Last Knights After
数年置きの後悔
ばたばたと廊下を走る音がする。
既に騎士服に着替え、食堂で咲世子の入れてくれた緑茶を飲みながら新聞を読んでいたスザクは、それがこちらに近づいてきていることに気づいて顔を上げた。
「枢木いいいいいいいいっ!!」
ばたんと、破壊するかの勢いで扉が開かれ、廊下から顔の半分を仮面で覆った男が飛び込んできた。
その姿を見てため息をつくと、スザクは持っていた湯飲みをテーブルに置く。
「おはようございます、ジェレミア郷。そんな大声でどうなさいましたか?」
「どうなさいましたかじゃない!!」
ばんっと、ジェレミアが全力でテーブルを叩く。
みしっという音がしたから、木製のそれに亀裂でも走ったかもしれない。
この屋敷の主であるルルーシュに怒られるのはジェレミアなので、湯飲みをそこから放すだけ放して、放っておく。
「陛下が!陛下がお部屋におられぬのだっ!!」
「ああ……」
ジェレミアの叫びに、スザクはそんなことかと思いながら、もう一度緑茶を啜った。
そんなスザクの、妙に落ち着いている様子が気に障ったのか、ジェレミアがもう一度テーブルを叩こうとしたそのとき、廊下から別の声がかかった。
「おはようございます、スザクさん、ジェレミアさん」
「ああ、ナナリー。おはよう」
「おはようございますナナリー様!大変です!」
廊下から車椅子を自分で操作してやってきたナナリーに、ジェレミアがずいっと近づく。
最初は驚いた表情をしたナナリーは、しかし落ち着いた様子で首を傾げた。
「何かあったのですか?」
「ルルーシュ陛下がお部屋にいらっしゃらないのです」
「お兄様なら、朝早くにライさんとお出かけになっているはずですが」
「へ?」
あっさりとしたナナリーの答えに、ジェレミアは思わず動きを止める。
本気で知らなかったと呆れ、スザクはため息をつきながら口を開いた。
「カレンダーを見てください、ジェレミア郷。今日は何日ですか?」
新聞を畳みながら、廊下側の壁に掛かっているカレンダーを示す。
「昨日がナナリー様の誕生日だから、今日は26日だが……」
「毎年10月26日には、ルルーシュとライはいないでしょう」
「あ……」
漸くその事実を思い出したらしいジェレミアは、一瞬動きを止めたかと思うと、ナナリーに向かって不安にさせて申し訳ないと土下座する。
頭を床に擦りつけんばかりの勢いのそれを何とか宥めたナナリーが、ふと思い出したようにこちらを見た。
「スザクさん、今年も連れて行ってもらえなかったんですか?」
「僕は『彼』のことに関してだけは、ルルーシュの気持ちをわかってあげられないから」
そう返せば、ナナリーは不思議そうに首を傾げた。
そんな彼女に、誤魔化すような笑顔を向ける。
そう。これだけは。
彼についてだけは、ルルーシュの想いを理解することはできない。
だって、自分は知らないのだ。
ルルーシュが、本当の彼が、偽りのない気持ちで彼を大切に思っていた時期が合ったことを。
「今でもまだ不思議なんだ。ルルーシュは、『彼』のことを憎むものだと思っていたから」
本当のルルーシュにとって、彼は大切な妹の場所を奪った憎むべき存在なのだろうと思っていた。
彼がルルーシュについたのだって、ルルーシュが彼を利用しようとしているからだと思っていた。
けれど。
『ルルーシュの弟です』
『俺の―――ルルーシュ・ランペルージの弟だ』
ライが、そしてルルーシュ自身が、はっきりとそう言った。
そのときの2人の表情に、酷く驚いたことを、今でも覚えている。
そこまで考えたそのとき、ふと視界の隅でナナリーが寂しそうに笑っていることに気づいた。
「ナナリー?」
「いいえ」
スザクが声をかければ、彼女は緩く首を振る。
顔を上げた彼女の顔には、やはり寂しそうな笑顔が浮かんでいた。
「その方は、お兄様にとって、とても大事な方だったんだなって、思っただけです」
昔だったら、ルルーシュはナナリーの誕生日の前後に家を空けるようなことはしなかった。
けれど、今では毎年この日だけ、誰にも行き先を告げないまま、早朝に出かけてしまう。
皇帝になって最初の年にそれをやってから、唯一共に行くことを許されているライが事前に誰かに言付けるようになったけれど、そうなる以前はジェレミアのように大騒ぎをしたものだ。
つまり、そうやって周りに注意を払う余裕がないくらいに、ルルーシュは彼を大事に思っているということなのだと思う。
「今でも思います。一度、お会いしてみたかったって」
そんな彼に、もしかしたら彼女の義理の兄弟になったかもしれない人に、会ってみたかった。
そう言って寂しそうに笑ったナナリーに、スザクは声をかけることができなかった。
「おい、ライ」
「なんだろう?ルルーシュ」
「なんで移動手段がナイトメアなんだ」
太平洋の海の上を、真っ青なナイトメアが駆け抜けていく。
その日本式のライディングスタイルのコックピットの、増設されたサイドシートに座った私服姿のルルーシュは、操縦席に跨がる、同じく私服姿のライをぎろりと睨んだ。
「蒼月が一番楽なんだ。着陸場所にも悩まないし」
「だからって!これは今条約で禁止されている第9世代だろう!!」
2人が乗っているのは、ライが黒の騎士団時代に使用していたナイトメアを改造した、蒼月聖天八極式という、カレンの紅蓮の最終形態とほぼ同型の機体だ。
