月光の希望-Lunalight Hope-

数年目の記念日

ふわふわとした感覚に包まれる。
優しい光が目の前を包む込む。
そんな感覚の中にいると、不意に名前を呼ばれた気がした。
「ルルーシュ」
どこからともなく聞こえてくるその声。
とても耳に馴染んだ、その柔らかく、優しい声が、自分を呼ぶ。
「ルルーシュ」
ふわふわとした空間に置き去りになっていた意識が、その声に導かれるように浮上する。
真っ白だった景色は次第に消え、暗くなった視界に、それまでとは違う光が、ぼんやりと差し込んだ来た。

「ルルーシュ」

やがて視界に現れたのは、先ほどまで包まれていた光と、同じ光を弾く髪を持った青年。
「ライ……」
まだぼんやりとした意識で名を呼べば、彼はにっこりと笑った。
「おはよう。ルルーシュ」
ぼうっとした頭に、彼の言葉が入ってくる。
暫くして、漸く自分が今まで眠っていたことを認識した。
「……ああ、おはよう」
まだ寝ぼけた顔のまま答えれば、目の前の彼はますます笑みを深くする。
「朝ご飯、できてるよ。顔を洗ったら来てくれ」
「ああ……。わかった」
笑顔のままそう告げて部屋を出ていく彼の背を見送る。
閉まる扉を、暫くの間ぼんやりと見つめていた。
不意に、視線が扉の側にあるカレンダーに向く。
そして、思い出した。
「今日は……。そうか。だからあんな夢を……」
額を手で押さえ、目を閉じる。
そのまま深呼吸をすると、今度こそ目を開けて起き上がった。

カレンダーの日付は、9月28日。
あの日と同じ日付だった。



自室から出て、ダイニングへと向かう。
扉を開けると、パンの焼けるいい香りが漂ってきた。
「おはよう」
「おはよう坊や。珍しくずいぶん遅かったな」
声をかけた途端、室内からもう1人の同居人の、そんな声が飛んできた。
「たまにはいいだろう。それから、いい加減坊やはやめろ、C.C.」
「私にとってはいつまでも坊やだ。お前もライもな」
「もうそう呼ばれるような年じゃないけどね」
くすくすと笑うライが、ちょうど焼き上がったばかりのトーストを皿に乗せ、テーブルに置く。
この生活を始めてから彼がずっと首にしている黒いチョーカーに、なんとなく目が引かれた。
もう見慣れたけれど、今日は何故かそれが気になった。
「ルルーシュはイチゴジャムでいいかい?」
「イチゴは切れたんじゃなかったか?」
「店まで品切れってわけにはいかないし、作ったんだよ」
「じゃあもらおうか」
「了解」
にこりと笑ったライが、冷蔵庫から赤いジャムの入った瓶を取り出す。
一緒に渡されたバターナイフで瓶の中身を取り、パンの上に落とす。
少し広げてから口に含むと、程良い酸味と甘みが口の中に広がった。
「……ん。腕を上げたな、ライ」
「ありがとう。でもまだまだかな」
「そんなことはないと思うが」
「君から『おいしい』って言って貰えないならまだまだだ」
はっきりとそんなことを言ったライを、ルルーシュはぽかんとした表情で見上げた。
ほんの少しだけ間を置いてしまってから、大きな溜息を吐き出す。
「どういう判断基準だ」
「そのためにやってるんだから、当然だろう?」
胸を張ってそう言いきるライの言葉に、ルルーシュは再び溜息をついた。
こんな風に暮らし初めてから、ライの料理の腕は格段に上がっていた。
ジャムくらいなら、自分で作ってしまうほどに。
それで十分だと思うのに、まだまだだと彼は言う。
しかも、それはルルーシュに喜んでもらいたいからだと言うのだ。
よくもそんな恥ずかしいことがはっきりと言えるな、と思う。
誰かに喜んでほしいというその気持ちは、わからなくもないけれど。

「そろそろ時間だな」

不意にC.C.の声が耳に飛び込んできた。
壁に掛かっている時計を見上げる。
それは、ちょうどあの時間を示していた。
「つけるか?テレビ」
「そうだな……」
ライの問いに、頷く。
それを見て、ライは黙ってリモコンを手に取った。
しなやかな指が電源を入れ、迷わずある番号を押す。
少し遅れて、真っ黒だった画面に光が点り、金髪の女性アナウンサーが映し出された。

