5年目の再会
東京の外れの山の中に、小さな教会があった。
ブリタニア帝国の日本侵略の際に廃棄されたらしいそこは、合衆国日本が成立し、ゲットーに復興の手が入った今も放置されたままだ。
けれど、ときどきは整備されているのか、建物自体は修理され、形をしっかりと残していた。
その古びた廃教会の前に、その男は立っていた。
頭部をすっぽり覆うフルフェイスの仮面を着けた男は、暫くの間外からその教会を眺めていたが、やがて入口に向かって歩き始めた。
最近取り替えられたらしいその扉を、ゆっくりと潜る。
ぱたりと扉を閉めれば、こんな山の中にまで聞こえてくる、麓の街の大音量の音楽が聞こえなくなった。
上空には飛行船が飛んでいて、辺り一帯の街はお祭りのような騒ぎだ。
いいや、麓だけではない。
今日は世界中が、その街と同じような雰囲気に包まれていた。
当然と言えば当然だ。
今日は、数年前に仮面の英雄が、魔王から世界を取り戻した日なのだから。
数年前の今日まで、世界は独裁者に支配されていた。
圧倒的な軍事力と恐怖で世界を手に入れようとしたその王は、数年前のこの日に、一度は死んだと思われていた仮面の英雄に、群衆の目の前で討たれ、全世界は解放された。
その英雄こそ、今この教会にいる男――ゼロだ。
ちょうど解放記念日である今日は、世界的に祝日とされ、午前中には終戦記念式典が行われた。
この平和の立役者である彼も、午前中はそれに参加していた。
そして、式典が終わった後、休暇を取ってこの場所にやって来たのである。
扉を閉めた男は、祭壇の前に足を進める。
大きな十字架の前で足を止めた男は、十字架の前に跪いた。
そして、胸の前で手を組むと、ゆっくりと仮面の下の目を閉じる。
今日が英雄が魔王を打ち倒した記念日であるのならば、当然、魔王と呼ばれた王の命日も今日なのだ。
魔王の墓は、存在しない。
一度は作られたのだが、魔王を憎む者の手によって荒らされ、壊されてしまった。
元々そこには、その魔王の遺体も納められてなかったけれど。
彼の遺体はあの後、この教会に運ばれたのだと聞いている。
そこから先のことは、知らない。
手配をしたジェレミアは早々に姿を消してしまい、この場所で彼の到着を待っていた魔女も、既にこの地を離れていた。
だからゼロは、彼の遺体の行方を知らないのだ。
だから、彼の側で祈ろうとしても祈ることができなくて、代わりに判明している最後の場所であるこの教会で、毎年祈りを捧げていた。
不意に、扉が開く音がした。
自分しか来ることがないはずのこの場所に、誰が。
そう思った次の瞬間、ゼロその場を飛び退いた。
一瞬遅れて、今まで彼のいた場所に何かが突き刺さる。
それは一本のナイフだった。
その柄の模様に見覚えがある気がして、ゼロが思わず目を見張ったそのときだった。
「相変わらず人離れしてるな」
記憶の中と全く変わらない声が響いて、ゼロは息を呑む。
「その仮面なら、避けなくても大丈夫だったろうけれど」
振り返ると、扉の前に誰かが立っていた。
光を弾く銀髪を持った、青年。
黒いシャツにスラックス、ジーンズのジャケットというラフな格好をし、首には、中央に銀の十字架が着けられた、その全体を覆うほどの太さのチョーカーを着けている。
真っ直ぐにこちらを見るその瞳は、『彼』によく似た紫紺。
「……ラ、イ……?」
名前を呼べば、そこにいた人物は薄く微笑んだ。
「どうして、君がここに……?」
「ここの整備、誰がしていると思ってる?」
「え……?」
呆然としたまま聞けば、帰ってきたのは思いもしなかった言葉。
それが頭に入ってこなくて、思わず聞き返すと、ライは困ったような笑みを浮かべた。
「僕とジェレミアさんが交代で掃除に来てるんだよ。毎年」
「君たちが……」
手に持っていた掃除用具を見せながら、彼はこちらへ歩いてくる。
ゼロの目の前まで来た彼は、以前と変わらない表情で微笑んだ。
「それよりも、顔を見せたらどうだ?」
その言葉に、ゼロは戸惑う。
その理由を知っているかのように、彼は笑みを深めた。
「鍵はかけたし、そもそも今日、こんな山奥に来る物好きは他にいないだろう?僕はその下の顔を知っているわけだし」
確かに、今日わざわざこんなところへ来るのは、彼や自分くらいだろう。
反論する理由が見つからず、ゼロはゆっくりとその仮面に手をかける。
軽く機会が動くような音がして、彼はゆっくりと仮面を外した。
