月光の希望-Lunalight Hope-

果たされた誓い

最期のあの日、唯一傍らに残った騎士は、主が仮面の男に襲われる間も、微動だにしなかった。



悪逆皇帝として名を馳せた男から、引きか抜かれる刃。
玉座から、妹である皇女と、それを監視するかのように立っていた黒銀の騎士の下に滑り落ちる身体。

「お兄様……?」

皇女が呆然とした様子で、皇帝に手を伸ばす。
その手に触れた瞬間、何かに気づいたように大きく目を見開いた。

「そんな……。お兄様は、今まで……」

皇女が顔を歪め、皇帝の手を取る。
そのまま自分の頬を押し付け、きつく目を閉じた。

「お兄様、愛しています……っ」

ぼんやりと揺れていた紫玉の瞳が、ゆっくりと閉じられていく。
微かに残っていた力が完全に抜け落ち、瞼が閉じたその瞬間、皇女ははっと顔を上げた。

「……っ!お兄様っ!いやっ!目を開けてくださいっ!お兄様ぁっ!!お兄様ぁぁぁっ!!」

皇女の叫びが、辺りに響く。
傍にいる兄に縋りつくけれど、その瞳が開くことは決してない。

「ずるいです……。私は……っ、お兄様だけでよかったのに……っ。お兄様のいない明日なんて……そんなの……っ」

自分の顔が汚れることもかまわずに、兄の体に縋りつき、泣き叫ぶ。
そのとき、初めて黒銀の騎士が動いた。
主の体に縋りつく皇女の肩に手を置き、無理矢理引きはがり、突き飛ばす。
「きゃっ!!」
全く予想もしていなかったその衝撃に、皇女の体は簡単に兄から引き剥がされた。
涙に濡れた目が、きっと黒銀の騎士を睨みつける。
「ライさ……」
名前を口に仕掛け、息を呑んだ。
そのまま兄のものより青みのかかった紫の瞳が、大きく見開かれる。

主の傍に立つ騎士は、冷たく皇女を見下ろしていた。
けれど、その紫紺の瞳は、少女を見下ろす表情とは違う色を浮かべていた。
穏やかな、光。
優しく慈しむような光が、皇女に向けられていた。

呆然と騎士を見つめる皇女の前に、仮面の英雄が飛び降りてくる。
皇女から視線を外した騎士は、傍に降り立ったゼロへ目を向けた。

「ゼロ」

紡いだ言葉は、傍にいる者しか聞こえないほどの、小さな声。
その声に、ゼロはゆっくりと騎士を振り返る。

「約束を、覚えているな?」
「……ああ」

ゆっくりと、騎士がゼロから視線を外す。
紫紺の瞳が、白い服を真っ赤に染め、横たわる主に向けられる。
その目は、銀の髪に隠れてしまい、見ることは叶わない。
けれど、彼がどんな表情をしているのか、ゼロは知っていた。
痛いほどに、わかっていた。

「彼の、僕らの王の、願いを。彼の望んだ明日を、頼む」
「……確かに、受け取った」

もう一度だけゼロに向けられた瞳が、顔が、微笑む。
そのまま視線を外すと、ライはゆっくりと主の前に跪いた。

「お疲れ様、ルルーシュ」

白い頬に、手袋をしたままの手が触れる。
さらりと黒髪が揺れる。

「君と彼の約束は果たされた。だから、今度は僕が、君との誓約を果たそう」

愛おしむように、慈しむように、何度も頬を撫ぜる。
穏やかに微笑んだ、その顔。
満足そうに笑ったまま目を閉じる彼に、そっと口付ける。
熱は、もう失われて始めていて。
けれども、決して崩れることのない微笑みに、ライもやはり微笑んだ。

「病める時も、健やかなる時も、僕は、君を支えよう」

それは、約束。
まだ別の形で共にあった頃に結んだ誓い。

「『いつも、いかなるときも、君と共に歩こう」』

記憶の中のルルーシュの声と、現実のライの声が重なった気がした。
それに、満足そうに微笑む。

「だから……」

すっと、ライの後ろに立つゼロが逆手に持った剣を持ち上げた。
真っ直ぐにライに向けられた切っ先に、それを見ていた誰もが目を見開く。
「まさか……」
「だめ……!やめてください、ゼロ!やめて……」
呆然と2人の様子を見つめていたナナリーが、ゼロを止めようと手を伸ばしたその瞬間。

