星の誓い
授業を終え、生徒会室へ向かって歩く。
ここのところ黒の騎士団にかかりきりで、全く仕事をしていなかった。
さぞや書類が溜まっていることだろうと思うと逃げ出したい気分になるが、仕方ない。
片付けないことには、書類は溜まっていく一方なのだ。
やるしかないと覚悟して、扉を開けたそのときだった。
「笹の葉さーらさらー」
突然聞こえた歌声に、目を見張る。
その声は、つい最近よく聞くようになった、今ではすっかり耳に馴染んだ少年のもの。
初めて聞くその歌声に、姿を見るより先に声をかけていた。
「ライ?」
名を呼んだ途端、銀色揺れ、驚きの色を浮かべた紫紺の瞳がこちらを向く。
それが自分を捉えた途端、銀の少年はふわりと微笑んだ。
「ああ、ルルーシュ」
綺麗なその笑顔に、一瞬見惚れる。
そんな自分に気づかれたくなくて、ふいっと顔を背けた。
そんな態度を取る自分に、ライがくすっと笑みを漏らすのが聞こえる。
怒ってはいないらしい彼に安堵しながら、何でもない風を装って傍に向かう。
「お疲れ様。今日は騎士団はいいのかい?」
「ああ。今日は休養日だからな。話しておいただろう」
「ああ、そういえばそうだった」
忘れていたと笑うライからは、騎士団で見るエースとしての雰囲気は窺えない。
けれど、彼は確かに黒の騎士団に所属する人間であり、カレンと並ぶエースパイロットだった。
この世でC.C.の他に唯一、ルルーシュの『真実』を知っている存在。
学生のルルーシュ・ランペルージも、黒の騎士団のゼロも知ったうえで、ありのままの自分を受け入れてくれる存在。
そんなライがとても大切だと感じるようになったのは、いつからだったか。
きっかけなんて、もう忘れてしまった。
けれど、確かにライは、ルルーシュという人間にとってなくてはならない存在になっていた。
「お前が歌うなんて珍しいな。一体何をしてたんだ?」
「あれ?聞こえてたか?」
「扉を開けた瞬間にな。廊下には漏れていなかったから、安心しろ」
ライの隣の席に腰を下ろして、笑顔を向ける。
そうすれば、ライはほっとしたように息を吐き出した後、綺麗な笑みを浮かべた。
「もうすぐ七夕だと思ってね。出来心で短冊を書いていたら、つい」
「ああ……。もうそんな時期か」
「あれ?ルルーシュ知ってるのか?七夕」
「昔、スザクと一緒にやったことがある。笹に願いを書いた短冊を吊るすんだろう?」
ルルーシュとしては、ライが七夕を知っていることが驚きだった。
「そうそう。それだけじゃなくって、飾りつけもするんだよ。折り紙とかで輪っかの飾りを作ってみたりね」
「よく知ってるな」
「昔は母と妹と一緒によくやっていたからね」
その瞬間、ライの紫紺の瞳に影が映ったのを、ルルーシュは決して見逃さなかった。
黒の騎士団に参加してから、ライは徐々に記憶を取り戻しつつある。
自分がブリタニアと日本のハーフであること。
自分が原因で、守りたかった母と妹を、死なせてしまったこと。
断片的に思い出された記憶は、彼にとって悲しみに満ちたものだったらしい。
時々こうして影をさす瞳を見つめ、ルルーシュは目を細めた。
「街で見かけて懐かしくなって、ちょっとやってみたくなったんだ」
そう口にしたライの笑顔は、悲しみに歪んでいた。
きっと、幼いライは、七夕に希望を見ていたのだろう。
年に一度の逢引の日に、彦星と織姫に願いを伝えれば、それが叶うと信じていたのだろう。
けれど、彼の願いは叶わなかった。
その結果、彼は今、自分の前にいる。
それは、きっと喜んでいいことではない。
けれど、彼を手放すことなんて、もうできるはずがない。
そう思っていたからこそ、不安になった。
彼が、自分の過去を見つめる彼が、今にも消えてしまいそうで。
だからかもしれない。
あんな質問を、してしまったのは。
「……なあ、ライ」
「ん?」
「もしも、織姫と彦星のように、大切な人間と年に一度しか会うことが許されないとしたら、どうする?」
「え?」
質問が理解できなかったのか、ライがその紫紺の瞳を丸くしてこちらを見る。