押さえつけられていた栗色の癖っ毛が広がる。
ゆっくりと開かれた瞳は、翡翠。
目が合った瞬間、目の前の銀の青年は微笑んだ。
「久しぶりだね、スザク」
「ライ……」
久しぶりに聞く、言葉。
それは紛れもなくゼロの――ゼロの仮面を被り続ける彼の、ずいぶん前に捨てた本当の名前だった。
礼拝堂の一番前の席に腰を下ろしたスザクは、ただじっと銀の青年を見つめていた。
ライは手慣れた様子で掃除用具の準備をすると、スザクとの話もそこそこに掃除を始めたのだ。
学生時代と変わらないように見えるその姿を見つめていたスザクは、不意にぽつりと呟いた。
「君は、死んだと思っていた」
その言葉に、ライの動きが止まった。
紫紺の瞳が、一瞬こちらを見る。
向けられたそれに感情が宿っていないような気がして、思わず口に仕掛けた言葉を飲み込んだ。
それを見たライの口元が、薄く弧を描く。
「そうだね。僕もそう思ってた」
耳に届いた声に、スザクは床に落としていた視線を彼に戻す。
「目が覚めるまで、死に損ねてたなんて思わなかったよ」
ライの視線が、再び掃除をしていた場所――窓に戻る。
そのまま手を動かす彼を、あの日、スザクは確かに手にかけたはずだった。
魔王と呼ばれた『彼』と一緒に。
それが、『彼』が描いたシナリオだったから。
「傷は……?」
「ん」
尋ねれば、ライは振り返ってシャツをまくり上げた。
その胸に、確かに傷があった。
それ自体は大きくはないけれど、確かにスザクがつけたものだろう、刺し傷が。
それを見てしまったことを、後悔する。
「何で君がそんな顔をするんだ?」
ため息をつくような声と共にそう尋ねられ、スザクははっと顔を上げた。
先ほどから変わらない、穏やかな表情のままのライが、じっとこちらを見つめていた。
「それは……」
その瞳を見返すことができなくて、スザクは視線を逸らした。
もう一度ため息を吐くような気配がして、視界の隅でライが窓掃除に戻ったのを知る。
その姿を見ていて、さっきから気になっていたことを思い出した。
彼が、ここにいるのなら。
ここで、生きているのなら。
「ねえ、ライ」
「んー?」
「ルルーシュ、は……?」
尋ねた瞬間、ライの手が止まった。
ゆっくりと、窓を拭いていた手を降ろす。
持っていた掃除道具をそのすぐ下の床に置くと、ライはこちらを振り返ってゆっくりと歩き出した。
スザクの前を通り過ぎた彼は、祭壇の中央に建てられた十字架へ体を向け、ひざまづく。
そのまま祈り始めたその姿を見て、スザクは重ねて尋ねようとした言葉を飲み込んで、俯いた。
すなわち、それが答えなのだ。
ルルーシュは、世界中から魔王と呼ばれた彼は、もういない。
目の前にいるライのように、奇跡的に助かった、などという都合のいい事実は、ない。
「スザク」
不意に名前を呼ばれ、顔を上げる。
いつの間にか祈るのをやめて立ち上がっていたライが、十字架を見つめたまま、スザクが自分を見るのを待っていたかのように口を開いた。
「あれから何年経った?」
彼の言うあれが、何なのか知っている。
魔王がゼロに倒された日から。
自分たちがゼロレクイエムと呼んだ、あの日から。
「5年、かな?」
「そうか。5年か」
十字架を見つめたままだったライが、息を吐き出しながら目を閉じる。
ほんの少しの間を置いてから、その目はスザクへと向けられた。
「世界はどうだい?」
「え?」
質問の意味がよくわからなくて、思わず聞き返す。
するとライは、一瞬呆れたような表情を浮かべてため息を吐くと、もう一度スザクに問いかける。
「世界は、ルルーシュの望んだ道を進んでいるのか?」
そう言われて、漸く質問の意味を理解して、スザクは息を呑んだ。
「……見てるんじゃないのか?」
「ぜんぜん」
生きていたのだから、ライだって世界情勢くらい知っているだろう。
そう思って尋ねれば、彼は軽く首を振る。
「普段はE.U.の山奥に住んでいるんだけど、電気とか水道とか当然通ってなくってさ。ジェレミアさんがいろいろ手配してくれて、自給自足で困らない生活はしてるけど、外の世界のことはさっぱりでね」
「何でそんなところで……」
「なんでって、当然だろう?」
スザクの問いに、ライが再び呆れの表情を浮かべ、ため息を吐く。
「僕は、魔王と一緒にゼロに殺された悪魔だぞ?」
その言葉に、スザクは無意識にびくりと体を震わせた。
ナイトオブゼロ、ライ・エイド。
