Last Knights After
もう1人の家族
それは本当に唐突だった。
「ルルーシュ陛下を知りませんか」
突然会議室に入ってきたナイトオブゼロこと枢木スザク。
現ブリタニア皇帝ルルーシュの妹姫であるナナリーの車椅子を押し、入ってきた途端、彼はそこにいた合衆国日本代表団と黒の騎士団構成員をぎろりと睨みつけたのだ。
突然のその問いに、神楽耶、扇、星刻、玉城の4人は、思わず顔を見合わせる。
「ルルーシュ皇帝?」
「今日はこちらにはいらしてませんが……?」
「本当でしょうね?」
スザクの翡翠の瞳が、ぎろりと神楽耶以外の3人を睨みつける。
その反応に、むっと眉を寄せた玉城が、不機嫌を隠そうともせずに口を開いた。
「本当も何も、来てねぇもんは来てねぇよ!」
「玉城!」
扇が慌てて玉城の口を押さえる。
ナイトオブゼロは、両名とも黒の騎士団によい感情を抱いていない。
そんな彼らと喧嘩にでもなれば、この平和が終わってしまう可能性だってある。
それを危惧して、扇は感情のままに動こうとする友人を押さえつける。
ルルーシュの望んだ世界を、その騎士である彼らが壊すなんてことは絶対にないのだけれど、それを確信できるだけの材料を、扇は持っていなかった。
「どうかした……んですか?」
「もしかして、ルルーシュ皇帝がいなくなったのか?」
扇が慌てて尋ねたのと、星刻が落ち着いた様子で問いを口にしたのは、ほとんど同時だった。
その問いに、スザクの翡翠が鋭く細められる。
「……ええ。今朝からお姿が見えなかったもので」
「我々が、彼に何かしたのではないかと考えたと?」
「……あなた方には前科がありますから」
「スザクさん!失礼ですよ!」
声のトーンを落として答えたスザクを、ナナリーが叱る。
ふいっと視線を逸らしただけで、謝罪をしようとしないスザクに、ナナリーはため息をついた。
「申し訳ありません。ただ、ルルーシュ様がナナリー様の誕生日の翌日に自分からいなくなられるとは、考えにくかったものですから」
「貴公らなら、もしかしたら知っているのではと思ってな」
代わりに口を開いたのは、2人と共にやってきた咲世子とジェレミアだ。
その2人も、スザクほどではなかったが、鋭い目で扇と玉城、そして星刻を睨みつけていた。
「それは……」
「思いっきり疑ってんじゃねぇか!!」
言いよどむ扇と対照的に、玉城が思い切り机を叩く。
ふと、その前に手が出された。
玉城を制するように出されたその腕は、彼らと共にいた少女のもの。
「皇議長」
驚く星刻に目配せすると、それまで黙っていた神楽耶が一歩前に出る。
「枢木卿」
真っ直ぐにこちらを睨みつける翡翠を、良く似た翡翠で見返す。
「申し訳ありませんが、わたくしたちは本当に存じ上げないのです」
「……本当に?」
「超合集国最高評議会議長、皇神楽耶の名に誓って」
視線を逸らすことなく、はっきりとした口調で神楽耶が答える。
それでも納得できないスザクが、再び口を開こうとした、そのときだった。
「スザク!ここにいたのか」
軽い音を立てて、自動式の扉が開く。
そこから飛び込んできたのは、皇帝を守る騎士の片割れ。
黒銀の騎士と呼ばれる彼は、室内の様子を目にした途端、その紫紺の瞳を丸くした。
「……って、何で一触即発状態?」
「ライ……!君そんな格好で何処に行ってたんだよ!」
今まで黒の騎士団を睨んでいたスザクが、物凄い勢いでライに近寄り、その襟を掴み上げた。
ライが着ているのは、スザクと同じ黒い騎士服ではなく、アッシュフォード学園の制服だった。
突然のスザクのその行動に、今来たばかりで事情をわかっているはずもないライが、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「何処って、六本木のケーキショップに……」
「何だってこんなときにっ!朝からルルーシュが見つからないんだぞっ!」
「へ?ルルーシュ?」
スザクの怒声に、今度こそライは目を丸くする。
