月光の希望-Lunalight Hope-

記憶の旅路

気がついたら、真っ黒な場所にいた。
「……あれ?」
ぱちぱちと目を瞬かせる。
真っ暗な、闇。
何も見えない、聞こえない。
ただぼんやりと、自分の体だけが浮かび上がっている。
「ここは……?」
「なんだ。人の気配がしたと思ったら、スザク、君か」
暗闇の中から声がした。
振り返れば、いつの間にかそこにぼんやりとした光が生まれていた。
その光は、自分の体を包むそれと同じように人の形をしていて、その中によく知っていた顔があることに気づく。
白いシャツと黒いパンツを履いた、少し落ち着いたシルバーグレイの髪に、彼とよく似た紫紺の瞳を持つ人物。
あの日、スザクが彼と共にその命を奪った友。
「……ライ?」
「他の誰に見える?」
まさかと思って尋ねれば、そんな、少し不機嫌そうな声が帰ってきた。
その声も、記憶の中と変わらない。
ずっとルルーシュの隣にいた、彼のものだった。
「何故君が……。君は、あのとき」
「ここは現世じゃない」
全てを言葉にする前に、ライははっきりとそう言った。
その紫紺の瞳が、静かに、真っ直ぐこちらを見つめる。
「ここはCの世界だ。スザク」
はっきりと口にされたその言葉。
その言葉に、息を呑んだ。
「Cの世界?じゃあ、僕は……」
「安心しろ。君は死んじゃいない」
一瞬頭に浮かんだ可能性を、しかしライはあっさりと否定する。
「死んでいたのだとしたら、ここには辿り着かないよ」
くすりと薄く笑みを浮かべて。
その笑みは、最期の頃によく見た皮肉を込めたものではなく、学園にいた最後の方に彼が生徒会の友人たちに見せていた、柔らかい笑みだった。
その表情を見て、無意識に安堵する自分がいる。
だって、自分はまだ、役目を終えてはいないのだから。
「じゃあ、どうして僕はここに?」
「たぶん、呼んだんだろう」
「え?」
一体誰が。
そう尋ねようとした。
けれど、ライはそのままこちらに背を向けてしまう。
「ついてこい」
短くそう言って歩き出してしまった彼を追って、スザクも慌てて歩を進めた。
どんどんと先に行く彼を追って、真っ黒な通路を抜ける。
歩いているうちに、少しずつ、青い光が見えた。
現れたそれは、自分たちの側をすり抜けるように、まるで稲妻のように走り抜けていく。
その光が強くなる頃、突然目の前に別の光が射し込んできた。
それは強くなったかと思うと、周りの闇を瞬く間に飲み込んで、スザクを別の空間へと導く。
暗いトンネルを抜けるときのような感覚。
そんな印象を持ちながら光の中に足を踏み入れたスザクは、思わず目を細めた。
急に明るくなった視界に目を慣らすことに、ほんの少しだけ時間をかける。
暫くして、漸く開いた翡翠の瞳には、まるで美術館の通路のような、様々な絵が飾られた長い廊下が写っていた。
「ここは……?」
「ここは記憶の回廊だ」
声がした方に顔を向ける。
そこには、先に光の中へ歩いていったライがいた。
その服装が、いつの間にか変わっていた。
白いシャツと黒いパンツ姿だったはずのライは、いつの間にかアッシュフォード学園の制服を身につけていた。
「記憶の回廊?」
それは、いつかルルーシュから話に聞いた、Cの世界にある、誰かの記憶のある場所のことなのだろうか。
だとしたら、ここは誰の記憶なのだろう。
そんなスザクの疑問が表情からわかったのか、ライは目を細めた。
「誰のかは、わかるだろう?」
そう言って彼が示した先にあったのは、小さな絵画。
そこに描かれていたのは、小さな子供たちの絵。
スザクの知らない、無邪気に笑うルルーシュと、元気に走り回るむナナリーの姿だった。
その隣には、やはり小さなルルーシュと小さなユーフェミアが笑う絵画がある。
その周りの絵のどれにも、スザクと出会う前の、皇族だった頃のルルーシュが描かれていた。
「まさか、ルルーシュ?」
全てにルルーシュがいるのなら、これはルルーシュの記憶なのだろう。
そう思って尋ねれば、ライはふっと笑った。
「こっちだ」
答えは返ってこなかった。
けれど、きっとあの笑みが、答えなのだろう。
アッシュフォード学園の制服に身を包んだライが、奥へと向かって歩き出す。
ふと見下ろせば、自分も同じだった。
さっきまではどんな服を着ていたのかは覚えていないが、今の自分が身につけているのは、懐かしいアッシュフォード学園の制服だ。
いつの間にこんな格好にと考えながら、先に行くライを追いかける。
途中で様々な絵を、いや、記憶を見た。
ルルーシュと出会った頃のもの。
アッシュフォード学園での、隠し事はあったけれど、それでも楽しかった日々。
あの中にいたときだけ見ることのできた、ルルーシュの笑顔。
それから、ゼロとしての彼の記憶。
喪ったもの。
喪わせてしまったもの。
大切だった人たち。
何度も命を奪い合った戦い。
神根島での邂逅。
真実。
それから、僕たちの約束。
そして、最期の瞬間も。
たぶん、ルルーシュの目から見た、全ての想い出が、描かれていた。
先を歩くライの服装が、周囲の想い出に合わせるように変わっていく。
学園の制服から、黒の騎士団の制服。
黒の騎士団の制服から、皇帝の騎士としての、あの服に。
スザクの服装もまた、想い出に合わせるように変わっていった。
学園の制服から、特派にいた頃の制服、ユーフェミアの騎士だった頃の騎士服、ナイトオブラウンズ時代の服、それから、ライと同じ騎士服。
「ここが終点」
ナナリーの叫びが聞こえてくるような絵を見つめていると、不意にライが足を止めた。
最期の瞬間の想い出の、その先。
廊下の先、行き止まりになっているそこに、扉があった。
いつの間にか、ライの服は最初の白いシャツと黒いパンツに戻っていた。
振り返ったライが、真っ直ぐにこちらを見つめる。
その顔からは、いつの間にか笑みが消え、厳しい表情が浮かんでいた。
「この奥に、ルルーシュがいる」
「え……」
どくんと、心臓が鳴った。
その扉の向こう側。
想い出の回廊の外側に、ルルーシュがいる。
その言葉が、強く胸へと伸しかかってくる。
思わず、片手で胸の部分の服をぎゅっと掴んだ。
心臓が早くなる。
息苦しい。
「行ってくるといい」
不意にそんな柔らいライの声が聞こえて、顔を上げた。
その顔には、再び柔らかい笑みが浮かんでいた。
「どうして……」
どうして、なんで。
君は僕のことを、最期まで怒っていたはずじゃなかったのか。
なのに何故、そんな笑顔で僕を彼の下に行かせようとするのだろう。
そんな想いが、疑問が溢れてくる。
それを口に出すより先に、ライは困ったような表情でため息を吐いた。
「それはルルーシュ本人に聞いてくれ」
違う。
聞きたいのはそれではない。
けれど、それはライには伝わらず、彼は不思議そうに首を傾げた。
「会いたくないか?」
「そんな、ことは……」
思わず視線を逸らしてしまう。
自分の気持ちが、よくわからない。
さっきからうるさい心臓は、何に反応しているのだろうか。
ルルーシュに会うことそのものか。
それとも、彼に会って、何を言われるのだろうかという恐怖に対してなのか。
わからない。
ただもやもやとして、霞がかかっているようだった。
何も答えないスザクに業を煮やしたのか、ライは呆れたような表情を浮かべてため息を吐いた。
「たぶん、会わないと現世には帰れないぞ」
その言葉に驚いて、勢いよくライを見る。
視線が合った途端、彼は「当然だろう」と呆れたように言った。
「ここはルルーシュの意識の中だから。同じ場所にいる『僕たち』ならともかく、呼び込まれてしまった肉体のある意識は、意識の主に会わないとここから出られない」
言い方が、何だか引っかかる。
けれど、それよりも何よりも、言われた言葉に心臓が脈を打つのが激しくなる。