同じくナイトオブゼロだった枢木スザクとは違い、ダモクレス戦を生き残ったが、その後魔王と共にゼロに討ち取られた皇帝の騎士。
銀の悪魔。
それが、今の世界が認識するライの姿。ライの真実。
「生きてるのバレたら面倒だろう、いろいろと」
そう言って、ライは再びため息をつく。
だから生き残ってしまった彼は、何も言わずに日本を離れ、黒の騎士団の影響力が比較的少ないE.U.に隠れたのだろう。
「後を追おうとか、思わなかったのか?」
不意に、そう思って、尋ねた。
ライはルルーシュと共に生きることに固執していたような気がする。
だから、ゼロレクイエムのときも、ルルーシュが死ぬなら自分も一緒に死ぬと、一緒に殺せと言って、譲ろうとしなかったのだから。
けれど、今の彼は笑う。
「さあ、どうかな」
軽くそう言って、笑って、再び掃除をしていた窓の側に戻っていく。
5年経ったとはいえ、あのライがこんな風に穏やかにそう口にするなんて、当時のライを知っているスザクには信じられない。
「でも」
そんな想いが伝わったのかと思うタイミングで、ライが振り返った。
驚いてその顔を見ると、彼は笑う。
穏やかに、ほんの少しだけ、寂しそうに。
「でも、あのとき僕が生き延びてしまったのが、ルルーシュの願いだったら」
その言葉に、スザクはその翡翠の瞳を見開いた。
「そう考えたら、って思ってね」
にこりと笑って、ライは再び掃除道具を手を伸ばす。
乾いた布を手にとって窓を磨き始めようとして、彼は再びその手を止めた。
「君は?」
「え?」
尋ねられた言葉の意味がわからなくて、思わずライを見返す。
彼は顔だけをこちらに向けたまま、真っ直ぐにスザクの翡翠の瞳を見つめていた。
「君は、ルルーシュの願い、叶えられているのか?」
その問いに、スザクはぎゅっと拳を握る。
「俺、は……」
正直なところ、わからない。
世界は、ルルーシュの望んだ優しい世界への道を歩いているのだろうか。
5年経って、スザク自身が予想していなかった問題も現れ始め、最初の頃のような順調な道を見せなくなり始めた、今の世界は。
わからない。
わからないし、できているとは、言えないけれど。
「叶えるさ。何年かかかっても」
そう、叶える。
叶えてみせる。
「それが、俺が彼に捧げる、レクイエムだから」
ルルーシュの遺した、最後の願い。
それを叶えることが、それだけが。
そんな決意を持って、スザクは告げる。
ルルーシュと共にいなくなったはずの存在に。
「そうか」
それを聞いたライは、安心したような笑みを見せた。
ゼロが去って、静まりかえって教会に、ライは1人立っていた。
耳を澄ませて、周囲を伺う。
他に気配がないのを確認すると、彼は奥の扉の前へと進み、そこを開いた。
「……だそうだけど?ルルーシュ」
「……いちいち言うな」
そこにいたのは、床に座り込んだ黒髪の青年。
抱えた膝の上に顔を埋めて、こちらを見ようともしない彼の頭を軽く撫でる。
「会わなくてよかったのかい?」
「今更会ってどうする」
「会ってやればよかったじゃないか。ずっと気になっていたんだろう?」
「うるさい、魔女」
部屋の奥からした声に、ルルーシュはやはり顔を上げずに言葉をぶつける。
ぶつけられた本人――C.C.は困った坊やだと言わんばかりに肩を竦めた。
語る必要もないだろう。
ライ同様、ルルーシュも、あのとき生き延びていたのだ。
そして、ジェレミアに後を任せて、C.C.と3人でこの国を離れた。
あのときはまだ、2人とも目覚めたばかりで、肉体が安定していなかったから。
あのときのことをルルーシュがずっと気にしていることを、ずっと側にいたライは知っている。
知っていて、だからこそ、今この場で呆れたようなため息を吐き出して見せた。
「まーたスザクに全部押しつけた、とかうじうじ考えてるんだろう」
「ライ」
呆れたようにそう言えば、ルルーシュは漸く顔を上げる。
ぎろりと、ほんの少しだけ涙に潤んだ瞳で睨まれても、怖くもなんともなかった。
それを見ていたC.C.が、唐突にため息を吐き出した。
「ライ。お前も性格が悪いな」
「何が?」
「ルルーシュには会わなくていいのかと聞いたくせに、スザクにはルルーシュは死んだと言っただろう」
「失礼な。そんなこと一言も言ってない」
C.C.の言葉に、ライは憤慨だと言わんばかりに腰に手を当てて怒ってみせる。
「ただ祈るふりをしただけじゃないか」
そう、自分はルルーシュが死んだなどと一言も言っていない。
