小さな幸せ
「とりあえずぶん殴ろうと思うんだ」
「……は?」
何の脈略もなく唐突に口を開いたライに、ルルーシュが思わずそう反応してしまったのは、仕方のない現象だろう。
真顔のまま、1人納得している様子のライに、ルルーシュは米神を押さえ、ナナリーとカレンは不思議そうに首を傾げた。
「誰を?」
「スザクを」
「どうしてですか?」
「最近言動にホントいらいらして」
「具体的には?」
カレンがそう尋ねた瞬間、ライの表情が変わった。
彼の周りの空気が、ぐんっと低くなる。
「僕とカレンがルルーシュと学校に通うことが許せないらしい」
その一瞬、周囲の空気が固まった。
「……ああ」
「声が低いぞ、カレン」
「あらあら」
「……ナナリー?」
明らかに態度の違う2人に、ルルーシュが恐る恐る声をかける。
いつも王様然としている彼が、ここまで怯えの表情を見せるのは珍しいだろう。
そんな彼の様子を知ってか知らずか、目を細めたカレンとにっこりと笑ったナナリーが発した言葉に、ルルーシュは再度固まることになった。
「「一体いつまで馬鹿なのかしらね、白騎士は」」
「ナナリー!?」
「ああ、ごめんなさい、お兄様。今のは聞かなかったことにしてくださいね」
妹の知らざる一面を目にしてしまい、ショックで声を上げるルルーシュに、ナナリーは直前とは違う笑顔でにっこりと笑う。
その笑顔を維持したまま、呆然とする兄の手を握り、ライへと顔を向けた。
「それで、どうしてライさんとカレンさんが、お兄様と一緒にいるのが駄目なのですか?」
「僕とカレンはゼロの片腕だろう?ゼロが間違っていないと思えば、基本的に彼の味方になる発言しかしない。全力でゼロを守る騎士だ」
「実際、私たち、ゼロを守るときは全力だし」
「でもスザクはゼロが嫌いだ。できれば顔も見たくないと思っている」
「あら。そうなのですか?」
「ユーフェミア総代表に聞いたから、間違いないと思うよ」
たまたま休憩室で出会ったとき、1人でいたユーフェミアから、ライは相談されたのだ。
スザクに、ゼロを認めさせるにはどうしたらよいか。
認めさせるまではいかないとしても、仲良くさせるにはどうしたらよいのかと。
その話を聞いた途端、ナナリーの空気が変わった。
兄に向けている柔らかい笑顔はそのままに、首を傾げる。
その目が開いていたのなら、きっと不機嫌に細められていたことだろう。
「あら?おかしいですね。だって、ゼロはお兄様なのに」
一瞬びくりと震えた兄の手を、ナナリーは強く、けれど優しく握る。
その暖かさにルルーシュの体の震えが収まったことを確認してから、ライはわざとらしくため息をついた。
「なのに、ルルーシュは大好きなんだ、スザクは」
「あら」
「なのに、ゼロのときのルルーシュは平気で傷つけるのよ、あいつは」
「まあ」
特区でのスザクの態度を思い出しているのか、ライとカレンの声音がどんどん低くなる。
黙ってそれを聞いていたルルーシュは、ついに耐えられないとばかりに俯いてしまった。
「2人とも、もういいから……」
「ルルーシュ……」
その声が震えていることに気づき、ライとカレンは口を紡ぐ。
ライとカレンにとって、スザクはルルーシュを傷つける敵だ。
けれど、ルルーシュにとって、スザクは大切な幼馴染のままで。
そのスザクが自分を嫌っているなんて話、気づいていたとしても、聞きたいはずがない。
そのとき、ルルーシュの手を包むナナリーの手の力が、強くなった。
それに気づいたルルーシュは、はっと顔を上げ、隣にいる妹を見る。
その動きが見えているかのように、ナナリーは優しく微笑んだ。
「お兄様、大丈夫です」
「ナナリー……」
「ナナリーは、ずっとお兄様と共にいます。お兄様と一緒にいることが、私の幸せですから」
「ナナリー……ありがとう……」
自分の手を握るナナリーの手に、もう片方の手を重ねる。
そうすれば、ナナリーも同じように手を重ねてくれた。