かつて皇帝が持ち、今しがた皇帝の命を奪った紅い剣が振り下ろされ、ライの体を背中から貫いた。

彼を知る誰もが目を見開いて息を呑む。
空間から言葉が失われる中、ゼロが剣を引き抜く。
紅に染まり始めた体が揺れる。
がっくりと落ちた頭が、ゆるゆると持ち上げられた。

「ルルーシュ……」

薄く微笑んだライの手が、ルルーシュの頬で止まる。
震える瞼で、薄く開かれた紫紺が、真っ直ぐにルルーシュだけを見つめる。

「ずっと、愛してる。僕は、僕だけは、ずっと、君の……」

ぐらりと、ライの体が傾く。
銀の髪が黒髪の隣に落ち、黒銀の騎士服が白い皇帝服の上に崩れ落ちた。
ルルーシュの身体を覆い隠すように倒れたその身体。
兄と同じ、ぴくりとも動かないその身体を、穏やかに微笑む顔を見た瞬間、傍にいた皇女がひゅっと息を呑んだ。

「……っいやあああああああああっ!!お兄様ぁっ!!ライさんっ!!」

一拍遅れて、皇女の絶叫が辺りに響く。
大好きな兄だった。
それと同じくらい、大切な人だった。
その2人の死を目の辺りにした少女の叫びが、嘆きが、悲しみが響き渡る。

「うそ、でしょ……?ライ……。どうして、あなたまで……っ」

解放され、傍まで来ていた紅の少女も、上に立つゼロの、その足元で横たわる2人の少年の姿に、ただ呆然と見入っていた。
見知った人たちの、近しい間柄だったはずの人たちの、死。
それを受け入れられないとばかりに、ただその場に立ち尽くしていた。

「放してくださいゼロっ!放してっ!!放して……っ!!!」

ナナリーの叫びに、カレンは我に返った。
傍に、ナナリーを抱えたゼロが降りてくる。
かつて、主として戦場を駆けた人――その人物と同じ姿をした仮面の英雄が、腕の中で泣き叫ぶナナリーを差し出す。
呆然としたまま彼女の身体を受け取って、すれ違う彼を見送る。
少し離れた場所で足を止めた彼は、皇帝とその騎士を討った剣を高らかに掲げた。

「魔の力を持った悪の皇帝とその騎士は死んだ!これで世界は解放される!」

それはゼロの声。ゼロの口調。
一度死んだと公表される前の彼と、変わらない音。

「力なき者よ!我を求めよ!力ある者よ!我を恐れよ!我が名はゼロ!強き者が弱き者を虐げ続ける限り、私は何度でも蘇り、抗い続ける!」

それは、かつてのゼロも口にしていた言葉。
黒の騎士団が生まれた瞬間に、一度死んだと思われた彼が再び現れたその瞬間に、告げたもの。
その言葉を、ゼロは再び口にする。

周囲からゼロを称える声が沸き起こる。
人々が奇跡の英雄の復活を、悪逆皇帝の死を喜ぶ。
その声援を受けながら、ゼロは剣を鞘に収めた。
そのまま歩き出した彼は、真っ直ぐに自分を見ていた皇帝の側近の側を通り抜ける。

「2人を、頼みます」
「……了解した」

小さく交わされた会話を耳にした者は、いない。
泣き叫ぶ皇女を、呆然と見つめる少女を、主の傍に向かって歩き出す男を、そして共に歩いた2人の友人を置いて、ゼロは去っていく。
その背を、彼を称える多くの声が見送る。
その中に混じった泣き叫ぶ少女の声に、仮面に隠された頬に伝った涙が一筋流れていたことは、誰も知らない。




ライルル・あの場にライが騎士としていたらVer。
ライの言葉は傍にいた人にしか聞こえていません。
これ書くためだけに何度TURN25見直したことか。
だからと言って、私がこれだけで終わらせるはずもない(え)
「AFTER WORLD」のベースは基本的にこの話となります。



2008.10.5