月光の希望-Lunalight Hope-

Cafeランフォード

東京都内の、かつて租界と呼ばれていた場所の外れに、小さなカフェがある。
『ランフォード』という名のその店は、半年ほど前にできたばかりの小さな店だが、出される料理の味が評判の知る人ぞ知る名店だ。
その店のホールは、まだ少年にも見える青年が1人で切り盛りをし、忙しい時間帯は普段はキッチンにいるらしい少女が姿を見せているという。
その噂の店の前に、1人の男が立っていた。
ロングコートを纏い、サングラスと帽子で顔を隠したその男が、店の中へと入っていく。
からんと軽い音が店内に響き、カウンターでグラスを磨いていた青年が顔を上げた。

「いらっしゃいませ……あ」

にこやかな笑顔で男を迎えたのは、首に黒いスカーフを巻きつけた銀髪の青年だった。
男の姿を見るなり、青年はグラスを置くと、カウンターの中から出てくる。

「やあ、ロイ」
「いらっしゃい。ひと月ぶりだな、望」

カウンターの外に出た銀の青年が、にこりと微笑んだ。
それに笑顔を返してから、望と呼ばれた男は周囲を見回す。
店内には他の客はいないようだった。
ホールからは彼以外の人の気配はせず、彼の趣味に近い綺麗なオルゴール調の曲が流れていた。
「人、いないな」
「仕方ないだろう。時間が時間だ。だいたい、遅開きのうちの店に、開店直後に来るのは君くらいだよ」
ぼそりと、傍にいる人間にしか聞こえないように呟けば、ロイと呼ばれた銀の少年はくすくすと笑った。

この店は、近頃のカフェにしては珍しく、10時という時間に店を開ける。
通勤途中に朝食を取りたいサラリーマンのほとんどが会社に出社した後であり、昼食には早すぎるこの時間帯に来る客は、少ない。
特にここは中心部の外れだ。
主要企業の本社の立ち並ぶ区画からも離れており、近くに大きなショッピングエリアもない。
静かに過ごしたい人間にとっては、最適な場所と言えるだろう。

「今日は、休み?」
「ああ」
「そうか。ならゆっくりしていくよな。朝食は?」
「実はまだなんだ」
「了解。クレアっ!」
望むがそう答えれば、ロイはにこりと微笑んだ。
そのままくるりと後ろを向くと、カウンターの奥に向かって叫ぶ。
少し間を置いて、奥からのそりと1人の少女が姿を見せた。
長い碧の髪をひとつに纏めたその少女は、気だるそうな表情のままこちらを向く。

「どうしたロイ?……あ」

望と呼ばれた男の姿を見た途端、少女はその朝日を映したような金の瞳を丸くする。
驚く彼女の顔を見て、望はくすりと微笑んだ。
「やあ、クレア。久しぶり」
「ああ、久しぶりだな」
ふうっと息を吐き出し、クレアと呼ばれた少女が笑う。
昔から変わらない、彼女らしい悪巧みをしているような顔で。
「今日はどうしたんだ?仕事はサボりか?」
「まさか。休みだよ」
「そうか。ならずっといるな」
「うん」
「朝食がまだだそうだから。エルに伝えてくれ。専用朝定食ひとつって」
「わかった。少し待て」
淡々とした口調で告げると、クレアはキッチンへと戻っていく。
それを見送ると、ロイがくるりとこちらを振り返った。
その流れのまま、恭しく礼をする。

「では、お客様。どうぞこちらへ」

そう言った彼は、カウンターから少し離れた場所にある扉を開けた。
鏡張りの壁に取り付けられた、オフィスの表示がある扉。
実は、そこは事務室でも何でもなく、特定の人間しか入ることのできないVIPルームだ。
鏡はマジックミラーであり、中からは店内を見渡すことができる。
そこに入り、ロイが扉を閉めたことを確認すると、望と呼ばれた男は帽子とサングラスを剥ぎ取った。
その下から現れたのは、ふわふわとした茶色の髪と、深緑を思わせる翡翠の瞳。