『本日、合集国日本では、世界解放記念日に合わせて式典が開催され、東京は多くの観覧希望者に溢れかえっています』

20代半ばほどのその女性は、少し寂しそうな表情で後ろに広がる光景を示している。
その姿は、ずいぶんと大人になっていたけれど、間違いなく自分たちのよく知る女性だった。
「ミレイさんだな」
「そうだな」
「元から大人っぽい人だったけど、ずいぶん綺麗になった」
「……ああ」
学生時代にともに学んだ生徒会長。
あの日の数か月前にお天気キャスターになった彼女は、今ではあのテレビ局の人気アナウンサーになっていた。

『式典会場には、既に多くの人が集まっています。今、ブリタニアの代表団が到着したもようです』

女性がそう告げると、カメラが到着したばかりの車へ向けられる。
黒いステップワゴンの扉が開くと、そこから車椅子に載った女性が降りてきた。
「ナナリー……」
日本人の女性に車椅子を押されて現れたのは、薄いピンクのドレスに身を包んだ、見覚えのある女性。
当時の自分の年齢よりも年上になった最愛の妹は、その顔に、一緒に暮らしていた当時には見ることのなかった凛とした表情を浮かべていた。
「あの子も綺麗になったな」
「うん。可憐って感じだったのに、清楚になったって言うか」
「当たり前だ。俺の妹だぞ」
C.C.とライの言葉に、ルルーシュは画面から視線を外さないまま、はっきりとそう答える。
それを聞いた2人が、くすりと笑みを零したことには気付いたけれど、敢えて気づかなかったふりをした。
ナナリーを始めとし、次々に到着する各国の代表の姿が画面に映し出されている。
その中に、見知った女性と男の姿を見つけて、ルルーシュは思わず眼を細めた。
「神楽耶……、スザク……」
和装に身を包んだ黒髪の少女と、彼女とともに車から降りた仮面の男。
その2人が現れた途端、画面の中から歓声があふれ出した。
『ゼロです。超合集国評議会顧問のゼロと、評議長の皇神楽耶様が到着されました』
そう告げるミレイの声は、周囲の他のアナウンサーや記者たちよりも、少し覇気がないような気がした。
周囲に笑顔を振りまく和装の女性とともに、仮面の男はただ前を見て歩いている。
その2人が式典会場の中へ姿を消すと、その姿を見ていたアナウンサーがカメラへ顔を向け、口を開いた。
『このあとも続々と各国の代表団が到着しておりますが、カメラは一足先に式典会場の中へと向かいたいと思います。いったんスタジオへお返しします』
彼女がそう言うと、画面がこの特番を組んでいる局のスタジオへと戻される。
そこにいる出演者たちが口々に何か言い始めたのを横目で見ながら、ルルーシュは小さく息を吐き出した。
それを見ていたライが、くすりと笑みをこぼす。
「やっぱりテレビだと、ずっとは映してくれないね」
「仕方ないな。直接見に行くわけにはいかないんだから」
「そうだな」
C.C.の言葉に、ルルーシュが少しだけ寂しそうに同意する。
画面に向けられたままの目が、少しだけ細められた。
「今年もこの日が来たんだな……」
「うん。来たよ。世界が生まれ変わった記念日が」

今日は、世界を独裁で支配しようとしていた魔王が、仮面の英雄によって打ち倒された日だ。
ゼロレクイエム。
その日の真実を知る者たちだけがそう呼ぶその日は、今では終戦と世界解放の記念日となっている。
毎年この日には超合集国評議会が主催となる式典が、解放の舞台となった日本で行われていた。
それを、あの日死に損なった彼らは、こうして遠くからテレビ中継で見ているのだ。

