通に、正面玄関から入ってきたような自然なやり方で。
気配がこちらに向かってやってくる。
それに気づいて、そっと離れる。
もっと警戒した方がよかったのかもしれない。
でも、する必要がないと知っていた。
だってこれは、よく知る彼の気配だったから。

彼が呼ぶと、ナナリーはすんなりと目を開けた。
かかっていた負荷が取り除かれたのだと思う。
ほっと安堵の息をついて、2人に近寄ろうとする。
その途端、また空気が震えた。
はっと顔を上げれば、この世界に現れた異物に、目覚めた意志に向かって、湧き上がった黒い影が襲いかかる。
ナナリーを抱きしめたまま、彼が落ちていくのが見えた。
「ルルーシュ!ナナリー!」
その場を強く蹴って、追いかける。
けれど、落ちていく彼らに追いつくことができない。
赤い光が見えた気がした。
けれどそれは、すぐに小さくなって消えていく。
それから、聞こえたのは少女の叫び。
「まだお兄様に、何もお話していません!!」
そうだ。
まだ自分たちは、何も話をしていない。
本当の想いを覆い隠したまま消えてしまっていいとは、自分にももう思えない。
だから。
「ルルーシュ、お願いだ。君は……っ!」
強く願った、その瞬間だった。
光が走り抜けた。
それはルルーシュとナナリーを呑み込もうとしていた靄を吹き飛ばし、2人の下に、その身体を支えるように広がっていく。
「あれは……」
『さあ。あなたも手伝ってください』
聞き覚えのある声が、聞こえた。
『あなたもあの2人が、彼が大切なのでしょう?』
もうひとつ、聞き覚えのある、けれど身近ではなかった声がする。
「君たちは……」
光の向こうに、微笑む姿が見えてような気がした。
2人ではない。
その後ろにも、もっともっとたくさんの笑顔。
これは、きっと、全て彼に向けられた、大切な想いの残滓。
彼を送り出したときよりも、もっと大きく膨れ上がっているそれは、とても優しくて、とても温かい感情の渦。
「……ああ、もちろん」
だからそれに応えるように、合わせるように強く願う。
光が2人を包み込んで、先にナナリーが押し出されるかのように中に姿が溶け、現実に戻っていく。
残ってしまった彼を見て、心にぽかりと不安が浮かび上がる。
それでも彼は、ここに残るつもりではないのか。
「……駄目だ、それは」
ここで立ち止まっては駄目だ。
意識を持って、ずっとここにいて、感じた。
シャルルの心の残滓で止まってしまったこの世界。
人の意識が止まっているのだとしたら、それは止まるきっかけを与えた自分たちが影響しているのかもしれない。
それならば、歩み出さなくては。
もう一度、前に。
得ることのないはずだった、得ることのできた明日に。
たとえ、そこにいる自分たちは、罪にまみれた、『いてはいけない』存在だとしても。
「それでも、僕らは生きる。そうだろう、ルルーシュ」
ぽつりと、呟くように言った。
聞こえなくてもいいと思った。
ただ、想いを届けたかった。
「ああ」
だから、一瞬耳を疑った。
はっと顔を上げる。
光に包まれた彼は、こちらを向いてはいなかった。
「そうだな」
けれど、はっきりとそう言葉が聞こえて。
驚きに目を見開いたときには、彼の姿は宙に溶けていた。
その瞬間、黒い球体が弾ける。
世界に光が溢れて、止まっていた意識が動き始める。
その光景を、呆然と見つめてしまう。
目の前の現象に驚くよりも、耳に残った声が、意識を支配する。
「声が、聞こえて……?」
届くとは思っていなかった。
そして、帰ってくるなんて予想していなかった。
だから、その事実に驚いて。
けれど、光の雨を見ているうちに、すとんと胸に落ちてきた。
「そうだよ」
口元に笑みが浮かぶのがわかる。
心が、とても暖かい。
これをくれたのは、間違いなく彼だ。
「生きよう、ルルーシュ」
だから、自分も生きたいと願った。
もう一度、彼の隣で。
その想いに応えるかのように、首に刻まれた刻印が赤く輝いた。




復活のルルーシュ公開おめでとうございます。
あの形を崩さずにライを入れるとしたら、こうなのかなって思った結論。



2019.2.11