「……はああああああぁ」

まだ10代に見えるその姿を晒した途端、望は思い切り息を吐き出した。
あまりにも年寄りくさいそれに、ロイはくすくすと笑みを零す。
それが、ほんの少しだけ気に障った望が、翡翠の瞳に怒りを浮かべ、ロイを睨みつける。
「何だよ?」
「いや。その癖、変わらないなと思って」
「そりゃあ、30年越しだからね」
ため息混じりに答えると、望は帽子とサングラスをサイドボードに置いた。
そのまま、コートには手をかけずに、くるりと振り返る。
僅かに幼さを残したままのその顔が、にこりと微笑んだ。

「改めて。久しぶり、ライ」
「ああ。久しぶり、スザク」

枢木スザクとライ・エイド。
それは30年前、ブリタニア最後の皇帝の騎士であった少年たちの名前。
英雄ゼロに葬られた悪逆皇帝と共に死んだ、死神と悪魔。
その名を呼び合って、少年たちは笑う。
30年前と、全く変わらない姿で。

「いい加減、仕事から離れているときは顔を隠している必要はないんじゃないか?」
「駄目だよ。いつ気づかれるかわからないんだ。用心するに越したことはないだろう」
「外見上ありえないで誤魔化せると思うけどな」

脱いだコートをハンガーにかけながら、はっきりと言い切ったスザクに、ライは苦笑する。
ゼロレクイエム以来、ゼロを演じ続けているスザクは、顔を隠すことを断固として譲らなかった。
確かに、あの頃はそれが必要だった。
ゼロが、枢木スザクだという真実。
それを、あの時真相を知っていた新皇帝派以外の誰かに知られるわけにはいかなかったから。
今だって、基本的に彼はゼロであることを休んだりしない。
仮面を外すのはブリタニアと蓬莱島、そして日本に用意された窓のない自室、もしくは本当に時折ライたちの住まいを訪ねてきたときだけだった。

ふと、EUの山奥に住んでいた頃の自分たちを訪ねてきたときのスザクを思い出して、ライは思わず小さく吹き出した。
それに気づいたスザクが、不思議そうに顔を向ける。
「まさか、君までコードを継ぐなんて思わなかったよ」
「またそれ。いいだろう、別に」
もう何度目かわからないライのその言葉に、スザクは思わず眉を寄せた。
この30年間、ライには何度それを言われたのかわからないくらいだ。
ふいっと顔を背けると、スザクは室内に用意されたテーブルに腰を下す。

「僕だって、一緒にいたかったんだ」

ぽつりと、拗ねたように呟いたスザクの言葉にくすくすと笑いながら、ライは部屋の隅に置いてある簡易キッチンに立った。
備え付けの棚からビンを取り出すと、慣れた様子で紅茶を入れる。
ダージリンのファーストフラッシュ。
この店の3人目にして最後の定員である人物が薦めて以来、スザクの一番好きな紅茶となっているそれをティーカップに注ぐと、それをテーブルの上に置いた。
「僕と彼のこれは不可抗力だったんだけどな。……ほら」
「ああ、ありがとう」
目の前に置かれたカップを、スザクは手袋をしたままの右手で取る。
皮でできた黒いそれは、手の甲の部分だけを覆っており、指は向き出しのままだった。
元々右手の甲に刻まれたものを隠すためにしているもので、左手にはしておらず、外に出るときはさらにその上に手袋をしていることもある。
熱くないかと聞いたことがあったが、用心に越したことはないという答えが返ってくるだけで、やめる気はないということがわかっただけだった。
じっとライがその場所を見つめていると、ふとスザクが大きな息を吐いた。
ため息とは違うそれに、ライは顔を上げる。
「それにしても、ここは落ち着く……」
「そうか?」
「うん。だって枢木スザクのままで、そんな風に外を眺められるなんて、ここくらいだし」
「ああ……。そういえばそうだったな」
マジックミラー越しの店内と、その向こうに広がる町並みを見つめながら微笑むスザクの言葉に、ライは納得したように頷いた。