倍になった暖かさに、自然と零れそうになる涙を必死に耐える。
そんな表情すらお見通しといわんばかりに、ナナリーは微笑んだ。
「私だけじゃありません。もちろん、ライさんとカレンさん、それにC.C.さんだって一緒です」
ルルーシュに笑いかけた表情のまま、ナナリーが2人へと顔を向ける。
一瞬驚きの表情を浮かべた2人は、すぐに頷き、微笑んだ。
「ええ、もちろんよ」
「君が頼んだって離れてやらないさ」
「ライ、カレン……」
驚きの表情を浮かべるルルーシュに、2人は微笑む。
暫くその笑みに見入っていたルルーシュの顔が、ふと綻んだ。
ナナリーと重ねた手から、無意識に入ってしまっていた力が抜ける。
それだけで兄の心情を悟ったナナリーが、再び口を開いた。
「お兄様。お兄様は私たちが守ります。スザクさんが何を言ってきたって、私たちがいますから」
ルルーシュの視線が、再びナナリーに向けられる。
気配でそれを知り、微笑みを返すと、彼女はそのままライに顔を向けた。
「ですから、ライさん。いっそスザクさんに思いしらせてあげてください」
「え?」
「ナナリー?」
一瞬何を言われたのか分からなくて、ライは思わず首を傾げ、カレンがその名を呼び返す。
その2人の反応に、ナナリーはふわりと微笑んだ。
そう思った瞬間、彼女の顔から、笑みが消える。
「お兄様に好意以上の感情を持って近づいていいのは、ライさんとカレンさんとC.C.さんだけです」
好意以上の感情――ナナリーの言うそれは、つまり恋情だ。
C.C.のルルーシュに向ける感情は、どちらかというと親の愛情に近かった。
けれど、ライとカレンが抱くものは間違いなくそれで、2人は驚き、目を見開く。
ナナリーがそれに気づいていないと思っていたかというと、それは嘘になる。
彼女はルルーシュやスザクが思う以上に聡い子だ。
きっと、もうずいぶん前から2人の抱く感情に気づいていただろう。
「それ以外でお兄様に近づく人は、誰であろうと容赦しません。それが、お兄様を傷つける人なら、絶対に」
その2人を、そして愛情を向けるC.C.を許したうえで、彼女は告げる。
スザクにはその資格がないと、言外に言い放つ。
そんなナナリーの普段見せない一面を見た驚きから、最初に立ち直ったのはライだった。
目を瞬かせた彼は、くすりと笑みを漏らすと、柔らかくも頼もしい笑みを浮かべる。
「さすがだね、ナナリー。僕も同感だ」
「私もよ」
少し遅れて、カレンも同じような笑みを浮かべた。
そんな2人の答えに、ナナリーは安心したような笑みを浮かべる。
そんな彼女に微笑み返すと、ライとカレンは呆然としているルルーシュに顔を向けた。
「というわけだから、ルルーシュ。今日はこの辺で失礼するよ」
「ラ、ライ?」
「私も、今日は帰るわ」
「カ、カレン?」
いやに楽しそうに笑う2人の姿に、嫌な予感がする。
だから、聞かずにはいられなかった。
「お前たち、一体何するつもりだ?」
そう口にしてしまった瞬間、聞かなければよかったと後悔した。
「「枢木スザクに精神的なダメージを与えに」」
そう告げた2人の顔には、とてもとても清々しい笑顔が浮かんでいた。
けれど、2人とも目は笑っていない。
あの目を、ルルーシュは知っている。
以前、一度だけライとカレンが、公の場でスザクに喧嘩を売ったことがある。
そのとき、彼らは周囲のナイトメア乗りを再起不能にし、あのスザクを病院行きにした。
そのときと、同じ目をしていたのだ、今の2人は。
「がんばってください、ライさん、カレンさん」
「ありがとう、ナナリー」
「明後日にはいい話を持ってくるわ。楽しみにしててね」
「はい!」
にっこり笑って出て行く2人を呆然と見送るルルーシュとは対照に、ナナリーは笑顔で手を振っている。
そんな妹に、米神を押さえたくなる気持ちを必死で抑え、ルルーシュはため息をついた。
「……楽しそうだな、ナナリー」