ふと、ライの視線がテレビから外れる。
壁に掛けられたカレンダーを見ると、彼は小さく溜息をついてた。
「ということは、そろそろかな……」
「ライ?」
その息とともに呟かれたその言葉に、ルルーシュも漸くテレビから視線を外し、ライを見る。
視線が合うと、ライは寂しそうな笑みを浮かべた。
「そろそろここで店を出して5年くらい経つだろう?引っ越しを考えないといけないな」
「ああ……」
ルルーシュが思い出したようにそう呟くと、向かいのソファに座り、チーズ君のぬいぐるみを抱きしめていたC.C.が溜息をつく。
ちなみにそのぬいぐるみは、彼らがアッシュフォード学園にいた頃にポイントでもらった、あのチーズ君だ。
あの日、彼女はそれだけは皇宮から持ち出していた。
「もったいないな。せっかく店も軌道に乗ってきたのに」
「でも、姿の変わらない僕らが同じ土地にこれ以上長くいることはできないだろう?」
「そうだな」
ライの問いに、C.C.は渋々と言った様子で同意する。
姿の変わらない物が長い間同じ場所に行られないことは、彼女は身に染みて知っていた。

ルルーシュもライも、あの日、確かに一度死んだはずだった。
けれど、息を吹き返してしまったのだ。
ルルーシュはシャルルから、ライは彼を眠りにつかせた契約者から、知らない間にコードを押しつけられていて、それが命を失ったあの瞬間に発現した。
それ以来、2人はC.C.と同様に年を取らずに生き続けている。
ルルーシュは鎖骨のすぐ下に、ライは首の左側、巻いているチョーカーの下に、C.C.の額にあるものと同じ印が浮かび上がっているのだ。

「この街のピザ屋は好みだったんだが」
「また好みのピザ屋を見つければいいじゃないか」
チーズ君に顔を埋め、不満そうに言うC.C.に、ライは呆れたようにそう返す。
そのまま彼女から視線を外すと、リビングの壁に貼っている世界地図へ視線を向けた。
C.C.がこのあたりの地図と間違え、何故か世界地図の本を買ってきたときに、おまけで付いていたポスターだ。
「次はどこに行く?」
「まだ黒の騎士団やブリタニアの影響が強かったエリアはやめた方がいいかもな」
「そうしたらスペインは?あそこはブリタニアの属領だったのは1年経ったか経たないかくらいだから、黒の騎士団の影響も少ないんじゃないかな?」
ルルーシュの言葉に、ライが提案をする。
スペインが植民エリアになったのは、ブラックリベリオンの後だ。
それから1年も経たないうちにブリタニアには99代皇帝が即位し、植民エリアは解放されているから、スペインがブリタニアの影響下にあった期間も短いはずた。
「E.U.内で動くのもありかもしれないぞ。ここが一番超合集国もブリタニアも影響力は少ないし、何より広いからな。いろいろ移動できる」
「ああ、そうだな」
C.C.の提案に、ルルーシュが同意する。
「文化もブリタニアと近いし、いいかもな。じゃあ、E.U.に行く方向で手配するよ」
「ああ、頼む」
ライがにこりと笑う。
「その前に、そろそろ店を開ける準備をしないとね」
話をしている間に食べ終わったらしいライが、席を立つ。
そのまま扉の側にある箪笥に向かい、中から金髪のウィッグとコンタクトのケースを取り出した。
「しかしお前たちも物好きだな。わざわざ変装してまでカフェをやるとは」
「生きている以上、生活費は稼がないとだからな」
「ルルーシュの料理の腕ならいけると思ったしね」
「飲食店をやるって言った途端に、お前が行く先々で必要な資格だの何だのをあっさり取ってきたことだけは驚いたけどな」
ルルーシュがそう言えば、ウイッグとカラーコンタクトで金髪と青い瞳の青年になったライはにっこりと笑う。
「じゃあ、ルルーシュ。片づけはよろしく」
「ああ。ホールの準備は頼むぞ」
「了解」
笑顔のまま、ライが店舗の方へと出て行く。
それを見送ってから、ルルーシュも立ち上がった。
「さて。お前も手伝えよ、C.C.」
「私はウェイトレスだ。店が開いてからでいいだろう」
「お前なぁ……」
呆れたようにC.C.を見れば、彼女はにやりと笑った。
「私はC.C.だからな」
その言葉を聞いたルルーシュは目を丸くする。
それから、思わず笑みを零した。
「そうだな」
今度はC.C.が目を丸くする。
その顔を見たルルーシュは、満足そうな笑みを浮かべると、そのまま台所に向かった。




放送終了6周年小話。



2014.10.18