その紫紺から視線を外すと、今度は先ほどよりもずっとはっきりとした声で告げた。
「自分が愛している者と、年に一度しか会えないとしたら、お前はどうするんだ?」
その問いに、ライの瞳が見開かれる。
いつもよりも弱い光を浮かべていた紫紺が、揺れる。
「僕は……」
俯いたライが、弱々しく口を開く。
けれど、その先を言わせるつもりは、なかった。
「……俺は認めない」
はっきりとそう告げれば、紫紺が驚いたようにこちらを見る。
「ルルーシュ?」
「俺は、そんなことは絶対に認めない。どんな手を使ってでも、川の向こうの相手に会いに行く」
そうだ。絶対に認めない。
他人が決め、与えた仮初の自由に、身を委ねるだけで満足などしない。
「例えそれが俺たちの運命だったとしても、俺は絶対に諦めない」
例えどんな手を使ってでも、会いに行く。
自由を取り戻し、ずっと彼の傍にいるために。
それが神への冒涜だと知っていても、構わない。
年に一度しか会うことができないなんて、耐えられるはずがないのだから。
「……僕もだよ、ルルーシュ」
その声に、ルルーシュははっと顔を上げ、ライを見る。
唖然とした表情でこちらを見つめていたはずの彼は、笑っていた。
その紫紺の瞳には、先ほどまでとは全く違う、強い光が浮かんでいた。
「僕も、認めない。君と年に一度しか会えないなんて、絶対に嫌だ」
「ライ……」
「だから、僕も会いに行く。川の向こうにいる、君に」
強い、けれど穏やかな光を浮かべた紫紺に、捕らわれる。
微笑むライから、目が離せない。
「引き離される運命だったとしても、その運命に反逆して、君に会いに行く」
それは、ルルーシュと同じ答え。
偽りでも話を合わせたわけでもない。
ルルーシュへの想いを自覚したその瞬間から、ずっとライが心の奥に抱いていたもの。
「だから、そんな顔しないでくれ、ルルーシュ」
「……何の話だ」
意味が分からずに聞き返せば、途端にライの表情が崩れる。
困ったような嬉しそうな、そんな表情を浮かべる。
「だってルルーシュ、泣きそう」
「……!?泣いてなんていない!!」
心を見透かされたような気がして、思わず怒鳴り返した。
それにすら、ライは気分を害した様子はなく、逆に本当に綺麗な、優しい笑顔を浮かべた。
「誓うよ、ルルーシュ。あの日の月に、そして七夕の星に」
ライの手が、テーブルの上に置かれたルルーシュの手に触れる。
安心させるように、両手で包み込む。
「僕はずっと君の傍にいる。君が望んでくれる限り、永遠に。例え誰かが僕たちを引き裂いたとしても、必ず迎えに行く」
それがブリタニアであっても、それ以外の何かであっても。
絶対に、差し出されたこの手を離すことはしない。
たとえ離れてしまっても、絶対に手を伸ばす。
今度こそ離れないように。
永遠に、傍にいるために。
「だから、ずっと君の傍にいさせてほしい」
そう言ったライが微笑む。
それはまるで、あの日――ブルームーンの夜を思い起こさせて、心が震える。
「……ああ……」
それはきっと、ずっとずっと求めていた言葉。
他人を拒絶し続けたルルーシュが、ずっとずっと求めていた、温もり。
あの日から、ライだけが与えてくれるその温かさに、意思とは無関係に涙が溢れた。
「ずっと、ずっと傍にいてくれ、ライ。ずっと俺の傍に」
「……ありがとう、ルルーシュ」
涙を流すルルーシュを、ライが抱きしめる。
自分を包むその温もりに、気づけば縋りついていた。
制服の胸元を掴んで、そこに顔を埋めて。
ライの言葉を確かめるように、温もりを逃がさないように。
ライもまた、そんなルルーシュを抱きしめる腕に力を込める。
離れないように、逃がさないように、強く強く抱きしめる。
愛しい彼と引き離されないように。
二度と独りにならないように。
夜空を流れる川に隔たれ、年に一度しか会うことのできない恋人たちよ。
俺たちは、僕たちは、お前たちとは違う。
与えられた仮初の時間に、満足したりはしない。
必ず、自分たちの力で願いを叶える。
この先ずっと、2人で共に生きるために。
何があっても、離れないように。
そのために、俺は、僕は、彼の手を取ったのだから。