Last Knights After
暑すぎると人は壊れます
「あっつぅ……」
「口に出すなスザク。余計に暑くなる」
「だってありえないだろ、この暑さ」
ライと2人で廊下を歩きながら、スザクはうんざりとした様子で呟いた。
今の季節は冬だ。
そう、冬だ。間違いなく冬のはず。
そうだというのに、今この場所に長袖でいる者は1人もいない。
それどころか、制服を持つ者は夏服まで持ち出す始末。
そんなおかしな光景が繰り広げられている理由は簡単だ。
今滞在しているこの城の空調設備が壊れたのだ。
それも、動かなくなるのではなく、真夏の日本のような暑さの空気を吐き出し続けるという最悪の壊れ方をした。
そのため、今のこの城の気温は、真夏の日本、もしくはそれ以上になってしまっている。
「だいたい、空調が壊れるって何だよ……。っていうか、全館空調にしたの誰……」
「ここの元々の持ち主だろ。ええっと……。誰の別邸だったっけ?ここ」
ここは元々皇族の誰かの別邸だったはず。
ちゃんと調べてからやってきたはずなのに、すっかり抜け落ちてしまった名前を思い出そうと、ライは自分のこめかみをぐりぐりと押す。
その様子を見て、スザクはため息をついた。
現在彼らは、ブリタニアの西部にやってきている。
滞在理由は、この辺りで最も貴族の被害を被っていた町への慰問だ。
長の提案した歓迎パーティを丁重に断ったルルーシュは、視察を兼ねて日々町へ繰り出していて、騎士である2人も彼の補佐をするために一緒にこの地方へやってきたのだけれど、今日ばかりはさすがにそれを後悔した。
よりにもよって、慰問も何もなく、書類処理ばかりの今日この日に空調が壊れなくてもいいだろうにと文句を言いたくなって、必死に押し殺す。
あまりの暑さに話す気力も失せ、ふらふらと歩いていると、近くの扉が開いた。
その中から、自分たちと同じくふらふらとした足取りの少年が出てくる。
「あ、ルルーシュ」
呼びかければ、ずっとここの所有者を思い出そうとしていたのか、まだこめかみを押し続けていたライが顔を上げる。
同様に、扉から出てきた少年もこちらを見た。
「ライ……、スザク……」
ぼうっとした様子で自分たちを呼ぶ彼の顔は、薄っすらと赤く染まっていた。
それを見た瞬間、スザクは思わず息を呑む。
それとは正反対に急に背筋を伸ばしたライは、それまでのぼうっとした表情は何処にやったのか、いつもの顔でルルーシュの傍に近づいた。
小脇に抱えてきた書類ケースを持ち変えると、手袋をしていない手でルルーシュの頬に触れる。
「大丈夫か?だいぶ顔赤いけど」
「大丈夫なわけないだろう」
はあっと大きくため息をつきながら答えるルルーシュに、ライは苦笑を浮かべる。
そのまま、視線だけでルルーシュが出てきた部屋の中を見た。
執務室として使っているこの部屋の大きな窓は、全開になっている。
しかし、今日は風がないらしく、カーテンは全く動いていなかった。
「まったく……。これでは仕事にならないぞ」
「本当だよ……」
仕事をしようにも、あまりの暑さに頭がぼうっとしてしまって、できない。
このままでは熱射病になってしまいそうだ。
そんなことを考え、ふとそんな病気とは縁の遠そうな少女の姿がないことに気づき、スザクは首を傾げた。
「あれ?C.C.は?一緒だったんじゃないっけ?」
「あいつは逃げやがった」
「逃げ……っ!?」
「あははは。C.C.らしいよ……」
きっぱりはっきり、本当に機嫌の悪そうな顔で言い放たれたルルーシュの言葉に、スザクが絶句し、ライが苦笑する。
あの魔女が、こんな暑さの中で大人しく仕事をしているはずがない。
真っ先に城から逃げ出した彼女を羨ましく思いながら、ライは一度息を吐き出すと、目の前のルルーシュを見た。
先ほどから思っていたが、こんなに暑さの中でも、ルルーシュは一切服を着崩していない。
さすがに襟は開かれていたけれど、それ以外はいつもどおりきっちりと着込んでいた。
「ルルーシュ。上着脱いだ方がいいんじゃないか?」
「そんなとこできるか」
「皇帝として服装はしっかり……って言うのはわかるけど、倒れたら元も子もないだろう?」
こんな時期に夏服なんて持ってきているはずがない、というより、ブリタニアで夏はまだ先だと思っていたから作っていない。
だから当然ルルーシュも自分たちも着ているのは冬服だ。
自分たちはさすがの暑さに、マントはもちろん手袋も外し、ジャケットは脇に抱えている。
その姿を見て不満そうな顔をしていたルルーシュは、ライの言葉に眉を寄せた。
「それは、そうだが……」
「君が倒れたら、ナナリーだって心配するよ」
「う……っ!?」
びくんとルルーシュが体を震わせる。
ナナリーが心配する―――その言葉は決定打だ。
これを言えば、ルルーシュは提案を拒絶できない。
ライもそれがわかっていて口にするのだから、たちが悪いとスザクは思う。
「……わかった」
案の定、ルルーシュは渋々と言った様子ではあったが、納得した。
頷いてしまえば、彼の行動は早い。
あっという間にボタンを外すと、来ていたロングジャケットを脱いでしまう。
中に着ていたベストも脱いで、スカーフを取り、シャツのボタンをひとつ外して、そこで漸くルルーシュは大きく息を吐き出した。
「―――はあっ」