「楽しいというか、嬉しいんです、お兄様」
「嬉しい?」
「ええ」
不思議に思って尋ねれば、ナナリーは本当に楽しそうに笑った。
「お兄様を、こうやって信じて守ってくれる人たちがいるのか、嬉しいんです」
その言葉に、ルルーシュは軽く目を見開いた。
握った手からそれを感じ取ったのか、ナナリーは楽しそうに笑う。
けれど、その笑みは、すぐに悲しそうなものに変化した。
「私じゃ、お兄様の支えになることはできても、助けることはできませんから」
「そんなことはないよ。ナナリーは、ずっと俺を助けてくれた」
ナナリーの言葉に、我に返ったルルーシュは静かに首を振る。
そう、そんなことはないのだ。
ナナリーは、ずっと自分を助けてくれていた。
ずっと、自分を救ってくれていた。
「ナナリーがいてくれたから、俺は俺でいられるんだ。ナナリーがいなかったら、きっと今の俺はいないよ」
それは紛れもない、ルルーシュの本心だった。
母を失い、父に否定された。
きっと、1人であったのなら、その時点で絶望に飲まれ、生きようとすら思えなかっただろう。
けれど、ナナリーという存在がいたから、ルルーシュは生きることを諦めなかった。
ナナリーがいたから、生きていたいと思ったのだ。
「それは、私も同じです。お兄様」
ルルーシュの手を握る自分の手の力をさらに強くして、ナナリーは告げた。
目の前で母を失い、視覚を捨てた彼女にとって、ルルーシュの存在は希望だった。
世界を信じられる、信じているための、希望。
ルルーシュという存在がいなかったら、その希望すら、きっと見失っていた。
だから、今度は自分が守りたいのだ。
自分に希望を与え、未来を望むことを、教えてくれた兄を。
自分を大切にし、無償の愛を与えてくれる兄を。
だから、決めた。
私は、目の前にある世界を受け入れよう。
世界を受け入れ、たった1人で戦い続けた兄を守ろう。
「お兄様、もう少しだけ時間を下さい」
「ナナリー?」
意を決したように告げる妹の名を、ルルーシュが不思議そうに呼ぶ。
一度俯いたナナリーは、何かを決心したような表情で顔を上げた。
その瞳は、相変わらず閉じられているのに、母に似た紫のそれが自分を見つめているような気がして、ルルーシュは無意識に目を瞠る。
「私、世界を見たいと思うんです。お兄様や、ライさんたちの顔が見たいから。笑ってくださるお兄様が、見たいから」
「ナナリー……」
「だから、もう少しだけ待っていて下さい」
決意を秘めた表情の中に漂う不安。
その感情を敏感に察知したルルーシュは、ふつと笑みを浮かべた。
それは、彼が妹だけに見せる、いつもの笑み。
柔らかく包み込むようなその表情で、ルルーシュはナナリーの手を握り返す。
「ああ、待つよ。ずっと傍で待ってる。だから、焦らなくていい」
7年もの間、世界を怖がり、視界を閉ざしていた彼女が、どれほどの気持ちでその決意を口にしたのか。
それを全て理解したなんて、傲慢なことは言わない。
けれど、その恐怖が、わかるから。
見たくないものを見なければならないときの恐怖も、それにどれくらいの勇気が必要かも、知っているから。
だから、ルルーシュは兄の声で告げる。
無理はしなくていいと。
ナナリーのペースで、ゆっくり進んでいけばいいのだと。
自分は、ライとカレンから、それを教えてもらったから。
2人が教えてくれたそれを、ナナリーにも伝えたかった。
「俺も、ライもカレンもC.C.も、どこにも行かないから。ナナリーが望んでくれる限り、ずっとナナリーと一緒にいる」
「……はい、約束です。お兄様」
「ああ、約束だ」
いつかのように、差し出された小指に小指を絡ませる。
歌と共に約束を交わして、微笑み合う。
本当に小さな、けれど確かにある幸福。
それを教えてくれたカレン。
守ってくれたライ。
認めてくれたC.C.。
そして、与えてくれたナナリー。
その誰もに、心から感謝した。
ルルナナに幸せを!