2人のゼロ
瓦礫の中に、2人の人影が立つ。
一方は皇帝の騎士、ライトオブラウンズの服を纏った黒髪の少年。
白い騎士服を包むマントは、黒地に金の縁取りがされていて、風に靡いている。
驚愕に見開かれた紫玉の瞳は、今は目の前の男に注がれていた。
「お前が、ゼロ」
黒いマントを纏った、仮面の男。
1年前、黒の騎士団を率いてブリタニアと戦い、最後の最後で敗れ、死んだはずの反逆者。
瓦礫の山の上から見下ろすその男に、少年――ルルーシュは手にした銃を向ける。
「たった1人でこんなところに来るなんて、いい度胸じゃないか」
「それはこちらのセリフだ、と返しておこうか。ブリタニアのゼロよ」
発せられた男の声に、思わず軽く目を見開く。
前々から、ずっと感じていたことだったけれど。
変声機を通しているのだろうゼロの声は、自分の声に似ている気がした。
それに、何か得体の知れない恐怖を感じる。
けれど、テロリストなどに弱みを見せるわけにはいかない。
恐怖を無理矢理押し込めると、鋭い瞳で目の前のテロリストを睨みつける。
「そんな風に呼ばれるのは気に食わないな。俺は、お前とは違う」
「……そうだな」
ほんの少しの間を置いて、ゼロが答えた。
その口調がいつもの彼とは違う気がして、僅かに目を瞠る。
「私は所詮『代理人』。お前とは違う。私は、お前にはなれない。演じることはできても、成り代わることはできない」
「何を、言っている……?」
くすくすと笑いながら告げるゼロに、抑えていた恐怖が膨れ上がる。
返す言葉が、震えるのを抑えられない。
それが可笑しいかのように笑うゼロが、ふとその声を止めた。
「ナイトオブゼロ、ルルーシュ・ランペルージ」
黒い手袋を嵌めた手が、仮面にかかる。
それに驚くまもなく、ゼロが自ら仮面を外した。
「この顔を、覚えていないか?」
現れたのは、光を弾く銀の髪。
自分のものより濃い、紫の瞳。
そして、初めて聞いた、彼の肉声。
「え……?」
自分にだけ見えるように取られた仮面の下に現れた色彩。
それを目にし、声を聞いた瞬間、ルルーシュは目を見開いた。
知らない。知っているはずがない。
自分の知り合いに、あんな色彩を持った人間はいないはずだ。
なのに、なのにどうして。
『ルルーシュ』
頭の中に蘇る、知らないはずの声は、誰だ?
自分の名を、愛おしそうに呼ぶ、この声は。
「おま、え、は……」
知っている、知っている、知っている。
この声を、知らないはずの、彼を、自分は。
「ランペルージっ!!」
何かを思い出しかけた瞬間、耳に届いた声に我に返った。
振り返れば、遠くから入ってくる青と緑、桃色が目に入る。
「枢木卿……?」
「ちっ」
ルルーシュにとって、あまりにも意外な人物。
その名を呟いたと同時に、ゼロが舌打ちをした。
はっと視線を戻せば、彼はもう、元通り仮面を被ってしまっていた。
「無事かっ!ルルーシュっ!」
「ジノっ!アーニャっ!」
抱いた疑念も、自分の名を呼び、駆けつける同僚たちの姿を見た瞬間に抜け落ちる。
その中の1人、普段ルルーシュを目の仇にするような態度を取る少年が、ルルーシュを庇うように前に立った。
「ゼロっ!」
青いマントを纏った少年が、仮面の男に向かって銃を向ける。
その途端、ゼロは楽しそうな笑みを零した。
「久しぶりだな、枢木スザク。『私』を売ってナイトオブセブンになった男」
銃を構えることなくこちらを見下ろすゼロからは、余裕すら伺えた。
対する青いマントの少年――スザクには、焦りすら感じる。
その焦りを伝えまいとするかのように、彼は無理矢理感情を押し殺したかのような目で目の前のゼロを睨む。
「……誰だ、お前は」
「私は『ゼロ』だ」
「ふざけるなっ!!お前がゼロのはずがないっ!!お前が、ゼロのはずが……っ!」
銃を構えたまま、スザクがゼロを否定する。
まるで目の前の人物がゼロであることに苛立っているかのような様子に、ルルーシュは目を瞠る。
けれど、ゼロはそれに気分を害した様子はなかった。
逆に、楽しそうに小さく笑って、口を開いた。
「ゼロは貴様が殺したからか?」
びくりと、目の前に立つスザクの体が震える。
彼の後ろにいたルルーシュには、そのときの彼の表情はわからなかった。
けれど、真正面にいるゼロには、全てが見えている。
よほど愉快な表情を浮かべたのか、ゼロは楽しそうな笑い声を上げた。
「ゼロは貴様が殺した。だから二度と世界に現れるはずもない?」
「現れたとしても、お前は偽者だ」
「ほお……?」
ゼロの左手が仮面に伸びる。
何をするつもりかと警戒した次の瞬間、その仮面の一部が開いた。
「この目を見ても、同じことが言えるのか?枢木スザク」
その目を見た瞬間、スザクだけではなく、ルルーシュも息を呑んだ。
「……っ!?それは……」
先ほど見た彼の素顔。
そのとき見た瞳は、確かに深い紫だったはずなのに。
今更された左目は、真っ赤に染まり、怪しい光が宿っていた。
「そう。『力』を持ちえる者だけが持つ『悪魔の瞳』。ゼロがゼロである証」
くすくすと笑いながら、ゼロが一歩瓦礫の山を降りる。
「試してみるか?ナイトオブゼロに」