襟首を掴まれたままきょろきょろと周囲を見回せば、唖然としている扇、玉城、星刻、神楽耶の4人と、慌てているナナリー、そして厳しい目で騎士団の面々を睨みつけているジェレミアと咲世子の姿が目に入る。
スザクとジェレミアと咲世子から湧き出ている負のオーラは、完全に騎士団の面々に向けられていて、それが何処から来るものか漸く気づいたライは、きょとんとした表情のままスザクを見つめ返した。
「もしかして、何も言わずに出て行ったのか?ルルーシュは」
「……へ?」
スザクのその反応に、ライは確信する。
ルルーシュは、本当に誰にも何も言わずに、1人で出て行ったのだ。
おそらく、ライが知っているからいいとでも思ったのだろう。
突拍子もないその行動に、思わず大きなため息をつく。
「ああ、もう。どうしてこっち関係だと余裕が全然なくなるかな、彼は」
「ということは、貴公は陛下の行き先を知っているのか?」
「というか、本当は一緒に行く約束だったのに、ケーキ屋が行列だって連絡したら先に行かれてしまって」
ジェレミアの問いに、手にしていたケーキの箱を持ち上げて見せながら、ライはもう一度ため息をつく。
「早く行ってあげたいのはわかるけど、ちょっとくらい待っててくれてもいいと思いません?一応僕護衛なのに……」
「行ってあげたいということは、お兄様はどなたかに会いに行かれたんですか?」
スザクの手を無理矢理外させ、ぶつぶつと文句を言い始めたライの言葉に、疑問を抱いたナナリーが問いかける。
その途端、ライの肩がびくりと震えた。
一瞬大きく見開かれた目が、細められる。
その紫紺に浮かんだ痛みの色に、目の前にいるスザクは思わず息を呑んだ。
「ラ、イ?」
「……そう、だね。ナナリーには、後でちゃんと話をしないと」
「ライさん?」
ナナリーの呼び声に答えず、ライは静かに目を伏せる。
ケーキの箱を持つ手に力が入りそうになったことに気づき、苦笑した。
深呼吸でもするかのように大きく息を吐いて、顔を上げる。
その表情は、既にスザクやナナリーのよく知るものに戻っていた。
「とにかく、僕は行ってくるから。帰ってくるまでよろしく、スザク」
「ちょっと待って!僕も……」
「いくら正装だからって、それで来るな。場違いもいいところだ」
びしっと指を突きつけられ、スザクは思わず足を止める。
いつになく真剣な表情を浮かべ、拒絶を示すライに、スザクは思い切り眉を寄せた。
「じゃあ、せめてルルーシュが何処に行ったかだけ教えてくれてもいいだろう!」
一瞬ライの紫紺が見開かれる。
僅かに逸らされた視線は、しかしすぐにスザクの翡翠に向けられた。
目の前に突きつけられた手が、ゆっくりと下りる。
一度だけ目を伏せると、ライは薄く微笑んだ。
「……ロロの、ところに」
その瞬間、スザクの翡翠が見開かれる。
彼だけではない。
ジェレミアも同じように、その隻眼の瞳を見開いていた。
スザクの視線が、ライの手に落ちる。
呆然と見つめるその先には、先ほどからライがずっと持っているケーキの箱があった。
「じゃあ、そのケーキ……」
「ああ」
スザクの問いに、ライは微笑む。
柔らかい、けれど決して明るくないその笑みに、ぎゅっと拳を握り締めた。
「バースディケーキだよ」
日本の東海地区。
先の大戦で崩れた富士山が少し離れた場所に見えるそこに、アッシュフォード学園の制服を身に纏ったルルーシュは、1人立っていた。
見晴らしの良いその場所には、太い丸太が1本立てられている。
薄汚れてしまったそれは、あの日、ルルーシュを守って逝った弟の墓だった。
「ロロ」
持っていた花を墓の前に置くと、ルルーシュは手が汚れることも気にすることなく、その墓に触れた。
顔に薄っすらと笑みが浮かぶ。
柔らかい、けれど痛みを伴うそれ。
けれど、それは今の彼が、いなくなってしまった弟に向ける、精一杯の笑みだった。
「久しぶり。来るのが遅くなって、ごめんな」
丸太にかけたロケットを手に取り、持ってきた布で拭いてやる。
火山灰に汚れたそれは、すぐに綺麗になった。
それを確認して、もう一度丸太にかける。
1年前の誕生日に渡したそのロケットは、太陽の光を弾き、きらりと輝いた。
「なあ、ロロ。俺は今幸せだよ」