会わないと、出られない。
ルルーシュに、会わなければならない。

思わず唇を噛みしめてしまったのがわかったのだろうか。
ライは、もう一度息を吐き出した。
「行ってくるといい。君がここに現れたのは、ルルーシュの意志だろうから」
足音を立てずに近づいてくる。
ふわりと、そんな軽い動作でスザクの回ったかと思うと、そのままスザクの背に手を伸ばした。
「ほら」
とんっと軽く押された。
その瞬間、ぶわっと景色が動いた。
閉じられていたはずの扉が開き、一歩踏み出しただけのはずだったのに、まるで勢いよく扉を潜ったかのように景色が駆けていく。
気づけば、周りから美術館の廊下は消え去っていた。
「ここは……」
その前に広がっているのは、蒼い空。
そして、白い花々が覆い茂る開けた場所だった。
どこを見ても、空と花しかない。
後ろを振り返ってみる。
「扉が……」
潜ったはずの扉は、どこにもなかった。
辺りを見回す。
そして、気づいた。
白い花畑の中に、ぽつんと何かがある。
クッションのようなソファのような、それ。
真っ白いその上に、誰かが横たわっていた。
まさかと思いながら、ゆっくりと近づく。
だんだんと、その輪郭が明らかになってくる。
白い雲のような綿のような、そんなふわふわとしたものの上に、綺麗な黒髪が散らばっている。
瞳は閉じられていて、静かな寝息が聞こえていた。
思わず手を伸ばそうとして、気づいた。
手を包んでいる手袋が、真っ黒なものに変わっていた。
いつの間にかスザクの服は、すっかり身に馴染んでしまったゼロの衣装に替わっていた。
マントと仮面がないこと以外は、普段の服装と何ら変わりがない。
一瞬だけ戸惑って、意を決して口を開いた。
「ルルーシュ」
呼びかけてみる。
けれど、反応はない。
もしかしたら、ここにあるのはルルーシュの姿だけで、意志はないのではないだろうか。
そんな不安が湧き上がってくる。
もう一度、今度はそっと手を伸ばす。
「ルルーシュ」
「ん……」
そっと腹の上に置かれていた手に触れれば、ぴくりと瞼が震えた。
ゆっくりとそれが開かれて、紫玉の瞳が現れる。
ぼんやりとしたそれは、少しの間宙を彷徨ってから、スザクに向けられた。
途端にその目が見開かれ、驚いたように丸くなる。
「スザク……?」
まだ声が掠れているような気がした。
それでも、しっかりと意志を持った瞳がこちらを見つめ、横たえていた体が起き上がる。
動き出したルルーシュを見て、スザクは精一杯の笑顔を浮かべた。
「……ああ。久しぶり」
その途端、少しだけルルーシュの表情が曇った。
やはり、上手く笑えていなかったのだろう。
「お前、どうしてここに?」
「君が呼んだんだろうって、ライに言われた」
「ライに?ライに会ったのか?」
「君の記憶の回廊で」
ソファのようなそれから起き上がったルルーシュが、驚いたように目を丸くした。
素直に頷いて答えれば、途端にため息を吐き出す。
「あいつ、またあそこにいるのか」
「また?」
呆れたようなその言葉に首を傾げれば、ルルーシュは「ああ」と短く答え、頷いた。
「この世界の境界線が揺らぐと、いつも様子を見に行くんだ」
「またどうして?」
「さあな」
あっさりとそう答えたルルーシュに、眉を潜める。
「さあな、って」
「聞いても理由を言わないのはあいつだ。俺には知りようがない」
「そうか」
ライはおかなしところで頑固だ。
けれど、ルルーシュにだけは何でも話をしているような印象があった。
なのにルルーシュが知らないと、それも不機嫌そうに言い切るのであれば、本当にライがわざわざルルーシュの記憶の回廊に足を運ぶ理由を話していないのだろう。
あまり長くはない付き合いだったけれど、それくらいは理解できるくらいには近くにいたのだと思う。
「それで、どうした?」
「え?」
ソファのような雲に腰を下ろしたまま、ルルーシュはスザクを見上げた。
質問の意味がわからなくて、スザクは首を傾げる。
途端に、ルルーシュの表情が呆れたようなものに変わった。
「俺に何か聞きたいことがあるんじゃないのか?」
その問いに、再びきょとんとしてしまう。