生きているなんて話もできなかったから、適当に誤魔化しただけだ。
「その後も、ルルーシュの後を追わないのかと聞かれていただろう」
「それも誤魔化しただけだろ。だいたい、一緒にいるのに追いかける必要なんてないし」
「意味が違う」
ぼそっと、聞こえるか聞こえないか程度の声でルルーシュが文句を呟く。
それを耳にして、ライはにっこりと笑って見せた。
「日本語って、こういうとき便利だよな」
「お前な……」
きゃびっと、明らかにふざけた態度で笑うライに、漸く膝を崩したルルーシュが、気持ち悪いと言わんばかりの目を向ける。
それから息を吐き出すと、漸くルルーシュは立ち上がった。
「だいたい、あいつはなんでこんな日にこんな場所に来ていたんだ」
「なんでって、墓参りだろう?」
「は?誰の?」
「君に決まってるじゃないか」
その言葉に、漸く動き出したルルーシュが、またぴたりと動きを止めた。
明らかに動揺している様子の彼を見て、ライはひとつため息を吐いた。
「今日はゼロが魔王を打ち倒した記念の日。ということは、君の命日だろう」
「お前の命日でもあるがな」
C.C.が付け加えるようにさらっと言う。
その言葉は無視して、ライは話を続けた。
「君の墓はないって話だし。僕らの『遺体』をここに運ぶって話は、当時僕らの側にいた人間ならみんな知ってる。その後は、ジェレミアさんとC.C.で秘密裏に埋葬したことになっていて、僕らの墓の場所は誰も知らない」
「実際には、そんなもの『ない』わけだがな」
そう、実際には、ルルーシュにもライにも『本当の墓』はない。
本人たちが生きているのだ。
それだというのに、ジェレミアがそんなものを造る理由はなかった。
「だからスザクは、ここに祈りに来たんじゃないかな?」
「そんな、馬鹿な」
ルルーシュの拳が、白くなるほど強く握られる。
「あいつが、俺の命日に祈るはずがない」
絞り出すように呟かれたその言葉に、ライとC.C.は顔を見合わせる。
どちらともなくため息をつくと、ライは床に置かれたままの掃除用具を拾い上げた。
「手が止まってるぞ、ルルーシュ」
そう言って箒を差し出せば、ルルーシュは驚いたようにライを見る。
「早く終わらせないと、取ってある飛行機に間に合わないだろ」
「あ、ああ。そうだな」
戸惑ったような表情で箒を受け取ると、彼はそのままライに背を向ける。
「奥の部屋を掃除してくる」
そう言ってそのまま、さらに奥の部屋へと引っ込んでしまった。
それを見送ったC.C.が、盛大なため息を吐き出した。
「いいのか?」
礼拝堂へ戻ろうとするライの背に、彼女は壁に背を預けたまま声をかけた。
その声に、ライは足を止める。
「何が?」
「あの坊や、あの様子だとまた暫くうじうじ悩むぞ」
「じゃあ、君が何とかしたらどうだ?」
ルルーシュがいなくなった途端に、妙に突っかかるような口調になったライに、C.C.はやっぱり呆れたようにため息を吐き出した。
「嫉妬か」
その言葉に、ほんの少しだけライの肩が揺れた。
背を向けたまま、顔だけが後ろを振り返り、鋭い紫紺がC.C.を睨みつける。
それを見たC.C.は、口元に薄く笑みを浮かべた。
「何も言わずに睨むと言うことは、図星か」
何か言い返そうとしたけれど、言い返せない。
彼女の言うとおりであったから、反論ができない。
黙り込んでいると、C.C.は楽しそうに笑った。
「おかしなものだ。あいつと一緒にいるのはお前だというのにな」
「うるさい。貴様も同じだろうが、魔女」
吐き捨てるように言ってやったけれど、C.C.の表情は変わらない。
それが妙に癪に障って、ライは持っていたもう1セットの掃除道具をテーブルの上に叩きつけるように置いた。
「外をやってくる。ここは任せるぞ」
それだけ行って、ライは部屋を出る。
そのまま礼拝堂を通り向けると、力任せに扉を開き、それを再び力任せに、叩きつけるように閉めた。
出て行ったライの姿を見て、C.C.はため息をついた。
「やれやれ。ああいうところはいつまでも坊やだな、あいつも」
彼が置いていった掃除道具を手に取る。
それから、ルルーシュが掃除しているはずの奥の部屋へと視線を向けた。
「いつになったらあの坊やたちは素直になるのやら」
呆れたように、それでも愛おしい者を見る目で笑うと、彼女は素直に掃除を始める。
暫くの間、それぞれが掃き掃除をしたり、床を拭いたり、そんな音だけが教会の中に響いていた。