月光の希望-Lunalight Hope-

仮面の下の願い

真っ赤に染まった白い服。
目覚めぬ兄の傍らで、泣きじゃくる少女。

ああ、ルルーシュ。これが……。

これが、彼の望んだ『明日』の始まり。



泣きじゃくる少女から、引き離される兄の遺体。
いや、遺体などと思われていないだろうそれを抱える兵士の前に、飛び降りる。
驚く彼らに向かい、剣を持っていない腕を差し出した。

「寄こせ」
「は?」
「その男の死体を寄こせ」

変声機を通した、彼のものに似た自分の声。
その声に、言葉に、兵士が動揺する。
けれども、これを譲るつもりはなかった。

「その男は私が殺した。死体は私が始末する」
「しかし……」

戸惑い、渋る兵士を、仮面の下から睨みつける。
声のトーンが、無意識に低くなった。

「寄こせ。漸く手に入れた平和の証だ。私の手で葬らねば意味がない」

そのまま連れて行かれたら、彼の体がどうなるのか。
皇帝直属の騎士として短くない時を過ごしてきた自分は知っている。
だから、譲るつもりはないのだ。
彼には、それが許されないことだとしても、せめて。

「渡して、ください」

か細い、震える声が聞こえて、兵士がはっと顔を上げる。
見上げた先にいるのは、赤い囚人服を着た、彼の人の妹。
「ナナリー……」
いつの間に救出されたのか、紅い髪の少女に寄り添われ、座り込んでいる少女は、真っ直ぐに兵士を見つめていた。

「その人を、ゼロに、渡してください」

漸く開かれたその瞳から、ぼろぼろと零れる涙を必死に耐えて、兵士に告げる。
「は、はい……」
思わず返事をした兵士から、彼の体を受け取る。
真っ赤に染まった真っ白な服。
その服に包まれた体からは、徐々に体温が消えていって。
それでも、瞳の閉じられたその顔は、想像していたものよりもずっと穏やかだった。
その体を、隠すようにマントで包み込む。

「……ありがとう、優しい姫」

はっと、少女がこちらを見る。
目の見えない間に、ずいぶん耳のよくなったらしい彼女に、仮面の下で笑みを向けて。
仮面の救世主は、世界の敵だった男を連れ、その場を立ち去った。






東京の、かつてゲットーと呼ばれた地区に、ひっそりと立つ礼拝堂。
租界を降りた男は、そこへと訪れた。
誰もいない、ずいぶん前に放置されたその扉を開ける。
ぎいっと軋む扉を潜り、中に入れば、そこには1人の少女がいた。

「……来たのか」

ゆっくりと少女が振り返る。
碧の髪が、ステンドグラスから降り注ぐ光を弾いた。
その姿にふうっと息を吐くと、男は片手で扉を閉め、被っていた仮面を外した。
露になった茶色の髪と翡翠の瞳が、真っ直ぐに少女を見つめ、にこりと微笑む。

「やあ、C.C.。元気だったかい?」
「それはゼロの口調ではないな」

かつて、仮面の反逆者の傍にい続けた少女が、くすりと笑う。
そのままゆっくりとこちらにやってくると、彼女は男の腕で眠る少年の顔を覗き込んだ。
かつて至高の宝石だと思った紫は、瞼の向こうに閉じ込められてしまい、もう見ることは叶わない。
ただ穏やかな表情を浮かべて眠る少年の頬を、少女はゆっくりと撫でた。
慈しむようなその仕種に、男――白の少年は目を細めた。

「……終わったんだな」
「……ああ、終わった」

ゼロレクイエム。
黒の少年と白の少年が結んだ約束。
自らの『明日』を捨ててまで欲した、優しい世界。
2人の死によってのみ成り立つそれは、今日成就した。
悪逆皇帝が、奇跡の英雄に殺されるという、偉業を持って。

「約束どおり、彼を頼む」
「……本当にいいのか?私で」
「君は、ルルーシュの共犯者なんだろう」

黒の少年を差し出す彼は、薄く微笑む。
今にも泣き出しそうなそれに目を細め、少女は眠る少年に視線を落とした。

「……そうだな。……そうだ」

差し出された体を、そっと受け取る。
微動だにしない少年を、そっと抱きしめる。
生きていた頃の彼に、何度もそうしたように。

「これからルルーシュは、罵声を浴び続ける。憎しみも、殺意も、全部全部背負うんだ」

そして仮面を身につける道を選んだ少年は、変わりに数々の賞賛を浴び、希望と願いを背負うのだ。
それは、眠る少年が自ら望んだこと。
そうすることによって望む『明日』を手に入れようとした、彼の中のたったひとつの『真実』。
少年も少女も、そのことを、きっと誰よりも知っている。