確かにいろいろと聞きたいこと、話したいことはあるのだけれど、ライの口ぶりからすると、だから自分がこの世界に呼ばれたわけではない。
だから首を傾げて尋ねてみた。
「それは君だろう?」
「何?」
「君が、僕に何かを聞きたかったから、ここに呼んだんじゃないのか?」
その途端、ルルーシュの紫玉の瞳が大きく見開かれる。
何かを言おうと開かれた口は、けれどすぐに閉じられてしまった。
「そう、だな」
代わりに零れたのは、少し弱々しい声。
一度伏せられた瞳は、少しだけ間を開けて、再び真っ直ぐスザクを見た。
「少し、話をしないか?」
そう言って笑うルルーシュの表情は、とても儚く見えた。
その顔を見ていたら、いや、そうでなくとも、今の自分に断る理由など無かった。
促されるままに隣に腰を下ろし、話を始める。
子供の頃のこと。
アッシュフォード学園のこと。
共に譲れない想いを抱いて、銃口を向け合っていた頃のこと。
全部、あのひと月の間に話したことでもある。
それでも、今のスザクは、あのときとは違う心境で話をしていた。
「なあ、スザク」
ゼロレクイエムの話もして、それから、その後の話をしようとしたそのとき、ふとルルーシュがスザクの名を呼んで、言葉を止めた。
どうしたのだろうと彼を見ると、ルルーシュはその視線を足下に落としていた。
「世界は、前に進んでいるだろうか」
ふと、落とされた問いに、心臓を掴まれたような感覚が襲う。
その先は、ルルーシュの知らない世界。
自分の望みが叶っているかを確かめる術は、きっと今のルルーシュにはないのだ。
「ああ」
スザクは静かに頷く。
「進んでいるよ。君の望んだとおりに」
そう告げた自分は、笑えていたのだろか。
「そうか」
こちらを見てそう言ったルルーシュは、安心したようにそう呟いた。
「なら、もう心配はないな」
「……ああ」
心臓が締め付けられて、どんどん苦しくなるような気がした。
ああ、ルルーシュは、ここに来てから、ずっとそれを気にしていたのか。
この青と白の空間で、それだけずっと。
「スザク」
「ん?」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
見れば、隣に座るルルーシュは、儚い笑顔を湛えてこちらを見つめていた。
その唇が、ゆっくりと動く。
「あとは任せたぞ」
以前よりもずっと静かな、けれど耳にはっきりと残る、ルルーシュの声
その声でそう告げられて、平静を保っていられるはずがない。
ふいっと顔を逸らしてしまう。
「ああ、わかっている。わかっているさ」
「そうか」
絞り出すようにそう答えれば、ルルーシュはふっと笑った。
「それを聞いて、安心した」
本当に安心したようなその言葉に、スザクははっと顔を上げる。
「ルルーシュ」
「なあ、スザク」
慌てて彼を呼べば、それは穏やかな声で遮られた。
ルルーシュが、儚さを乗せた表情で、微笑む。
「いつか、また会うことがあれば、そのときにナナリーやみんなの話を、聞かせてくれ」
その言葉に、スザクは目を瞠った。
それは、いつ訪れるかもわからない、もしかしたら訪れないかもしれない未来に繋ぐ想い。
ここでならあり得るかもしれない、再会の約束。
「わかった。約束する」
込み上げるものを押さえ込んで、スザクは答えた。
それを聞いたルルーシュが、ふわりと笑う。
「きっとだぞ」
「ああ」
念を押すようなルルーシュの言葉に、強く頷き返す。
目の前の彼は、嬉しそうに笑ってくれた。
「ありがとう」
そう言って、ルルーシュは立ち上がる。
そのまま、ゆっくりとスザクから離れていく。
スザクも立ち上がった。
追いかけることはしない。
今はまだ、そのときではないから。
それを知っているから、彼はそのまま、ルルーシュに背を向けた。
少しだけ振り返ったルルーシュは、その背を見て小さく笑う。
「じゃあな」
その言葉が聞こえてきたと思った瞬間、ぶわりと花びらが吹き上がった。
白だったはずのそれは桃色に染まっていた。
「ああ、さよなら。ルルーシュ」
ほんのり少しだけ振り返って見えたルルーシュの姿が、空に溶けるように見えなくなって。
視界が、花吹雪に、そして光に包まれた。