ゼロが、楽しそうにそう告げた瞬間だった。
スザクが銃の標準を外し、両手を広げる。
まるで背後にいる自分をゼロに見せまいとするその行動に、ルルーシュは驚き、彼の背を見つめた。
スザクは、名前を呼ぶことを許さないほど、自分に対して嫌悪を抱いていたから。
そんな風に庇われるとは思わなかったのだ。
そう考えて、やはり、と考え直す。
彼は、きっと自分を守ろうとしているのではない。
自分の傍にいる2人の同僚――ジノとアーニャを守ろうとしているのだ。
そう思い至って、視線を落とした瞬間だった。
「ほう?守ろうというのか。お前が、その男を」
ゼロが楽しそうに笑う。
まるでスザクを馬鹿にするかのように、見下し、嗤う。
「愚かしいな。ユーフェミアが可哀相だ」
それは、彼の以前の主の名前。
目の前の仮面の男が殺したという、『虐殺の皇女』。
「貴様……っ!!」
彼女の名前を聞いた瞬間、スザクが再びゼロに銃を向けた。
それすら、ゼロは楽しそうに笑い、開いたままだった仮面の窓を閉じた。
「憎いか?ならばもう一度殺せばいい。私を、そして『俺』を。今のお前に殺せるものならば」
くすくすと笑いながら、スザクを見下すゼロ。
突然変わった一人称に、違和感を感じずにはいられない。
けれど、考え込むより先に、耳に届いた声に驚き、顔を上げた。
「ゼロ」
空から聞こえたその声に、視線を空へ向ける。
一体いつの間に近づいたのか、そこには一機のナイトメアが浮かんでいた。
黒の騎士団独自のその白に似た色の機体のコックピットが開き、1人の少女が姿を見せる。
翠の髪を風に遊ばせるその少女は、無表情のまま仮面の男を見下ろしていた。
「何を遊んでいる。一体いつまで待たせる気だ」
「C.C.か。いいではないか、少しくらい」
「よくない。今日は顔見せだけのはずだっただろうが。さっさと戻れ。今はお前が総帥なんだからな」
「わかっている。カレンと卜部は?」
「もう戻っている。扇たちを誤魔化すのに必死になっているところだ」
「そうか。それは悪いことをしたな」
翠の少女に答えると、ゼロはもうこちらには興味はないとばかりに背を向ける。
彼の向かう先には、黒いナイトメア。
再び彼が世界に現れた後、彼が使用している専用機。
「待て……っ!!」
銃を向けたまま、スザクが叫ぶ。
その前に、翠の少女のナイトメアが降りてきた。
ゼロを庇うように立ちはだかるそれを、スザクが思い切り睨みつける。
「ナイトオブラウンズ」
唐突に振り返ったゼロに、思わず目を向ける。
それを見た途端、仮面の下に隠れた顔が笑った、ような気がした。
「今はせいぜい噛み締めるがいい。偽りの幸せを。いつか必ず壊れる箱庭の中で」
偽りの幸せ。壊れる箱庭。
その言葉に、何だかとても嫌悪を感じて、思わず銃を持っていない手で体を抱きしめる。
そんなこちらの反応を楽しむかのような仕種を見せ、ゼロは言い放った。
「その庭が壊れたとき、勝つのは私たちだ」
それは、絶対の宣言。
自分の勝利を確信した言葉。
その意味がわからず、立ち尽くすこちらから視線を逸らし、今度こそ背を向ける。
黒いナイトメアの中に消えていくその姿を、そのときのルルーシュは追いかけることはできず。
最後まで銃を向けていたスザクも、何かに怯えたような表情をしたまま、その場に立ち尽くしていた。
『それで、どうだったんだ?』
コックピットの中で仮面を外した途端、通信機から聞こえたきた魔女の声に、ふと笑みを浮かべた。
「ああ。手ごたえはありってところかな。刺激すればすぐだと思うよ。僕のこと、少しでも覚えているようだったし」
『ふっ。まあ、当然だな。あいつは私の選んだ王なのだから』
「それに、書き換えられる前のルルーシュの記憶に、僕はいない」
自分が彼らのもとを去るときに、彼らの中から自分の存在を消したから。
ルルーシュの記憶から、おぼろげな幻影を見つけることはできても、自分という存在を形を持って見つけ出すことは不可能だ。
それは、スザクを含めた他の生徒会メンバーも同様だった。
「いないものを変換することはできない。だから、僕は唯一の刺激剤になる」
『ああ。記憶はなくとも、あいつはずっと、心でお前を求めていたからな』
「それは光栄だな」
魔女の言葉に、彼は笑みを浮かべ、モニターを見る。
どんどん小さくなっていく、皇帝の騎士たちの姿。
その中に混じる愛しい人の姿を見つめ、微笑む。
「もうすぐだ。もうすぐだよ、ルルーシュ」
紫紺の瞳に浮かび上がったのは、久しぶりに愛しい人に会えたという喜びと、ほんの少しの狂気。
愛おしそうにモニターを撫でるその手が、歓喜で震える。
「必ず君を取り戻す。僕が」
忘却の檻の中に閉じ込められた、本当の君を。
ブリタニアに奪われた、自分たちの王を。
「たとえ、どんな手を使っても、取り戻してみせる」
もしも、それで他の誰かを傷つけることになっても構わなかった。
だって、彼を取り戻すためだけに、自分はこうして『ゼロ』となったのだから。
ルルーシュは記憶改変後、エリア11に戻されずにラウンズ入り。
ライは黒の騎士団に戻った後、ルルーシュを取り戻すために『ゼロ』を演じているという設定。