外の景色を素顔を晒したままで見ることができる。
落ち着く理由は、それだけではないと知っていた。
ここは世界で唯一、彼が『ゼロ』ではなく、『枢木スザク』でいることの許される場所なのだ。
演じ続けることの過酷さは、ライもよく知っている。
だからこそ、本当に嬉しそうに笑うスザクの言葉が重く感じられた。

「ゼロは大変か?」
「さすがにもう慣れたけどね」
「それはよかった。そう言ってくれれば、俺も安心だ」
何となしに尋ねその問いにスザクが答えた途端、突然その声が聞こえた。
そう思うと同時に、入ってきたのとは別の扉――普通の壁に取り付けられた、本当のスタッフルームの扉――が開き、ワゴンを押した黒髪の少年が入ってくる。
その姿を見た瞬間、スザクの表情がぱあっと輝いた。

「ルルーシュ!」
「いらっしゃい、スザク」

名前を呼べば、黒の少年が微笑む。
その後ろには、ライにクレアと呼ばれていた少女の姿もあった。
黄色いぬいぐるみを抱きかかえた彼女は、言うまでもなくC.C.だ。
昔のものとは違う、実はルルーシュの手作りである2代目のチーズ君を抱えたままずかずかと入ってきた彼女は配膳を手伝うことなく、当然のように部屋の中に用意されていたソファに座った。
この部屋は、スザク専用に様子された特別室だ。
寛げるようにと、小さなリビングダイニングのようなレイアウトがされていた。

「元気そうで何よりだよ」
「ルルーシュこそ。……うわあ!おいしそうっ!さすがルルーシュ!」

テーブルに準和食の朝食が並べられる。
それを見た瞬間、スザクは子供のように目をきらきらと輝かせて叫んだ。
少々オーバーではないかと思うそのリアクションに、ルルーシュはぱちぱち数回目を瞬かせた後、呆れたように口を開いた。
「なんか、子供帰りしてないか?お前」
「いいんじゃないか?スザクが素になれるの、ここくらいだし。普段はあれだしね」
「そうだよ。結構辛いんだよ、あれ!」
「そうか。それは悪かったな」
「わわっ!嘘うそ!だから怒らないでルルーシュ!」
『あれ』とは、もちろんゼロのことだ。
スザクの口調とは違う、偉そうなそれ。
スザクとしては、それを演じる大変さを訴えただけだったのだが、それでルルーシュの機嫌を損ねてしまっては元も子もない。
慌てて謝れば、ルルーシュはため息を吐いたものの、すぐに「仕方ないな」と言って笑う。
自分はどれだけ大変なものをスザクに押し付けてしまったのか。
その自覚があるから、ルルーシュもゼロに関することに対しては強く出ることができなかった。
ルルーシュが許してくれたと理解した途端、スザクは本当に安心したように息を吐き出す。
その姿を見てくすくすと笑みを零すと、冷める前に食べろと食事を促した。

「では、頂きます!」

ぱんっと手を合わせると、用意された箸を取り、スザクは満面の笑顔で食事を始める。
会話もせずに食べ続けるスザクを見ていたC.C.が、唐突にぽつりと呟いた。
「本当、こんなピザではないもの、よくそんなに幸せそうに食べられるな」
「だって、ルルーシュの料理、すっごく美味しいし」
「そうだろう?おかげでここも結構有名になってきてるしね」
「有名になりすぎるもの困るが……。ほら、スザク」
「ありがとう、ルルーシュ」
ルルーシュの差し出した湯飲みを受け取り、ずずっと音を立てて啜った。
ライの淹れた紅茶もうまいが、やはり和食には緑茶がいいと思う、とは最初にここに来たときにスザクが言った言葉だ。
以来、店の緑茶は切らしても、この部屋の分の茶葉は絶対に切らさないのがルルーシュのポリシーとなっていた。
嬉しそうなその顔を見て、ルルーシュが微笑む。