目が覚めたとき、スザクは自室のベッドの上にいた。
起き上がって額に触れた手の感触で気づく。
手袋をしたままだった。
服も、ゼロの衣装のままだったから、しわくちゃになってしまっていた。
けれど、目覚めたばかりのスザクの思考は、そんなものには行きはしない。
「夢、か……?」
ぼんやりとした頭で、呟く。
さっきまで、青と桃色に埋め尽くされた場所にいたと思った。
けれど、今いるのはブリタニアの自室だ。
窓も全て遮光カーテンで覆ってしまっているから、空を見るどころか、光すら入らない。
あんな綺麗な場所など、ここにはない。
だから、きっとさっきまでのあれは、ルルーシュに会ったことは、全て夢なのだろう。
「夢、だったとしても」
あの場所での再会や、交わした言葉が全て夢だったとしても。
実際にはなかった、自分の妄想なのだとしても。
「大丈夫だ、ルルーシュ」
この胸に、不安はない。
あるのは、あの日交わした約束と、決意だけ。
「君から受け取ったギアスは、必ず未来に繋いでみせるから」
君が、僕が望んだ優しい世界。
人々が願う、明日へと続く世界。
その想いを、願いを、絶やすことは決してしないから。

「だから」

どうか、君の眠りが安らかでありますように。
そして、もしも願うことが許されるなら。
いつか、もう一度、君と。




ルルーシュ展開催おめでとうございます。
音声ガイドがマジでやばかった。



2018.02.04