蒼月そのものはライが騎士団を脱走したときに乗ってきて、そのままアヴァロンに置き去りになっていたことまでは知っていたが、まさかそれをロイドとセシルが実験と称して紅蓮よろしく改造していたとは知らなかった。
ちなみに2人が蒼月を改造したのは条約が制定されるより前で、制定された後も禁止がされたのは製造と使用であるため、所持をしている分には問題がない。
「黒の騎士団を通じて、超合集国理事会にも使用申請出しているから大丈夫だよ」
「……念のため聞いておくが、脅して許可をもぎ取ったんじゃないだろうな?」
「……」
「どうしてそこで黙るんだお前は」
ぎろりと睨みつければ、ライの視線がふいっと逸らされる。
「僕はただ、許可を申請するときにロロって呟いただけだ」
「お前なぁ……」
ライの言葉に、ルルーシュは額を押さえてため息をついた。
ライが黒の騎士団の幹部に対してその名前を呟くとき、それは強力な脅迫材料になる。
それを知っていて呟いたのだから、たちが悪い。
超合集国理事会の方は、おそらく神楽耶が事情を察して許可を出してしまったのだろうけれど、その甘さにも頭を抱えたくなった。
「それより着くぞ」
ライの声に、ルルーシュははっと顔を上げた。
目の前に陸地が迫り始めていた。
サイドシートのモニターで確認すると、目の前の陸地は間違いなく日本だ。
鬱蒼と生い茂る森の向こうに、日本の象徴である富士山プラントが見える。
ライはそのままナイトメアを上陸させ、海岸沿いの影の上にある森の中に着陸させる。
その森の外れの絶壁こそが、2人の目的地だった。
ナイトメアの左腕を足場になるように静止させ、ライが機体を止める。
彼の手を借りて大地に降りると、ルルーシュは持ってきた荷物を確認し、歩き出した。
そう離れたところに着陸してはいなかったから、すぐに森が開ける。
そこには、大海原を見渡せる崖があった。
その影から、少し中に入った場所に、小さな、けれど立派な墓が建っていた。
「何度来ても変わらないな、ここは」
「人の手が入っていないしな」
ここはあのとき、黒の騎士団の追っ手から逃れるために飛び込んだ場所だ。
隠れるための選択だったのだから、人気のある場所のはずがない。
徒歩で来ることは不可能な樹海を抜けた先の場所が、ここだった。
「僕たち以外がここに来たのは、ちゃんとした墓にしたときだけだろう?」
「そう……だな」
ルルーシュ1人で建てたあの丸太の墓のままでは、来るたびに倒れてしまっていたから。
あのロケットが無くなっていないことは、きっと奇跡だったのではないかと思う。
だから、きちんと墓を建てた。
ロケットを納めるケースも十字架にはめ込んで。
「ロロ。遅くなってすまない」
その墓石に近づいて、触れる。
「誕生日、おめでとう」
そう言って微笑んだルルーシュの顔は、慈しみと悲しみの混じったような複雑な表情を浮かべていた。
墓の掃除を済ませて、持ってきた花とケーキを供える。
ケーキは、昨日のナナリー用とは別に作った、ルルーシュの手作りの品だった。
皿にとりわけ、フォークを添え、墓前に置く。
そうしてから、漸くルルーシュは胸の前で手を合わせ、静かに目を閉じた。
どれくらいそうしていたのだろうか。
「―――本当は」
ふいに呟かれた声に、同じようにして墓を見下ろしていたライの視線が、ルルーシュに向けられた。
「本当のお前の誕生日は、昨日じゃ、ないんだろうな」
今でもロロの誕生日は10月25日だと言うことにして、1日遅れになってしまうけれど、こうして毎年ここに来て祝っている。
けれど、それはロロが、ナナリーの代わりとして用意された『偽りの弟』だったからだ。
彼の本当の誕生日を、ルルーシュは知らない。
「今でも、この日が近づくたびに思うんだ」
最初のうちは忙しさで気づかなかったけれど。
少しして、ここに来るようになってから思うようなった。
「お前の本当の誕生日を、本当の俺で祝ってやりたかった」
「ルルーシュ……」
それまで何も言わなかったライの声が、耳に届く。
立ち上がったルルーシュは、一瞬だけ彼を振り返ると、再び墓に視線を落とし、呟くように言った。
「あの頃の俺は、本当の俺じゃなかったからな」
ロロの誕生日を一度だけ祝ったことがある。
けれどあの頃は、まだ記憶が書き換えられていて、本当の意味で彼を祝ったわけではなかった。
だから、願うなら本当の自分で、彼の本当の誕生日を祝ってやりたかった。
そんなことを考えていたら、不意に後ろから抱き締められた。
「何をする」
「ん?なんとなく」
犯人であるライを睨みつけようとするけれど、片腕で顔を覆われていて振り返ることが出来ない。
せめて言葉で文句を言おうとしたら、不意に優しい声が耳に届いた。
「ルルーシュ。ここには僕たちしかいない」
「知ってる……」
「ああ。だから大丈夫」
その言葉の意味が、口調で伝わってくる。
誰もいないと言いながら、顔を隠してくれる優しさが、わかる。
だから、もう耐えることなんて出来なかった。
あれから数年経った今だからこそ、伝えたい言葉も、想いも、何もかもが溢れかえってきて。
もう伝えられないことが悲しくて。
きっとお前は、俺が泣くことなんて望んでいないと思うのに。
誕生日には、笑顔で祝ってやりたかったのに。
もう何もしてやれないことが、こんなにも悔しくて悲しいことだなんて、知らなかった。
「……っ、ロロ……っ」
声を上げることは、できなかったけれど。
それでもライの腕の中で、ルルーシュは静かに涙を流した。