「ほらね。脱いだ方が少しは楽だろ?」
「ああ。確かにな」
上着を2枚脱いで、だいぶ体感温度が変わったらしい。
妙に涼しそうな顔で頷いたルルーシュの首元に、スザクは釘付けになっていた。
少し長い襟足が、汗で首にくっついている。
そのうなじを流れる雫。
加えて上気した頬。
好きな人のそんな姿を見て、冷静を保っていられる人間がいただろうか。
いや、いない。
「ん?どうした?スザク」
「る、るるるるる、るるーしゅ……っ!!」
「何だ?」
ふるふると体を震わせるスザクの様子に気づいたらしいルルーシュが、こちらを見る。
しかし、その心情にまでは気づいていないらしく、不思議そうに首を傾げる。
その姿が、可愛らしくて可愛らしくて、我慢なんかできるはずがなくて。
「もう駄目だっ!ルルーシュっ!いただきまーすっ!!」
「ほうわっ!?」
無防備なルルーシュ相手に飛びかかろうとした瞬間、突然ぐんっと後ろに体が引かれた。
襟を引っ張られたらしく、首が絞まり、「ぐえっ」とうめき声を上げる。
スザク自身がそれを認識する前に、空中に放り出された体に、勢いよく何かが叩きつけられた。
「ちょっと頭冷やして来いっ!!」
盛大に窓ガラスを破壊して、スザクの体が放り出される。
呆然とそれを見ていたルルーシュは、ガラスの割れる音と遅れて聞こえてきたぼっちゃんという大きな水音に我に返った。
「ふう……」
「す、すざ……!?お、おいライっ!スザクが窓の外に……っていうか、どこから出したその金属バットっ!!?」
インナーの袖で額の汗を拭うライの手には、先ほどまでは確かになかったはずの金属バッド。
白いインナーに汗は染みになるとか、熱さにやられた頭には一瞬そんなことも思い浮かんでだけれど、何とか理性を保って叫べば、ライは爽やか過ぎる笑顔でにっこりと笑った。
「細かいことは気にしちゃ駄目だよ、ルルーシュ」
「全然細かくないっ!スザクっ!おいっ!大丈夫かっ!?」
「大丈夫だよ。落下先池だし。スザク人外だし」
窓の外に向かって叫ぶルルーシュと、平然と答えるライ。
お前にとってスザクってどんな生物だとつっこみたくなったルルーシュだが、喉まで出かけたところで止めた。
スザクもライも、暑さで頭がどうにかなっているのだ。
そんなときに真面目な質問をしたって無駄だ。
「それにしても、そっか。その手があったじゃないか」
ぐるぐるとそんなことを考えながら、スザクの名を呼び続けるルルーシュの背後で、ライはぽんっと手を叩く。
そのままにっこりと笑顔を浮かべると、スザクのことなど全く気にせず、くるりとルルーシュヘ顔を向けた。
「ルルーシュ」
「な、何だ?」
「水着持って浴場に行かないか?どうせこの暑さじゃ仕事できないだろう?」
「それはそうだが……」
ライの提案に惹かれつつも、ちらりと窓の外を見るルルーシュ。
一瞬きょとんとしたライは、その意図に気づいてにこりと微笑んだ。
「だからスザクなら大丈夫だって。ここは冷たいシャワーで暑さ何とかして、外に遊びに行こう」
「だが、仕事が……」
「今日の分くらい僕が手伝うよ。今仮住居も手配しているから。明日には移動できるはずだし」
「だが―――」
それでもスザクの心配をするルルーシュに、ライの中で何かが切れそうになる。
平然としていても、ライもやはり、先ほどのルルーシュの姿に感じるものはあった。
そんな状態だというのに、それ以上別の男に意識を向けられていて、冷静にしてはいられるはずもない。
けれど、それでルルーシュを傷つけるのはもっとごめんだ。
だから、申し訳ないと思いつつも、本日二度目の最終手段を使うことにする。
「ルルーシュが倒れたら、ナナリーが心配するだろう?」
その瞬間、ぴくりとルルーシュが反応した。
ぱっとこちらを見た彼は、迷ったように視線を彷徨わせると、渋々と言った様子で頷く。
「……わかった。行く」
その言葉に、ライは満足そうににっこりと笑った。
そのときにはもう、先ほどスザクに対して沸き上がった感情は綺麗に消え去っており、上機嫌で踵を返す。
「よし。じゃあすぐに様子してくるから、先に浴場に行ってくれ」
「あ、ああ……」
ルルーシュが返事を返せば、ライはスキップでもしそうな足取りで寝室へと着替えを取りに向かう。
ふと、水着なんて持ってきているのだろうかという疑問が浮かんだが、考えるだけ無駄だと考えて、やめた。
用意すると言ったら用意する。
ライとは、そういう男だ。
ちらりと、ルルーシュは再び窓の外を見る。
視線の先には中庭―――その中央に、少し大きめの池が見えた。
暫くじいっとそこを見つめていたけれど、そのうち唐突にため息を吐き出す。
「……まあいいか。スザクだし」
ライの言うとおり、スザクは超人だ。人外だ。
ナイトメアの銃撃さえ生身で避ける男が、このくらいで怪我をするはずがない。
そう結論付けると、ルルーシュは浴場に足を向ける。
暑すぎるこの空間から早く抜け出したくて、彼はいつの間にか考えることを放棄していた。
「……何をしているんだ?お前」
「じーづー……だぁずぅげぇでぇ……」
散歩に出ていたC.C.が、服を何かに引っ掛け、顔を半分水に沈めたままのスザクを発見したのは、ルルーシュとライが浴場で遊び始めた数分後の話。
2014.9.28 加筆修正