自分の傍には今、たくさんの人がいる。
ライが、スザクが、C.C.が、ジェレミアが、咲世子が、ロイドが、セシルが、ニーナが、そしてナナリーがいる。
それは、全て一度は諦めた幸せ。
いいや、違う。一度ではない。
二度諦めた。
一度目は、ナナリーを失ったと思ったとき。
そして二度目は、スザクと手を組むと決めたとき。
二度目のそれを、止めてくれたのはライだった。
けれど、一度目は。
黒の騎士団から裏切られ、全てを失い、死のうとした自分を助けてくれたのは、他でもない、ここで眠る弟だった。
彼のおかげで、今の自分がある。
彼のおかげで、今の幸せがある。
でも。いいや、だからこそ。
「時々思うんだ。お前がいてくれたらって」
ライ以外でただ1人、自分を信じ続けてくれた彼。
たった1人の、喪うその瞬間までそうとは気づかなかった、大切な存在。
喪ってから気づいた。
例え最初は偽りだったとしても、彼は大切な弟だったのだと。
「お前とナナリーと、3人で暮らしたかった」
血の繋がった弟妹で、なかったとしても。
ナナリーも、きっとロロを受け入れてくれたと信じている。
3人で、本当の兄妹になって暮らせたと、信じている。
「ロロ」
ルルーシュの手が、もう一度墓に触れた。
白い手が、ゆっくりと墓を撫でる。
まるで弟の頭を撫ぜるかのように、何度も何度も優しく撫でる。
「俺は生きるよ。お前が繋いだ、この命を絶やさない」
それは誓いだった。
命をかけて自分を生かそうとしてくれた、自分の命を繋いでくれた、大切な弟に対する誓い。
「お前が望んでくれたとおりに生きてみせる。ライやスザク、C.C.と一緒に」
自分の周りにいる、自分の生を望んでくれる人たちと共に。
彼が救ってくれたこの命を、未来に繋いでいく。
「だから、ロロ。まだ、もう暫く会いに行けないけど」
きっと、ずいぶん待たせてしまうことになるだろう。
あの子は案外寂しがり屋だから、拗ねてしまうかもしれないけれど。
けれど、とても強い子だということも知っている。
「見ていてくれ。俺たちを。俺たちの創る世界を。きっと、優しい世界を創ってみせるから」
もう二度と、彼のような子供が生み出されないような世界を。
彼のような子供も、笑って暮らせる世界を、創ってみせる。
そして、また彼が生まれてきたならば、今度こそその世界で笑って生きて欲しい。
それが、ルルーシュが亡き弟に託す願いだから。
唐突にがさっという音が耳に届いて、ルルーシュは我に返る。
慌てて振り返れば、そこにいたのは自分と同じ学生服を身に着けた、銀の少年だった。
目が合った瞬間、その紫紺の瞳が優しく微笑む。
「お待たせ、ルルーシュ」
「ライ」
ほっと表情を緩ませたルルーシュに、ライはにこりと笑いかけた。
そのままゆっくりとした足取りで、彼に近づく。
墓の傍まで来て、ルルーシュと同じようにその前に膝をつくと、手にしていたケーキショップの箱を開けた。
「これでよかったかな?ロロが食べたがってたケーキって」
「ああ。ありがとう」
箱の中身を見て、ルルーシュは微笑む。
それは、ルルーシュがまだ記憶を取り戻していない頃、ロロが珍しく興味を示したものだった。
子犬のようにそれを見つめるロロに、約束したことがある。
今度、その店に一緒に来ようと。
その直後にルルーシュは記憶を取り戻し、その店も第二次トウキョウ決戦でなくなってしまった。
けれど、今の旧租界の同じ場所には、その店のオーナーの弟子が開いたというケーキショップができていて、そこで同じケーキを見つけたルルーシュが、ライに頼んで買ってきてもらったのだ。
どうしても、そのケーキを誕生日プレゼントにしたかったから。
持ってきた保存用の容器に、ケーキを移す。
フォークと共に、それを墓の前に添えた。
「ハッピーバースディ、ロロ」
ライと2人だけで祝う、大切な弟の、1日遅れの誕生日。
それは、確かに彼が、ルルーシュの弟として存在した証だった。
『ありがとう、兄さん』
蒼く澄み渡る空の下。
もういない彼が、いつものような柔らかい笑顔で笑いかけてくれたような気がした。