「でも、せめて……」
「安らかな眠りを、か」
「勝手なことだとは、知っているけれど」

きっとそれすらも、眠るこの少年は、余計なことをするなと怒るのだろう。
全ての罪を背負い、逝くことが、少年の願いだったのだから。

「でも、これが僕から彼への『ギアス』だから」

そう、それが仮面を被ることを決めた少年の願い。
幼い頃に無償の愛を与えられなかった、けれど世界にそれを与え続けた少年に、どうか安らかな眠りを。
それが、もう何も返せない彼に返せる、唯一のものだから。

少年の言葉に、少女は微笑む。
だって、少女も同じ気持ちだった。
全てを喪い、全てを捨て、それでも世界に愛を注ぎ続けた王。
世界が知らない真実の彼に、送ることのできるもの。
それは、もうそれしかないと知っているから。

だから少女は微笑む。
自分自身と、仮面を被ることを決めた少年の願いを叶えるために。

「そのギアス、引き受けよう」
「……ありがとう」

嬉しそうに微笑むと、少年はマスクを上げた。
口元を多い、手にした仮面を被ろうとして、気づく。
その仮面についた、紅い汚れ。
それは、間違いなく、彼の……。

「なあ、スザク」

名前を呼ばれ、少年は顔を上げた。
眠る少年を抱きしめた少女が、真っ直ぐにこちらを見ている。
細められた、その朝日の光を映す瞳が、切なそうに揺れた。

「本当は、お前、ずっとこいつのことを……」
「C.C.」

少女が皆まで言う前に、少年はその言葉を遮る。
朝日の光を映す瞳と、森の色を映す瞳が絡み合う。

「僕は、この世界で生きていく」

仮面を持っていない腕を広げ、少年は告げる。
かつてその服を着ていた少年と同じ動きをしようとするその姿に、少女は目を細めた。

「ルルーシュの願いを、叶えるために。叶え続けるために」

彼のいない、この世界で。
それが少年に与えられた罰であり、願いだから。

「だから、それはそれまで、取っておきたいんだ。いつか、また会える日まで、取っておきたい」

いつかいつか、償いが終わり、彼のもとに逝くことを許される日が来るまで。
最後の最後、漸く気づき、受け入れることのできたこの気持ちは、自分の胸の中にしまっておく。
そして、いつかまた会える日が来たら、そのときこそ伝えたいのだ。
ずっとずっと、おそらくは幼い頃から抱いていただろう、この気持ちを。

「……そうか」

その答えに、少女は薄く微笑む。
ふと、気になることが思い浮かんで、少年は少女へ視線を向けた。

「君は、いつまでここに?」
「すぐに行くさ。いつまでも、こいつをここには留まらせておけないだろう」

腕の中で眠る少年の髪を、少女が撫ぜる。
その姿に、少年は森の色を映す瞳を細めた。

「そう……。元気で」
「お前もな、スザク」
「違うよ、C.C.」

少年の言葉に、少女は驚き、顔を上げた。
にこりと微笑んだ彼は、手にした仮面をつける。
眠りについた少年の紅がついたままのそれを、かつてその持ち主だった少年に教わったとおりの操作で被る。

「枢木スザクはあの決戦で死んだ。僕は……私は、ゼロだ」

声紋を取られないようにと、仮面につけられた変声機。
今は再調整されたそれが、少年の声を変える。
彼自身のものから、それの本来の持ち主のものに酷似したものへ。

「……そうだな」

少女が、その朝日の光を映す瞳を閉じる。
少しの間の後、その瞳がゆっくりと開かれた。

「だが、だからこそ、私はお前に伝えるんだ」

眠りについた、自分たちの王。
彼が願いを託した、唯一の存在。
それは、彼の騎士であった、目の前の少年だから。
仮面を被る前の少年に、彼と共に『明日』を望んだ少年に、託す。

「元気で、スザク。どうか、ルルーシュの望んだ『明日』を」

それが少女の、そして少年の願いだから。
彼らと、優しい王の、唯一望んだ『真実』だから。

「受け取るよ、そのギアス」

仮面の下の森の色を映す瞳が、微笑む。
少女が微笑み返したことを認めると、彼は今度こそ、2人に背を向け、礼拝堂を出た。
眠りについた優しい王を抱いた少女が、その姿をじっと見つめる。

その姿が見えなくなるまで、彼女はその場から動かなかった。
彼らが、自分自身の『明日』と引き換えに、もぎ取った世界。
その世界に戻っていく少年の姿を、少女はただ静かに見守っていた。




スザクには前を見ていてほしいと思ったので。
「果たされた誓い」よりも以前に書いたものなので、ライはゼロレクイエムに立ち会っていません。



2008.9.29~10.7 拍手掲載