「まあ、最悪の状況にならない限り、5年はいるつもりだからな。何かあったらいつでも来い」
「……うん」

ルルーシュの言葉に、スザクの表情が僅かに暗くなる。
姿の変わらない彼らが、人里で同じ場所にいることができるのは、長くても5年が限界だ。
本来ならば少年期から青年期に入り、顔つきにも雰囲気にも変化が出始める年齢で時を止めてしまった体では、それ以上その場所にいることはできない。
だからこそ、ルルーシュの言葉に反対などできなくて、3人がこの場所からいなくなってしまうこと対する寂しさを押し殺すことしかできなかった。

だからこそ、スザクは時間を作ってでもできるだけここに通いたいと思うのだ。
幸いなことに、ゼロは今、日本に置かれた黒の騎士団の本部にいる。
超合集国評議会で現在黒の騎士団のさらなる縮小が審議されており、その採決が出るまでCEOして騎士団の運営に携わって欲しいと依頼されたためだ。

このまま、本当に戦いのない世界になればよいと、そう願ったまさにそのときだった。
壁の向こうから、からんからんと扉につけたベルの鳴る音が聞こえた。
その音に、真っ先に顔を上げたのはC.C.だった。
「お?客だぞ」
「はいはい。わかってるよ。じゃあ、ゆっくりしていってくれスザク」
「うん。ありがとう、ライ」
「じゃあ、俺も」
「ああ、ルルーシュはここにいていいよ。食事のオーダーだったら呼ぶから」
基本的に、飲み物の用意はライが担当している。
軽いデザートも彼が作っているから、ルルーシュが腕を震うのは凝ったデザートと食事の注文を受けたときだった。
「そうか?すまないな」
「私は戻るぞ。私がここにいたら、ルルーシュを呼ぶ係がいなくなるからな」
「そうだね。お願いするよ、C.C.」
まさかホールからこのVIPルームに向かって声をかけるわけにはいかない。
ならばカウンターからと思っても、この店はルルーシュの顔が見られてしまうことのないよう、彼が普段いる場所はホールから直接見えないような造りをしていて、特にこの部屋は声も届きにくいのだ。
だから、C.C.の申し出は、もういつものことだった。

「それじゃあ」

軽く挨拶をすると、ライはホールへと出て行く。
「いらっしゃいませー」
すぐに客を迎えるライの声が聞こえてきた。
その言葉を待っていたかのように立ち上がったC.C.が、チーズ君を抱きかかえたまま従業員エリアへの扉へと消える。

「ふふっ」

ふと、笑い声が聞こえ、ルルーシュは店内へと向けていた視線をスザクへと戻した。
スザクの正面の椅子へ腰掛けながら、首を傾げて尋ねる。
「どうした?」
「うん。君たちは変わらないなと思って」
「仕方ないだろう。コードを継承してしまってたいんだから」
「ああ、そうじゃなくって!中身だよ!というか、外見なら僕だって変わってないだろ!」
嫌味と勘違いするルルーシュに慌てて弁解をすると、スザクは気分を入れ替えるように、こほんと咳払いをひとつする。
そのまま手を下ろし、真っ直ぐにルルーシュを見ると、にこりと微笑んだ。

「君もライも、あの頃と変わらない、優しいままだ」

その言葉に、ルルーシュは僅かに目を瞠る。
けれど、それは一瞬で、すぐにその紫玉の瞳は、眩しいものを見るかのように細められた。

「……お前もな、スザク」

ルルーシュの言葉に、スザクはふわりと笑った。




ぽんっと思いついた喫茶店ネタ。
別に本編沿いである必要はなかったのですが、ちょっともうひとつやりたいことを思いついたので。
スザクは最初48歳設定で書いてましたが、上と同じ理由でコード継承。
C.C.のを半分だけ引き継いでおります。
スザルルっぽいですが、ライルル←スザクだったりします。



2009.2.7